醗酵

もっと発酵を語ろう | 酸素は酵母に必要か

09/29/2019

記事をお読みいただく前に

この記事では説明の都合上、学術用語としての“発酵”と一般的なアルコール生成手段としての意味での“発酵”が同一文章内に特に断りなく混在して使用されています

何度か発酵についての記事を書いてきました。発酵とはぶどうジュースがワインになるために絶対に欠かすことのできない、とても重要な工程です。

発酵にはいくつか欠かすことのできない要素があります。そのもっとも代表的な存在が、酵母です。

一方で、ワインに対して酸素が大敵であることは周知の事実です。酸素 = 酸化というイメージが強く、酸素はワイン造りのなかに在ってはいけないもの、と思っていらっしゃる方も少なくないのではないかと思います。では酸素が酵母にとって欠かすことのできない存在だと知ったら、どう思われるでしょうか。

今回は発酵というものにもう少し踏み込んで発酵と酸素の関係をみていきます。

アルコール生成が目的ではない発酵

ワインを学んでいるとどうしても酸化という言葉に敏感になりますし、発酵時を含め酸素を極力排除するのが正義!と思ってしまいがちです。実際に我々造り手にも酸素の存在に異常なまでに神経質になる人もいます (筆者もどちらかというとこちらに側に近いところにいます)。

しかし実際には醸造の過程、特に発酵の過程で酸素を必要以上に排除してしまうとかえってトラブルが多くなることは「発酵に酸素は必要か」にも書きました。

ここで問題になるのが、具体的にどのような理由でどの程度の酸素が必要なのか、ということです。

発酵について語ろう」などの記事では発酵を糖からアルコールと二酸化炭素を作り出す酵母による反応、としました。これは発酵の中でもアルコール発酵と呼ばれる発酵の種類の1つです。

より学術的な意味では発酵は次のように定義されています。

(微生物が行う)酸素の影響を受けずに行われる、エネルギー獲得のための有機物の分解プロセス

これだけを見れば、微生物である酵母が糖分という有機物を分解してアルコールを作っているという説明はなんとなく正しいように思えます。しかし、それだけでは"エネルギーの獲得のため"という部分を説明しきれていません。この部分をより具体的に知るためには、発酵の定義をもう少し詳しく見る必要があります。

先程の定義は、実は古い発酵の定義です。現在はその後、新たに得えられた知見を元に次のように再定義されています。

基質レベルのリン酸化によるエネルギー (Adenosintriphosphat / ATP) の生成

この定義を厳密に理解しようとするとかなり難しい話になりますので、それは一端横に置きます。

ここで重要なことは、"発酵=エネルギーの獲得 = ATPの生成"という関係を理解することです。

以前の記事では主にアルコール発酵のことを“エタノール(アルコール)と二酸化炭素を獲得する手段”と定義していました。しかしこれは実際には人間の側から見た都合のいい解釈で、実際にはエタノールも二酸化炭素も単なる副産物に過ぎない、というのがより厳密にみた発酵における解釈になります。

発酵の目的はエネルギーの獲得

もう一度アルコール発酵というものを厳密に見直してみます。

アルコール発酵の過程を化学式を用いて表すと以下のようになります。

C₆H₁₂O₆ + 2 ADP + 2 Pi → 2 C₂H₅OH + 2 CO₂ + 2 ATP

この式は1molのグルコース (glucose, C₆H₁₂O₆) に2molのADP (Adenosindiphosphat) と2molのPi (Phosphat) が反応することで2molのエタノール (アルコール, C₂H₅OH) と2molの二酸化炭素 (CO₂)、そして2molのATPが生成されることを表しています。

このATPというものが微生物、ワイン造りにおいては酵母が必要としているエネルギーですつまり発酵の本当の目的はこのATPを作り出すことで、それ以外のエタノールや二酸化炭素は酵母にとってはどうでもいいことなのです。

発酵の対極にある呼吸

発酵は定義上、酸素の影響を受けない行為とされています。基質レベルでのリン酸化過程においても酸素は介在しませんのでこの前提は上記の新旧いずれの定義においても有効です。

つまり発酵は酸素を必要としない、嫌気的な代謝だといえます。

これに対して酸素を必要とする好気的な代謝というものがあります。特に酸素を使ってエネルギーを獲得する手段のことを“呼吸”といいます

同じエネルギーを獲得するための代謝であっても酸素の必要性の有無に応じて発酵と呼吸という2種類の方法に区別されているということです。

例えば我々ヒトは呼吸によってエネルギーを獲得しています。動物などの大型の生物はいずれもエネルギーの獲得手段は呼吸です。これは大型の生物はその生体活動において多量のエネルギーが必要になるためです。

一方で微生物のように消費エネルギー量が少なくて済む生物は必ずしもエネルギーの獲得を呼吸に頼る必要はありません。そのための代替手段が、発酵です。

この両者は必要となるエネルギー量によって使い分けられています。このことから明らかですが、エネルギーの獲得手段としては呼吸の方が圧倒的に有利です。

酵母が酸素を必要とする理由

発酵に関わる過程で微生物が酸素を必要とするタイミングは多くはありません。

これまでに見てきたように、微生物、特に酵母が呼吸を必要とするほど大量のエネルギーを消費する場面が限られているためです。

例えば、糖を分解してアルコールを生成していく過程ではそれほど多くのエネルギーを必要としません。発酵だけで十分です。このために酵母が発酵を始めて以降は、酸素は不要となります。

酵母が酸素を、呼吸を必要とするほど大量にエネルギーを消費するのは、発酵を始める前です。つまり、酵母が増殖するタイミングです。

酵母が発酵によるエネルギーの獲得を本格的に始める前の段階、いわば発酵の準備をしている時、酵母は1つの細胞から最終的に5から6個の細胞に分裂します。これを酵母の増殖と呼んでいます。この増殖時に酵母は極めて多くのエネルギーを必要とします。とても発酵だけでは賄えない量のエネルギーを支えているのが呼吸です。

この際に必要となる酸素の量は酵母の種類などにもよりますが、おおよそ5~10mg/Lとされています。

酸素は絶対に必要なのか

一方で、発酵過程において酸素が絶対に必要なのかというと実はそうではありません。

嫌気環境下における醸し発酵とは」という記事にも書いたように、酸素を排除した嫌気的な環境下において醸しや発酵を行う醸造手法があります。また酵母が呼吸を必要とする増殖の行為と、アルコールを作り出す発酵の行為は基本的に別のものです。

酵母が増殖して数を増やせば発酵の総量が増えてより効率よくアルコールが作れることは間違いありませんが、酵母の数が少ないと発酵が出来ないわけではありません。発酵自体は酵母1つから出来ます

つまり、アルコール発酵自体は酸素がなくても行うことは可能です。

また外部から酸素を取り込まなかったとしても、ブドウの果皮や果汁の中には酸素が溶け込んでいます。酵母はこうした酸を利用しながら増殖し、発酵活動を行うことが出来ます。これを積極的に利用した発酵の方法が、カーボニックマセレーションと呼ばれる醸造技術です。

カーボニックマセレーションという醸造手法

しかしブドウの組織内に溶け込んだ酸素だけでワイン造りを完了させることはほぼ不可能です。これはカーボニックマセレーションを行った際に取得できるアルコールの量が最大で2.5%vol. 程度に留まることからも明らかです。

ブドウ果汁に含まれる大量の糖分をアルコールに代謝するためには圧倒的に酵母の数が足らないからです。

酵母は自分が必要なエネルギーを得るために発酵をしています。逆にいえば、必要以上に発酵をしてエネルギーを得る理由はありません。酵母は自分が必要とするエネルギー量を獲得できた時点で発酵を止めてしまいます。

1つの酵母が消費する糖分の量は微々たるものです。ワイン造りはそうした小さな数をまとめて大きな数とすることでようやく実行することが出来ます。ワインを造るためにはどうしても、酵母の数が必要です。そしてそのための不可欠要素が酸素なのです。

酵母の数が足らないと発酵が停滞したり中断したり、場合によっては上手く始まらなかったりします。こうした発酵不良は様々な問題をワイン造りにもたらします。ワイン造りのもっとも大事な発酵過程で問題が生じることは何としてでも避けたい事態の1つといえます。

発酵にとってもっとも怖いこと

発酵の不良がもたらす問題やその内容はオンラインサークル「醸造家の視ている世界を覗く部」内のメンバー限定記事で解説をしています。ご興味ある方はこの機会にサークルにご参加下さい。

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今回のまとめ | 発酵中に酸素の供給は必要か

厳密にいうのであれば、発酵に酸素は必要ありませんがワインを造れるだけの酵母の数を確保するためには酸素が必要です。

つまり理屈上は発酵の初期段階に十分な数の酵母を確保できるのであれば、それ以降に酸素を供給しなければならない理由はないということです。

一方で発酵が始まった後でもあまりに酵母の活性が弱く、発酵が進まない場合にはエアレーションの実施を視野に入れる必要があります。発酵容器内に酸素を追加供給することで、酵母の数の増加を助けるのです。

しかし酵母が必要とする酸素の量はそれほど多くはありません。通常、密閉式の発酵槽の場合でも容器と液面の間にある程度の空間が残るくらいに充填量を調整しておけばそうそう問題にはなりません。つまり発酵中にわざわざ酸素を供給しなければならない事態になることは稀です。

仮にタンク内の液面調整などの対応をしているにもかかわらず発酵に問題があるのであれば、酸素量よりも別のところに原因があると考えるべきでしょう。

またエアレーションは失敗するとワインの酸化を招き、発酵直後から酸化臭のあるワインになってしまいます。仮にエアレーションを行うのであれば、実施のタイミングとその量には十分な注意が必要となります。

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  • この記事を書いた人

Nagi

ドイツでブドウ栽培学と醸造学の学位を取得。本業はドイツ国内のワイナリーに所属する栽培家&醸造家(エノログ)。 フリーランスとしても活動中

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