2019年3月5日、オーストラリアのヴィクトリア州ヤラ・ヴァレーのブドウ畑で新たにフィロキセラによる被害が発生した、というニュースが流れました。
フィロキセラといえばブドウ栽培において致命的な被害をもたらす害虫の代表格です。過去にはヨーロッパでこの昆虫により、欧州系ブドウは絶滅するのではないかと思われるほどの被害が出ました。\
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フィロキセラ禍とも呼ばれるこの大事件はワインの勉強をしていればほぼ必ず、一度は耳にする出来事でしょう。
このようなワイン用のブドウ栽培家にとっては天敵ともいえるフィロキセラですが、被害の大きさばかりに焦点が合ってしまい、その実態はあまり知られていないようです。
今回はこのフィロキセラの生態を中心に解説します。
フィロキセラによる被害の歴史
フィロキセラがどれだけの被害をもたらしてきた害虫であるのかを知るために、まずは被害の歴史を簡単に振り返ります。
フィロキセラはもともとは北アメリカ大陸を発祥とする昆虫で、欧州には存在していませんでした。
1860年代にロンドン経由でアメリカ東海岸から南フランスに輸入されたブドウの木にこのフィロキセラが付着していたことから悲劇の歴史が始まります。
今回はフィロキセラの被害の歴史がメインではありませんので、以下、簡単に箇条書きにて振り返ります。
- 1854年アメリカにて存在が発見される
- 1863年プロヴァンスにて原因不明のブドウの枯死が確認される。ヨーロッパ初のフィロキセラ被害として認定
- 1868年ブドウの根につくタイプのフィロキセラが確認される
- その後の短期間で700,000haを超えるブドウ畑が被害を受ける
- 1874年ドイツ、ボン (Bonn) においてアメリカから輸入された装飾用ブドウ樹よりフィロキセラが侵入。南部に向けて被害が拡大する
- 年々拡大していったフィロキセラによる被害は欧州全域に拡大。その被害はフランスだけでも250万ha に及ぶとされている (フィロキセラ禍以前はおよそ8400万リットルあった生産量が1875年にはおよそ2300万リットルまで減少)
- 日本においても明治から大正にかけて大発生し、日本中のブドウ栽培が壊滅の危機に陥った
フィロキセラとはどのような虫なのか
フィロキセラ (Phylloxera, 日本名:ブドウネアブラムシ) はPhylloxeridae科Viteus vitifoliae属に属する体長1mm程度の昆虫で、学名はDaktulosphaira vitifoliaeといいます。固有種が複数種類存在していますが、一般的にはそれらすべてを総称して「フィロキセラ」と呼んでいます。
フィロキセラは蚊のような尖った針状の口の構造を持っており、この部分を使ってブドウの樹液を吸います。このことから一般的には樹液を吸われることでブドウの樹が枯れる、とされていることが多くあります。しかしこの解説は間違いでありませんが、正確でもないことに注意してください。
フィロキセラの生態
フィロキセラの生態はとても複雑です。
日本名だとブドウネアブラムシ (葡萄根油虫) と呼ばれているため特にブドウの根の部分にしかいないものと思われがちですが、実際には葉や蔓に対しても寄生し、被害をもたらします。
このことからも分かる通り、フィロキセラの繁殖行動は地中におけるものと、地表におけるものの2通りに区分されるのです。
地中における繁殖活動
地中におけるフィロキセラの繁殖は単為生殖によって行われます。つまり、地中に存在するフィロキセラはすべてがメスの個体になります。
これらの個体はブドウの根の表面に産卵を行います。産卵では一度に100~150個程度の卵が生まれるとされています。
これらの卵から孵った幼虫及び成虫はブドウの根から養分を吸い上げつつ、何世代も数を重ねていくことになります。
地表における繁殖活動
一方で、地表における繁殖活動は地中におけるそれとは異なり有性生殖によって行われます。
地中で育ったメスの個体の多くは翅を持たず、地表に出てくることはありません。しかしこれらの個体の中で一部のものが翅を持ち、地表に出てくることで地表における生態活動が開始されるのです。
翅を持ったメスの個体は地中から地表に上がり、そのまま飛ぶことでブドウの葉や蔓へと移動し、まずは単性による産卵を行います。この時の産卵では地中の場合と同じくメスの個体も生まれるのですが、これに加えてオスの個体も生み出されます。なお、オスとメスでは卵の大きさが異なっており、メスの卵の方が大きく、オスの卵はこれに比べて小さくなります。
こうして生まれたオスとメスは交尾を行い、有精卵を産卵、そこから生まれた個体はブドウの葉にコブを作り、その中で産卵を行うことで世代を重ねていきます。またこれら、地表で生まれた個体も地中に移動し、根に対して単性生殖による産卵を行う場合もあります。
地表におけるサイクルはおよそ8~10日程度とされており、これくらいの期間で生まれた個体は自身で次のコブを作り、産卵を行っていきます。
なお、地中における繁殖は単性生殖によるものであるため遺伝子的な変異は生じませんが、地表における繁殖は有性生殖によるものであるため遺伝子的な変化を伴います。
つまりフィロキセラは地中と地表の双方における繁殖を繰り返すことで遺伝子的にも常に変化を続けており、環境変化に対する耐性を獲得することができるのです。
フィロキセラによる被害
前述のとおりフィロキセラはブドウの根もしくは葉の表面から尖った嘴を突き刺すことで樹液を吸引します。これを行うことによってブドウの根や葉にコブ状のものが作られますが、これにも段階があります。
特に地中における幼生体はまだ若い根をターゲットにして吸引を行っています。
この時点においてはブドウの根は洋梨状に膨らんだ状態にとどまります。この状態における根はまだ本来の役目を果たすことができるため、ブドウの樹の枯死の原因とはなりません。実はこの状態までは、フィロキセラ対策として知られるアメリカ系台木の根においても見ることが出来ます。
しかし根の樹齢が進むに従って膨らんだ程度の状態だったものが徐々にコブ状になっていきます。この程度に従ってその危険度が増していきます。これは根の状態が悪くなるのに従って土壌から十分な量の栄養素や水分を吸い上げることができなくなるためです。
またフィロキセラによって傷つけられた根は地中に存在するバクテリアや雑菌類の影響を受けやすくなるため、これらによって根の腐食や枯死が発生するようになります。このことが結果としてブドウの樹全体の枯死につながっています。
また同様に葉の表面にコブが作られると、葉にある気孔が機能できなくなります。
気孔が正常に機能できなくなってしまうと呼吸や光合成に影響が出るため、徐々に葉の変色が発生し、最終的には葉が枯れて散ってしまいます。このことによりブドウの樹は正常の生態活動ができなくなりますので、やはり樹が枯死してしまうことになるのです。
しかし、葉における被害は一般に根における被害ほど大きくなることはありません。
フィロキセラによる被害は実はフィロキセラだけによるものだけではなく、同時に地中に存在するバクテリアや雑菌類によってももたらされている複合型のものであるということが出来ます。
フィロキセラ対策
フィロキセラに対する対策は大きく分けて以下の2種類があります。
- 薬剤
- アメリカ系品種による台木
薬剤による対策
薬剤の使用はドイツにおいては厳しく規制されています。
ドイツで使用できる条件はブドウ畑に対しては年に1回のみ、ブドウの苗の育成農園に関しては年に2回の使用が許可されています。一方でフィロキセラに対して効果のある薬剤は多くはなく、実際に使用されているものの多くはImidacloprid (イミダクロプリド) というタイプの成分が配合されているものになります。
数少ないフィロキセラ対策としての薬効が期待されるImidaclopridですが、最近ではこの薬剤の使用に関してもより困難さが増してきています。
というのもこのImidaclopridという成分はいわゆるネオニコチノイド (neonicotinoid) 系の殺虫剤に該当しているためです。ネオニコチノイドの使用はミツバチへの影響が大きいとされることから近年は禁止の方向に規制が強化されてきており、この動きに合わせてフィロキセラ対策としてもImidaclopridの使用ができなくなりつつあるのです。
ネオニコチノイドの使用禁止については「フィロキセラとの戦いは困難さを増すのか?」の記事にまとめています。
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フィロキセラとの戦いは困難さを増すのか?
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台木による対策
前述のとおり、フィロキセラは主にブドウの根に対して特に大きな影響を与えます。
なかでもヨーロッパ系ブドウ品種であるVitis vinifera (ヴィティスヴィニフェラ) 種は葉においてはコブが作られにくいという特徴こそ持っているものの、肝心の根においてはフォロキセラに対する免疫をほぼまったく持っておらず、フィロキセラに寄生されるとまたたく間にコブだらけになってしまいます。
一方でアメリカ系のブドウ品種であるVitis riparia (ヴィティスリパリア) 種やVitis rupestris (ヴィティス ルペストリス) 種などはもともとフィロキセラと共存関係にあったためにフィロキセラに対する耐性を獲得しており、Visit vinifera種の場合とは正反対に葉の表面にコブはできやすいものの根に対してはコブが作られることは少なく、フィロキセラに寄生されていても生き延びる事ができます。
このような特徴を持ったアメリカ系のブドウ品種をヨーロッパ系ブドウ品種と接ぎ木してフィロキセラ対策としたものが、台木による対策となります。
台木を用いた対策については「台木ってなんだ?」の記事にもまとめています。
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台木ってなんだ?
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なぜ台木が効果的なのか
ではなぜVisit riparia種やVitis rupestris種はフィロキセラに寄生されてもそれほど影響を受けずに済むのでしょうか?
フィロキセラによる被害は、
根にコブができることによる栄養分や水分の摂取障害
根が傷つけられることによるバクテリアや雑菌への感染
の2種類によってもたらされていることをすでに説明しました。
Vitis riparia種やVitis repestris種はそもそも種としてフィロキセラによる樹液の吸引を受けてもコブができにくい特性を持っていますが、同時に根の重要な組織がある中心部分を囲うように固くコルク化した細胞が存在する、という特徴を持っています。
このバリア層を持つことによってフィロキセラの嘴が根の重要な部分にまで到達することが防がれているのです。
この結果、根の重要な部分がフィロキセラの害を受けずに済みますので、コブの生成がないとともに、バクテリアや雑菌類の重要器官への侵入を防止することができています。
つまりこのバリア層の存在こそがアメリカ系ブドウ品種が獲得したフィロキセラ対策というわけです。
絶対安心、ではない台木による対策
たしかにアメリカ系ブドウ品種を台木として利用することでフィロキセラの被害を抑えることには成功をしています。
しかし一方で、フィロキセラはその繁殖過程において有性生殖による遺伝子の交雑を行っており、今後環境に合わせた変異をしていかないとは誰にも言うことができません。仮にフィロキセラが何らかの変異を起こし、Vitis riparia種やVitis repestris種が持つ根のバリア層を越えて嘴を根の中心に届かせることができるようになってしまえば、その時点で台木を使うことによる対策は何の意味も持たなくなります。
そして我々は、仮にそうなったとしてもネオニコチノイド系薬剤によるバックアップという対策はすでに使えなくなってしまっているのです。
Vitis riparia種やVitis repestris種を台木に使うことが始められてすでに100年前後の時間が流れつつあります。これだけの時間があれば、もういつフィロキセラが対応をした変異を起こしても不思議ではない、ということを我々は知らなければなりません。
フィロキセラ対策はどうすればいいのか
フィロキセラが一度畑に入ってしまうとそこからの完全な除去は容易ではありません。
これはフィロキセラの繁殖サイクルが早いことに加え、生息場所が土の中であるために対策を取りにくいからでもあります。
ですので、フィロキセラ対策を考える場合には以下の2つの方法を同時に考える必要があります。
- フィロキセラが存在してもブドウの樹を守るための対策
- フィロキセラが増えない(感染地域が拡大しない)ための対策
1.のフィロキセラが存在してもブドウの樹を守るための対策とは、主に台木の使用です。耐性のある台木を使用することで仮に畑にフィロキセラがいたとしてもブドウの樹を守ることができますし、収穫も確保することができます。
2.のフィロキセラを増やさないための対策とは、事前検疫を十分に行う、自根のVitis vinifera種の樹を増やさない、休閑地の利用に際しては入念な開墾を行う、引き抜いたブドウの樹を畑に置き去りにしない、などが挙げられます。
特に自根に関してはブドウ栽培家の個人のこだわりのようなもので増やそうとするケースが散見されますが、これは地域もしくは国全体で見ればフィロキセラ対策として非常に悪手です。この点に関してはワイン用ブドウの栽培家にはより広い視点で自身の行動を律することが求められている、とも言えます。
今回のまとめ
一度フィロキセラに感染してしまった土地からこの害虫を完全に駆除することは非常に難しく、ほぼ不可能と考えるべきものです。ですので、今回のオーストラリア、ヤラ・ヴァレーの畑のように新たな被害が生じてしまった場合には、如何にそれ以上感染地域を拡大させないかに注力することになります。
感染してしまってから対策を行うのはもちろんですが、それ以前から、いかにフィロキセラが拡大しやすい環境を作らないようにするのか、ブドウ栽培家は注意を払わなければなりません。