ワインにとって酸は欠かせない要素です。
ただ、酸は多すぎても少なすぎてもダメ。全体とのバランスがとても大事です。
ワインには複数の酸が含まれていますが、ワイン造りの視点から見て特に重要なのは酒石酸とリンゴ酸です。この2つの酸はワインに含まれている酸の中でも特に量が多く、ワインの持つ酸味にも強く影響を与えています。
ワイン造りの過程で味を調整するために酸味のバランスを取ろうとするとき、多くの場合はワインに含まれている酸の量を減らします。
最近は気候変動の影響で収穫時期にブドウに含まれる酸が必要以上に少なくなってしまう、酸落ちと呼ばれる現象が問題になってきています。そうなると醸造過程で酸の量を減らす必要はないように思えます。一方で、複数ある除酸方法のなかには酸の量を減らす以外にもワインに影響を及ぼすものがあります。
そのうちの1つが赤ワインの醸造で有名な、マロラクティック発酵 (Malolactic fermentation: MLF) です。MLFは乳酸菌の働きでワインに含まれているリンゴ酸を乳酸と呼ばれる、独特な香りを持つ、酸味の弱い酸に変えようとする醸造手法です。乳酸菌を使用しているため、乳酸発酵とも呼ばれます。
MLFは一言でいってしまえば、乳酸菌がワインの酸をマイルドにしてついでにバターやクリームのような香りを持たせる、と説明できますが、実態はもう少し複雑です。
そもそも乳酸発酵ではリンゴ酸は乳酸に変わりません。
この記事ではMLFの実態とその周辺について解説をしていきます。
MLFの歴史と概要
ワインには複数の酸が含まれています。そうした酸の中で、乳酸菌が使用できる酸はリンゴ酸が中心です。
ワインに含まれる酸の大部分を占める酒石酸とリンゴ酸ですが、どれだけの量がブドウに含まれるのかはそれぞれ別の特徴を持っています。
酒石酸の含有量は基本的には生育期間中の天候による影響をほぼ受けません。これに対してリンゴ酸は全くの対極にいます。天候に恵まれた年には含有量が減り、悪天候だった年には含有量が増えます。
天候に恵まれた年のブドウ果汁に含まれる総酸量は減る傾向を示し、恵まれなかった年の総酸量は増える傾向にあります。つまり、天候に恵まれない年の方がブドウは酸っぱくなり、その裏側ではリンゴ酸の量が増えているわけです。
こうしてみてみると、悪天候の年に含有量が増え、結果としてブドウを酸っぱくしているリンゴ酸を狙って除酸できるMLFという手法はとても有効な手段のように思えます。
MLFが世間に広く知られるようになったのは1918年のことです。この年、Hermann Müller-Thurgau (ヘルマン ミュラートゥルガウ) らによって乳酸菌がワインに含まれるリンゴ酸を分解する事実を論文として公表しました。
一方で1890年にはすでにMüller-Thurgauがバクテリアを原因とする酸の分解が生じる可能性があることを示唆しており、1897年にAlfred Kochがこの説を証明。その後、オーストリアのW. SeifertがDiplokokkusの一種が原因であり、リンゴ酸が乳酸と二酸化炭素に分解される点を突き止めています。
1918年の論文はこうした研究をまとめたものですが、同時に論文内では乳酸菌の利用がリンゴ酸の分解を促すだけではなく、ワインに対してネガティブな影響を与えるリスクがある点がすでに指摘されています。
なおほぼ同じ時期に乳酸菌だけではなく、酵母も酸の分解に関わる事実が発見されています。
MLFは発酵なのか
MLFはマロラクティック発酵の略ですし、乳酸発酵とも呼ばれます。つまり、発酵の一種だとされています。
確かに乳酸菌は発酵によっても乳酸を作り出しますが、リンゴ酸を乳酸に変える工程は実は発酵とは少し異なります。厳密な言い方をすると、乳酸菌は代謝を行う過程でリンゴ酸を細胞内に取り込み、乳酸として排出しています。
つまり乳酸菌の主要な目的は発酵を通してエネルギーを獲得することであって、リンゴ酸を取り込むことでも、そこから乳酸を作り出すことでもありません。これらはそれぞれ別のものです。
発酵とは微生物が自分自身に必要なエネルギーを獲得するための代謝のことを指しています。この原則に従えば、エネルギーの獲得を伴わないリンゴ酸から乳酸への変換は発酵ではありません。
ではなぜMLF、発酵といっているのかといえば、上述の通り乳酸は発酵を通しても乳酸を生成しているためです。非常にややこしいところです。少し整理しましょう。
リンゴ酸を消費しない乳酸発酵
まず乳酸菌は自身が生存するために必要なエネルギーを獲得するために発酵を行います。この発酵は一般にグルコースを消費します。乳酸菌が行う発酵には2種類、ホモ型とヘテロ型がありますがどちらもグルコースを消費する点に違いはありません。
ホモ型の発酵ではグルコースを消費しておよそ90%を乳酸として排出します。一方でヘテロ型では取り込まれたグルコースは乳酸だけではなく、エタノールと酢酸塩にも分解されます。
両者の間で発酵による生成物に違いはありますが、原則としてどちらの型の発酵であってもリンゴ酸は必要とされません。
一方で乳酸菌は代謝を行う過程でリンゴ酸を細胞内に取り込む特性があります。乳酸菌の細胞内に取り込まれたリンゴ酸は酵素による分解を通して酸度が半分の乳酸に変換されます。化学的な除酸手法と違ってこの場合、酸はワインから析出して取り除かれはしませんが、酸度が半分になるため測定される酸量も半分になります。
積極的にリンゴ酸を分解する乳酸菌の酵素がMLFの立役者
ワイン造りの現場においてワインの酸量を減らす目的であれば、影響が大きいのは乳酸菌の代謝、つまり発酵プロセスによって作り出させれる乳酸ではなく、発酵にはかかわりのない、リンゴ酸の取り込みから生じる乳酸と二酸化炭素への変換になります。
ではなぜこうなってしまうのかというと、それは乳酸菌がもつ酵素の特性によります。
乳酸菌が持つ酵素は糖分よりもリンゴ酸に対する親和性が高く、発酵のために糖分を取り込んでいてもその糖分を無視してリンゴ酸と反応してしまうのです。この事実はワインに含まれるリンゴ酸の量を効率的に減らしたい側からみれば大変ありがたい特性ですが、本来は糖分を分解したい乳酸菌としては不本意な結果ともいえます。
なおホモ型とヘテロ型がある乳酸発酵ですが、ホモ型、ヘテロ型のどちらの発酵を行うかは乳酸菌の株の種類によって異なっており、各種の条件からワイン造りの現場で採用されているのは主にヘテロ型の発酵となっています。
補足
もともと乳酸菌がどのような目的でリンゴ酸を取り込み乳酸としては排出しているのかが疑問とされていましたが、最近になってこの過程でも乳酸菌がエネルギーを獲得しているとの指摘がされています
ワイン造りに適した乳酸菌、適さない乳酸菌
ワイン造りに最も適しているとされている乳酸菌はOenococcus Oeniと呼ばれる株です。Oenococcus oeniはかつてはLeuconostoc Oenosと呼ばれていましたが、他のLeuconostoc類の株とは大きく異なる性質を持っていたために今では単独の種として区別され、Oenococcus Oeniと呼ばれるようになりました。
Oenococcus Oeniはヘテロ型の乳酸発酵を行う株ですが、pHの低い環境にも耐性があること、アルコール耐性が高いこと、ワインの欠陥臭の原因になる物質をほぼ生成しないことからワイン造りに適した株といわれています。
一方でホモ型の乳酸発酵を行うPediococcus種の株は比較的低いpHでも生存できる点はワイン造りに適しているものの、ダイアセチルの生成量が多いほか、欠陥臭の原因物質を作るリスクが高いとしてワイン造りの現場で意図的に採用されることのない株の代表となっています。
過去の調査ではワイン中から検出された700種類以上の乳酸菌のうち、ヘテロ型の発酵形態をもつものはホモ型の発酵形態を持つものより10倍多く、リンゴ酸の分解能を持たなかった株はわずか3種、酒石酸に対してはすべての株が代謝できなかったと報告されています。
こうした調査を通して、現時点においてはもっともワイン造りに適した条件を持つ株がOenococcus Oeniであるのです。
乳酸菌はどこからやってくるのか
乳酸菌はブドウ果汁の中には自然に存在しません。乳酸菌がブドウ果汁、もしくはワインの中に存在する理由は以下の3点が挙げられます。
- ブドウの表面に付着していたものがプレス等を通してジュースに混入
- 醸造器材、木樽、タンク、ホースなどに付着し、生存していたものがそれらの器材の使用を通して混入
- 添加
ブドウの表面に予め付着している乳酸菌の数には非常に大きなバラツキがあることが分かっています。また搾汁直後のジュースで確認されることの多い乳酸菌はLeuconostoc mesenteroidesやLeucon. paramesenteroidesですが、これらの株は酸やアルコールへの耐性が低く、醸造過程中に早急に個体数を減らす傾向にあります。
これに対してOenococcus Oeniはその高い酸耐性により搾った直後のブドウ果汁の段階から、ワインになるまでの期間を通して生存し続けることが可能です。この乳酸菌はアルコール発酵中にも増殖を行えますが、酵母との栄養分の競争が生じるために増殖率は低く抑えられ、個体数が最大になるのは発酵が完了してからさらに数週間後となります。
自然に果汁中に混入してきた乳酸菌が増殖して代謝を行うようになるまでには長い時間がかかります。また場合によってはそもそも果汁中に乳酸菌が存在しておらず、いくら待ってもMLFが始まらない可能性もあります。このため最近では多くのワイナリーで乳酸菌を人工的に添加するようになっています。
効率的なMLFに必要となるもの
MLFを効率的に行うのに必要となるものが意外に多くあります。乳酸菌が増殖するためには糖分のほかにアミノ酸、ビタミン、ミネラルを必要とします。この一方で乳酸菌は嫌気性微生物であるため酸素は必ずしも必要としません。
すでに見てきたように乳酸菌は乳酸発酵と呼ばれる発酵を行いますが、ワイン造りの現場で必要なのはその横で行われているリンゴ酸の分解です。
乳酸菌によるリンゴ酸の分解量はこのバクテリアの個体数に依存します。つまり、より多くの量のリンゴ酸を短期間に分解させようとすると、より多くの個体数が必要となります。リンゴ酸の代謝に必要となる糖分の量はほとんどの株で0.4 ~ 0.8 g/lと多くはありませんが、それ以外の栄養分に関しては乳酸菌の種類によって要求量にかなりの差があります。
特にMLFを行うための主要株であるOenococcus Oeniはアミノ酸の要求量が多いほか、ビタミンでも他の株と比較して多くの種類を必要とする、とても燃費の悪い株です。こうした必要栄養素の多くは発酵が終わり沈殿した酵母の死骸が自己分解する過程を通して供給されますが、醸造方法によってはこうした栄養素の供給源を持たないケースもあるためより効率的なMLFを行うためには必要に応じた測定と添加が必要となります。
今回のまとめ | 除酸だけではないMLFの影響
MLFを行う最大の目的はワインに含まれる酸量の引き下げだと思われることも多い一方で、MLFを通してワインが受ける影響は決してそれだけにはとどまりません。MLFを行う理由には以下のようなものが挙げられます。
- 酸量の引き下げ
- 香りと味の変化
- 微生物的安定性の確保
- SO₂の要求量の引き下げ
MLFを行うことによってワインにバターのような香りやクリーミーなニュアンスが付くことは有名です。これは主に乳酸菌の代謝過程でダイアセチル (Diacetyl、ジアセチルとも) が生成されることに起因します。一方で多すぎるダイアセチルはワインにとって欠陥臭とされるほか、MLFで動いた乳酸菌株の種類によってはまた別のオフフレーバーが生じる可能性もあります。
このほかMLFによって乳酸菌がリンゴ酸だけではなく、アミノ酸やビタミン、ミネラルといった他の雑菌類が増殖する際に必要とする栄養素を予め消費してしまうためにワインの微生物的安定性が改善されます。また乳酸菌は亜硫酸 (SO₂) との結合力が強いアセトアルデヒドやケトン系化合物を消費するため、ワイン中における遊離型SO₂の量を改善する働きがあります。これらの効果は場合によってはワインの酸量を減らす以上に意味のある効果とも言えます。
一方で問題はやはりワインへのネガティブな影響です。
Oenococcus Oeni株以外、特にPediococcus類の株が動いてしまうのは論外ですが、仮にOenococcus Oeniしか動かなかったとしてもその結果が必ずしもポジティブになるとは限りません。MLFは微生物の代謝に頼る手法であるために、絶対に確実な結果が約束されていないためです。
微生物の挙動は非常に繊細なもので、環境の条件が少し変わるだけでも異なる結果を引き起こします。また醸造所の中で使用している器材を通して意図していなかったワインに乳酸菌のコンタミネーションを起こしてしまうリスクもあります。
赤ワインといえばMLFと思われがちな側面もありますが、そのワインにとって本当にMLFが必要なのか、造り手はしっかりと考える必要があります。