何かとフランス語の借用が多いため、分かりにくく馴染みにくいのがワインの醸造関連用語。
ですが、そんななかにあって“カーボニックマセレーション”という名前を何となく耳にしたことがある人は意外と多いのではないでしょうか?
カーボニックマセレーションとは、一般にはシャンパーニュ(シャンパン)と並んで日本でもひときわ知名度の高いワインである、「ボジョレー・ヌーヴォー」の生産手法として広く知られている醸造手法のことです。
日本ではカーボニックマセレーション (Carbonic maceration) と英語からの訳で呼ばれることが多いようですが、フランス語ではMacération carbonique (マセラシオン カルボニック) と語順が逆になります。言語の違いによる呼称の違いなのでどちらが正解というものでもないのですが、筆者はフランス語側の方が馴染みがありますし、専門書などの類を見てもこちらの方がメインに使われていることが多いように思います。
呼称方法が複数あるだけですでに分かりにくいようにも感じられるこの手法、知名度が高い割に実はあまり正しくその内容が理解されてない醸造方法の1つでもあります。
今回はこのMacération carboniqueについて解説します。
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Macération carboniqueとはなんなのか
まず先に確認ですが、このMacération carboniqueという手法については
赤ワインのみに使用する手法
ボジョレー・ヌーヴォーのための醸造方法
と思われている節がありますが、どちらも間違いです。
確かに手法の性質上、白ワインに使用することは少ないですが適用できないというものではありません。またこの方法によって造られたワインとして有名なものがボジョレー・ヌーヴォーであるだけで、このワインのための専用の醸造手法というわけでもありません。
多少、特殊な分類には入りますが一般的な醸造手法の一つです。
技術としても1935年に初めて提唱され、その後60年代になって利用され始めたものですので、それほど新しいものというわけでもありません。
醸造手法の詳細はこれからしていきますが、概要としては意外にも「炭酸ガス含浸法」という日本語訳が端的に内容を表しており分かりやすいかと思います。
Macération carboniqueとは二酸化炭素(炭酸ガス)雰囲気下にブドウを置くことで果皮からの抽出と一部有機酸の分解を“果実内において”促す手法のことです。
渋みの少ないフルーティーなワインを造る手法
Macération carboniqueを用いて造られたワインの特徴は、
- 渋みが少なくフルーティーである
- 早飲みに適している
- 長期熟成には向かない
というものです。
これをより醸造的な言葉に置き換えてみると、
- タンニンが少ないために渋み、苦みが少なく飲みやすい
- 一部の有機酸が分解されているため長期熟成をしたワインのように酸味が穏やか
- ある意味で熟成した状態で造られている
- フェノールも酸も少ないので熟成には向かない
ということであり、まさにこの醸造手法の特徴を表したものになります。
どういうことなのか以下に見ていきます。
「酵母」ではなく「酵素」による反応
Macération carboniqueは発酵という単語を使って説明されることがあるため、“発酵=酵母による反応”という理解を伴って受け取られていることがあるようです。
しかし実際にはMacération carboniqueのプロセスはブドウの果実内に存在する酵素の反応によって引き起こされ実行されるもので、酵母は一切介在しません。
一方でMacération carboniqueはその実行時のバリエーションとして通常の醸し発酵と並行して実施されるケースがあります。
ここでは発酵のための酵母も同時に存在しているため非常に混同されやすいのですが、手法としては明確に切り分けて理解する必要があります。
酵素反応を「内向き」にするための嫌気環境
Macération carboniqueにおける重要な条件の一つはブドウの果実を二酸化炭素雰囲気下に置くことです。
この時に求められる雰囲気中における許容酸素濃度は1%以下となります。
酸素を極力排除して二酸化炭素主体の雰囲気を作る、というとついつい加圧環境を想定してしまいがちになりますが、Macération carboniqueにおいてはこの条件は加圧が目的ではなく、酵素の働きを内側に向けることが目的となります。
酵素が活性化する際にはほとんどの場合において酸素が必要となります。
それに対して外部の雰囲気中から酸素をなくすと、酵素はブドウの果粒中に存在する微量の酸素を使って活性を得ようとします。つまり酵素の働きが外向きのものから内向きのものへと逆転されます。
この結果、ブドウの細胞壁内で完結した酵素反応が生じます。この反応こそがMacération carboniqueの目指しているものです。
酵素によるリンゴ酸の分解反応
Macération carbonique中に起きる酵素反応の中で最も大きなものがリンゴ酸の分解です。
リンゴ酸の分解というと乳酸菌を用いたMLF (Malo-Lactic Fermentation、マロラクティック発酵) が有名ですが、最大の違いはMacération carboniqueにおける酵素反応ではリンゴ酸の分解による乳酸の生成が生じないことにあります。
一方でこの反応の結果として最大でおよそ2.5%vol.程度のエタノール、つまりアルコールが作られます。
メモ
余談ですが、このアルコールが作られる、ということがMacération carboniqueを「発酵」という単語を使って説明している原因の一つだろうと思われます。
Macération carboniqueにおける酵素反応によって分解されるリンゴ酸の量は環境温度やブドウ品種によって異なりますが最大値で元の含有量に対して57%にも上ったという報告もあります。
この酸の分解過程においてエタノールが生成されることはすでに書きましたが、このほかにもグリセリンやコハク酸、シキミ酸、ギ酸などが少量ながら生成されることが分かっています。またこのリンゴ酸の分解と並行してペクチンの分解も生じており、これに伴ってメタノールが生成されていることもこの手法の特徴の一つといえます。
果肉部分への色素の抽出
Macération carboniqueにおけるもう一つの特徴として色素、つまりAnthocyanin (アントシアニン) の抽出があります。
通常はAnthocyaninの抽出というと果皮から果皮の“外側”に存在している果汁への移行を言いますが、Macération carboniqueにおいては果皮の“内側”に向かっての抽出となります。
Macération carboniqueをしたブドウの果粒の果肉は果皮から抽出されてきたAnthocyaninによって極めて濃い赤色に染まっています。この赤く染まった果肉をプロセス終了後にプレスすることによって色の濃い、色鮮やかな果汁を得ることが出来るのです。
この“内側に向かった抽出”の効率は極めて高く、Macération carboniqueを行った果実をプレスして得られる果汁の色味は通常の醸し発酵を行ったものに対して、ブドウ品種による差はあるものの、2倍程度濃くなることが分かっています。
なお今更ですが、Macération carboniqueとはそれだけでワイン造りが完結する全体的な醸造手法のことではなく、ブドウの収穫とプレスもしくは発酵の間に行われる醸し工程の1バリエーションのことです。
つまり厳密な意味ではMacération carboniqueの後に通常のアルコール発酵工程が必要となります。
なぜタンニンが少なく渋みがないのか
Macération carboniqueの環境下においてはタンニンが抽出されにくい条件に置かれていることがこの手法を用いたワインでタンニン量が少なく留まる大きな理由です。
もう少し詳しく解説します。
まず押さえておきたい点は以下の二つです。
- 色味の要因であるAnthocyaninはその多くが果皮に存在するのに対してタンニンは種子に多く存在する
- タンニンは主にアルコールに対して可溶である
Macération carboniqueプロセス中におけるブドウの果実は原則として破砕されていない状態にあります。このため当然ですが種は通常の“醸し”のような状態で果汁に接していません。
またMacération carbonique中におけるアルコールの濃度は反応終盤の時点でも平均して2% vol. 程度に留まっています。
タンニンの供給源である種子が積極的に果汁と接触しているわけではなく、また接触しているにしてもそこに含まれるアルコール度数が2% vol. 程度にすぎないというこの2点によって事実上、タンニンはほぼ抽出されることがありません。
その後のアルコール発酵はプレス後の果皮および種子から果汁が分離された状態で行われるためにやはり種子がアルコールと接触する機会がなく、タンニンの抽出もされないためにタンニンによってもたらされる渋みの少ない、白ワインのようなフルーティーさをもったワインが造られるのです。
Macération carboniqueのやり方
Macération carboniqueにはそのやり方においていくつものバリエーションがあります。そしてこのバリエーションの多さがこの手法を理解することの大きな妨げになっているようにも思います。
まずMacération carboniqueを行う上での前提条件は以下のようなものです。
- 100%健全な果実のみを用いる
- プロセス容器内におけるブドウの果粒は潰れていない状態である
- 二酸化炭素雰囲気が形成されている
一方で実際の作業を考えるとこの条件をすべて満たすことがかなり難しいことが分かります。
特に2.のブドウが潰れていない状態の保持という条件の達成はほぼ不可能です。というのも容器にブドウを入れる際に自重や投入時の落下によって果実が潰れることが避けられないためです。
この潰れたブドウから出てきた果汁をどう扱うのか、ということを出発点として複数のバリエーションが考えられ、実行されています。
あくまでも厳密な意味で行う方法
まず最初のバリエーションはあくまでもMacération carboniqueの原則に則った方法でこのプロセスを完了させる方法です。
このバリエーションではブドウを容器に入れた後に、そこで出てしまった果汁を一度容器から抜きます。
そうしてあくまでも果汁が果実の周囲に存在していない状態でMacération carboniqueのプロセスを完了させ、プレスした後の果汁に再度抜いておいた果汁を戻してアルコール発酵を行います。
確かにMacération carboniqueの原理原則に則った方法ではありますが、手間がかかる上に微生物汚染をはじめとした各種リスクも高くなり、さらにコストも高くつくという、合理性を欠いた方法とも言えます。
またこの方法においてはMacération carboniqueで必要となる二酸化炭素ガスは全量を外部から充填する必要があります。
通常の醸し発酵と並行する方法
こちらはより現実的な方法です。
容器にブドウを入れた際に生じる果汁はそれはそれとして酵母を添加し、アルコール発酵工程に進ませつつ、容器上部の潰れていない果実内ではMacération carboniqueを行うという2つの状態を並行して行っていくものです。
この際に発酵に回す部分を自然に容器内でブドウが潰れて生じた果汁のみに留めるのか、一部果実をあらかじめ破砕して加えるのかはワイナリーの考え方によって異なります。
いずれの場合においても野生酵母による発酵はせっかくのMacération carboniqueによって得ることのできる特徴を損なう恐れがあるため、乾燥酵母を添加することが一般的です。また発酵環境が終始、二酸化炭素雰囲気下になることも培養酵母を使用する大きな理由となっています。
この方法においてはプロセス冒頭ではあらかじめ容器内を外部から充填した二酸化炭素ガスで満たしておくことが望ましいですが、その後は発酵によって生じる二酸化炭素によって賄うことが可能です。
なお繰り返しになってしまいますが、この“酵母を加える”というプロセスはあくまでもMacération carboniqueと並行して行われているアルコール発酵工程のためのものですので、Macération carboniqueとしてのプロセスとは全くの無関係である点には注意してください。
今回のまとめ
Macération carboniqueは本来、果実と果汁の外部接触がない状態で行われるものですが、実際の醸造現場においては通常のマセレーションやアルコール発酵と同時並行で行われることが一般的です。
このような複数の手法と組み合わされることで様々な複合的な影響が生じ、その結果、純粋な意味でMacération carboniqueのみの影響を受けたワインというものは実はそれほど多くはありません。
またこの絡み合った複数の手法の並行実施が外から見たときにこのプロセスが実際にはどういうものなのかを理解することを困難にしています。すべてを合わせてMacération carbonique、というような言説さえ見受けられます。
ボジョレー・ヌーボーの影響もあってどうにも名前先行で認識が進んでいる傾向の強いこの醸造手法。
内容を正しく理解することで、この手法を用いたワインがどのような意図によって造られ、それが成功しているのかどうかが分かるようになります。手間がかかり、コストも高い手法ですが、それを敢えてワイナリーが用いている理由が分かると、ワインの味わいも違って感じられるようになるかもしれません。
こちらの記事から大事なところだけをまとめまおしてさらに簡単にMacération carboniqueを解説した記事も公開しています。まだこの醸造方法がよく分からない、という方はご覧になってみてください。