不快臭

増えるワインの欠陥臭、スモークテイントとはなんなのか

11/29/2023

いま注目を集めているワインの欠陥臭があります。スモークテイント (Smoke taint) です。

スモークテイントとはブドウが煙に暴露されることで生じる欠陥臭で、テイスティングでは「スモーキー」、「焦げたゴム」、「ベーコン」、「消毒剤」、「灰」のようなニュアンスとしてコメントされます。焚き火やバーベキューの傍らで感じる、燻したような香りをイメージしてみるとわかりやすいと思います。

通常、ワインからそうした香りを感じることはありませんので、欠陥としての臭い、オフフレーバーとして扱われています。ローストを効かせた木樽を使ったワインから似たような香りを感じることもありますが、スモークテイントはそうしたいわゆるロースト香とは違い、もっと焦げた、煙のようなニュアンスが強いものとなります。

スモークテイントは2000年初期ころからワインのオフフレーバーとして指摘されるようになった、比較的新しい欠陥臭です。そのため研究対象としても新しく、最初のレポートが発表されたのは2007年のことです。しかしそれ以降、一気に研究事例が増えており、最近では世界中で注目されるようになってきています。

背景にあるのは、世界的な気候変動です。

なぜいま、スモークテイントが注目されているのか。解説していきます。

増える森林火災

スモークテイントはブドウの果実や樹が煙にさらされることで生じる欠陥臭です。そしてこの煙の原因となるのが、森林火災です。このため以前、スモークテイントはカリフォルニアやオーストラリア、南アフリカ、チリ、カナダなど森林火災の多い生産地域に特有のオフフレーバーとして認識されていました。

しかしここにきて状況が変わってきています。世界的な気候変動を背景に、気温の上昇、降雨量の減少と降雨期の変動、強風の発生などが生じており、これまでは山火事が心配されることがなかった地域でも大規模な森林火災が発生するリスクが急速に高くなっているためです。

欧州地域では近年、年間でおよそ50万ヘクタールが火災で焼失し、そのうちの85%が地中海沿岸諸国でおきているといいます。しかも今後、発生件数もその被害面積も増加の一途をたどると予想されています。さらには気温の上昇と乾燥の進行により、北欧地域に存在する北方林さえもが森林火災のリスクに晒されていると指摘されてもいます。

こうした火災の多くは6月から10月までの間に発生しており、ちょうどブドウの生育期間から収穫期間に当たっています。スモークテイントは火事による煙との接触が原因となるため、仮にブドウ生産地域から多少の距離を隔てた場所であったとしても、大規模な火災により生じた煙が風に乗って流れてくることが潜在的なリスクとなり得ます。現状、ある程度の視認性が確保できる程度の状況であれば被害につながることはないとも言われていますが、正確な暴露条件は特定されておらず、確実とはいえません。スモークテイントは今や、世界中の生産地域が他人事とは思えない存在になってきているのです。

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原因はリグニンと揮発性フェノール

ワインに感じるスモークテイントの原因となる物質はおおよそわかっています。揮発性フェノール類です。

そのなかでもグアイアコール (guaiacol, 2-methoxyphenolとも。正露丸様の匂いを持った物質)、4‐メチルグアイアコール (4-methylguaiacol)、4-エチルグアイアコール (4-ethylguaiacol)、4-エチルフェノール (4-ethylphenol)、オイゲノール (eugenol)、フルフラール (furfural) などが煙に曝露されたブドウから主に検出されることが知られています。一方で、これらの物質のなかのどの物質が決定的な原因物質なのかはまだわかっていません。

特定できない原因物質

欠陥の原因となる揮発性フェノール類は森林火災の際に燃料となる植物類に含まれているリグニン (lignin) と呼ばれる成分が熱分解することで生じます。リグニン自体は植物が木化する際の必須成分であるためほぼどの植物にも含まれていますが、一方でその組成は植物によって異なっています。つまり、国や地域どころか森林の場所、さらには季節や年ごとによってそこに存在しているリグニンの状態には違いが生じます

スモークテイントの原因物質を同定しようとしていく中で難しいのは、組成の異なる原料が、それぞれ異なる燃焼条件によって燃やされている点です。前提となる条件がそれぞれ異なるため、そこから発生する揮発性フェノール類も一定したものにはなりません。ある調査によると、実際に煙害に遭ったブドウからは30種類を超える揮発性フェノール類が検出されています。こうしたフェノール類の中にはワインの香りや味に悪影響を出すものと出さないものが混在していると考えられており、影響の度合いに基づいた峻別が必要とされています。また、従来はグアイアコールおよび4-メチルグアイアコールが主な原因物質とされてきましたが、これらは測定マーカーに過ぎず、実際にはより広範な物質による複合的な欠陥なのではないかとも言われています

発生までのメカニズム

ワイン中で揮発性フェノールが検出されるようになるまでの流れはブドウやブドウの樹が森林火災によって生じた煙に晒されることから始まります。

一般にスモークテイントはブドウの果皮表面に煙を介してそこに存在する原因物質が付着することで発生すると考えられがちです。このため煙害が発生したあとでブドウを洗浄すればいいのではないか、と言われることもありますが、実際には原因物質はブドウの表面ではなく内側に存在しています。そのため仮にブドウを洗浄してもスモークテイントの発生を避けることはできないことがすでに実証されています。

ブドウに吸収される揮発性煙化合物

植物組織に含まれるリグニンが燃焼することで発生した揮発性フェノールを含む化合物はその他の物質もまとめて含まれた煙となってブドウ畑を覆います。その後、これらの化合物は接触箇所からブドウの果実内、もしくは葉や茎といった部位に吸収されます。化合物が吸収される厳密な経路はまだわかっていません。しかし吸収された物資の植物組織内の移動は最小限であることはわかっているため、煙の触れた場所から直接吸収されるらしいことがわかっています。

また煙に30分接触しただけのブドウの樹から収穫されたブドウで造られたワイン中ですでに揮発性フェノールの含有量が増加していることが明らかにされています。このことから、こうした吸収作用はほぼ即時的に行われているのであろうことが指摘されています。また同時に、森林火災後に煙害に遭ったブドウ畑でなにかしらの対策を行ってもすでに手遅れであることがわかります。

不揮発化する化合物

ブドウの植物組織内に吸収された原因物質は最初はアグリコンとして存在しますが、その後急速にブドウの組織内に存在する糖と結合 (グリコシル化) して不揮発性の配糖体となります。この際に生成されるのがグリココンジュゲート (glycoconjugate) と呼ばれる複合糖質です。この物質はいわゆる前駆体としてブドウや果汁中に存在することになります。

非常に簡単にいうと、ブドウに吸収される時点ではその物質は揮発性であるためにヒトが匂いとして感知することができますが、一度吸収され、前駆体となると揮発性を失うため再度揮発化するまでヒトはその物質を匂いで検知することができなくなります。これがスモークテイントの被害が大きくなりがちな原因の1つです。ワインメーカーはブドウを収穫した時点でそのブドウがどの程度煙によって汚染されているのかを容易には知ることができないのです。

避けることのできない酸と唾液

前駆体としてブドウ中に存在するようになった原因物質はそのまま醸造工程を通してワイン中に入り込んできます。ワインに混入した前駆体の一部は発酵中に酸や酵母の生成する酵素を通して分解され、再度、揮発性をもった芳香性有機化合物となり匂いを発するようになります。例えばグアイアコールを感じる閾値は0.0074ppmと非常に微量であるため、汚染の程度が酷い場合にはこの時点でスモークテイントを知覚するようになります。

ある検証事例では前駆体となる揮発性フェノール配糖体が20mg/L存在していた場合、そこから100μg/Lを超える量の揮発性フェノールがワイン中に放出されたと報告されています。これは0.1ppm超に相当し、グアイアコールの閾値を大幅に超える量の揮発性フェノールがワイン中に存在することを示しています。

一方、発酵中にはスモークテイントによる欠陥を感じなかった場合でもその後にこの欠陥が出てくる場合があります。不揮発化した揮発性フェノール類は酸や酵母による酵素だけではなく、ヒトの唾液に含まれる酵素によっても分解され揮発化します。このため、保管を含めた熟成期間中にワインに含まれている酸によって分解されて揮発化する場合もあれば、そのワインを飲む際に口中で分解され匂いを発するようになる場合もあります。ワインからこの欠陥を完全に除去するには不揮発状態の前駆体を含めたすべての対象物質を取り除く以外に方法はありませんが、そのような方法はまだ実用化されていません。

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有効な対策のない欠陥臭

他のワインの欠陥臭と同様、スモークテイントも一度発生してしまうと完全に除去することは非常に難しく、ほぼ不可能とされています。現状、有効とされる対策も生じた欠陥臭を取り除くのではなく、軽くして分かりにくくすることに主眼がおかれています。しかしそうした対策も欠陥の程度がひどい場合には効果はなく、オフフレーバーを含むことをわかった上で販売するか、販売を諦めて廃棄するかしかないのが現状です。

スモークテイントへの対応が難しい理由の1つは、ブドウの汚染状況が簡単にはわからない点にあります。前駆体として存在している物質の検出にはクロマトグラフィーなどの高価な精密測定機器が必要となるため、個々のワイナリーが自身で所有することは現実的ではなく、また検査機関に検査を依頼するにしてもコストが膨らみます。だからといって特に検査をしないままに手間ひまかけてワインに仕上げたあとでスモークテイントを含むことがわかり、しかもその程度が悪く廃棄せざるを得ないような場合にはワイナリーが被る経済的被害は相当に大きなものになります。

最近では森林火災が頻発する一部の国や地域では煙害に対応した保険も売られ始めているようですが、雹害に対する場合と同様、ワイナリーにかかる負担は相応なものであり、そうした選択肢を取ることのできるワイナリーは限られてもいます。

現状、スモークテイントの程度を低減するような醸造手法や、ワインに含まれる揮発性フェノールをある程度除去することのできる手法の開発などが行われてはいます。しかし、いずれもワインのスタイルに小さくない影響を及ぼすものとなっており、技術としてないよりはまし、というくらいの範囲に留まっています。程度の酷いスモークテイントを含むワインは、言ってみれば極めて強いローストの樽を効かせすぎたワインよりもさらに輪をかけて強い焦げ感を伴うものなので、とても売り物になりません。仮にこうした状態のワインを現在検討されている手法を用いることで状態を少しでも改善し、商流に乗せることができるのであればそのことにはもちろん、意味があります。しかし、それをもってしてもワイン本来の香りや味わいを取り戻せないのであれば、生産者にとっては致命的なものであることに違いはないこともまた事実です。

世界で発生している森林火災の80%以上は人為的な原因に基づくものだといわれています。以前はそうした原因が存在していたとしても、幸運にも大事にならずに済んでいた環境が昨今の気候変動を背景に変わりつつあります。一度環境が変わってしまえば、そこに原因が存在している以上、火災が発生するのはもはや必然ともいえます。

最近のワイン業界ではワインツーリズムの一環として、畑の周辺に観光客を引き込む取り組みも盛んに行われつつあります。こうした取り組みはワインの販売を促進する好影響を生み出している一方で、タバコのポイ捨てなどによる火災事故の発生件数もまた増加傾向をしています。こうした環境の変化もまた、ブドウ畑が予期せぬ煙害に遭遇する可能性を引き上げています。一度火災が発生してしまえばブドウ畑自体が焼失するリスクだけではなく、スモークテイントを通してワインが売り物にならなくなるリスクも発生します。そしてそうしたリスクはもはや世界中のワイナリーにとって、他人事とはいえなくなってきています。

現在検討されているスモークテイントへの対応手法に関しては限定記事で詳しく扱います。

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  • この記事を書いた人

Nagi

ドイツでブドウ栽培学と醸造学の学位を取得。本業はドイツ国内のワイナリーに所属する栽培家&醸造家(エノログ)。 フリーランスとしても活動中

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