ワインを透明にする冷却処置
ここで冒頭のPostの写真に戻ります。
今週はこの2枚の写真に関係する内容で久しぶりにきちんとした醸造関連の記事を書く予定でいます
仮題: 「自然?なワインの造り方」 pic.twitter.com/wNDzg58DQh
— Nagi@ドイツでワイン醸造家 (@Gensyo) November 7, 2020
この写真の1枚目は私が管理しているワイナリーのタンクの中で現在まさに発酵中のワインを向いてきた直後のものです。そして2枚目の写真は同じボトルを一晩、屋外に静置しておいたものになります。静置の時間はおよそ24時間。夜間の気温は天気予報によれば‐3度でした。
こちらの写真では分かりにくいのですが、2枚目の方では全体的にボトル内の液体の色が薄く、明るくなっているのがお分かりいただけるでしょうか?
夜間の冷え込みにより液温が十分に引き下げられた結果、それまで液中で活発に代謝を行っていた酵母がその活動を停止し、発酵が中断されています。発酵が止まったことにより炭酸ガスの排出がなくなり、酵母表面に付着する二酸化炭素がなくなり浮力を失ったために、酵母が沈殿を始めています。
この状態をさらに保持すれば、早くて1週間から10日程度で液体は少なくともヒトの目で見た限りでは完全に透明な状態になります。
つまり、フィルタリングを行うことなく、フィルタリングの第一の目的であるワインの透明化が完了します。ちなみに二酸化硫黄の添加を行ったうえでワインを冷却するとより高い水準で、より迅速にワインを透明にすることができます。
またワインの冷却は将来的なワインの変質を防止する効果もあります。
代表的なのが、酒石酸の安定化効果です。
ワインを凍結温度に近づけた状態で数日保管することで将来的に析出する可能性のある酒石酸を前もって析出させ、ボトリング前のワインから取り除くことができます。具体的な作業温度は0~‐4度程度とされています。なおこうしたワインの透明化処理はワインをフィルタリングする場合にも有効です。
ワインが透明化されていない状態は、そのままワイン中にフィルターによって除去される対象が多く含まれている状態を意味します。このようなワインをそのままフィルターにかけてしまうとフィルターの目詰まりが早くなり、作業効率を著しく引き下げます。またフィルターが目詰まりすることで交換をしなければならなくなった場合、ワインのロスも少なからず生じます。こうしたトラブルを避けるためにも、ろ過作業前の事前準備としてワインを冷却保管し、十分に透明度を上げておくことは非常に有効な作業となります。
引き算の対応、足し算の対応
続いてフィルタリングの2つ目の目的である「ワインを変化させない」について見ていきます。
「ワインを変化させる」という言葉が意味するところは極めて多角的です。品質的な変化、外観的な変化が代表的ですが、細かく見ていければもっと細かく分類できます。
フィルターはその多くの部分に直接的、間接的に関わっていますが、消費者にとって影響の大きいところではやはり外観的な変化です。
これはもちろん、品質的な変化を軽んじているわけではありません。単に、仮に品質的にはまったく問題ないものだったとしても外観的な変化が生じてしまうとそれだけで大きな問題となり、購入してもらえなくなる可能性がある、という意味です。これは先の酒石の例を見ていただければご理解いただきやすい点だと思います。
この外観的な変化を防止する方法は大きく分けて2つあります。
1つがフィルタリングや上記の冷却処置に代表される、事前に取り除いてしまう方法。これに対する2つ目の方法が、そもそも析出をさせないようにする方法です。
1つ目の方法がもともとあったものを予め除去してしまうことで将来的な析出を防止する、いわば引き算での対応なのに対して、2つ目の方法は添加物を使用してもともとの成分量を減らすことなく析出を防止する、足し算での対応方法です。
沈殿のメカニズムを考える
そもそも液体からの個体の析出や沈殿には比重と粘度が大きくかかわっています。
一般的な析出および沈殿の例でいえば、化学的な結合を通して物体の分子量が増し比重が大きくなった結果、液体 (この場合はワイン) がこの物体を液中に保持し続けることが出来なくなり生じます。
一方で上記の冷却処置で対応しているのは、この視点から無関係ではありませんが少し離れています。
酵母の例でいえば浮力をはく奪することでもともと比重の大きかった酵母が沈殿しています。逆に酒石の例は冷却を通して水の比重を引き下げ、酒石の相対的な比重を上げることで沈殿させています (厳密にはアルコールと温度の作用による飽和点の変化などもう少し複雑なシステムのなかで動いています)。つまり、どちらからも「高分子化」という極めて重要な視点が抜け落ちているのです。
メモ
酒石酸の安定化処理の方法としてはカリウムを添加するなどして析出を加速させる手法などがあります。これはまさにイオン結合を利用した手法ですが、ここでは詳しく扱いません
高温環境下で加速する沈殿作用
化学的な結合反応に基づく物質の高分子化は高温環境下での方が生じやすくなります。またワインにおける高温環境下、つまり液温が高くなった状態では液体の比重が下がるだけでなく粘性もまた下がります。
つまり支えなければならないものは重くなっているのに、支えるものが軽くなってしまっており、物質側の比重がどんどん大きくなっていきます。結果、物質の析出、沈殿作用が加速します。ワインを保管する場合には低温で、というのはまさにこうしたことがその理由です。
高温環境下で生じる作用については冷却処理で対応することはほぼできません。すでに述べたとおり、関わっている反応や作用が全く異なるためです。
フェノール類の高分子化といった酸化作用の一環として生じる変化については二酸化硫黄の添加などで対応をとっていますが、タンパク質の凝集などについては酸化作用を伴っていないためこうした対策は意味を成しません。凝集作用のきっかけが異なるものを等しく対象にしてその防止を化学的な手法で対策することはほぼ不可能です。
一方で、これを可能にするのが物理的な手法です。
液体の粘性を上げる
化学的な手法で作用方式の異なるものを一律に管理することは不可能ですが、物理的な手法によればこれを可能にできます。具体的には液体の粘度を上げるのです。
液体の粘度を上げると液体中に存在している各種物質の液中における移動が阻害され、反応速度が大きく減衰されます。その結果、高分子化するまでに時間がかかるようになり析出までの時間が長くなります。また液体自体の粘性が上がることにより液中の成分の保持率が高くもなります。
結果、フィルタリングを行わなくても外観的な変化を避けることが可能になります。
こうした対応のために使われるのが、メタ酒石酸 (Metatartaric acid)であり、アラビアガム (Gum arabic)であり、マノプロテイン (Mannoprotein)であり、カルボキシメチルセルロース (Carboxymethyl cellulose: CMC)です。これらの物質はいずれも液中にコロイドを形成することで液体の粘性を上げ、一定期間にわたり物質の析出及び沈殿を防止します。また液体の粘性を上げますので、ワインを口に含んだ時のボリューム感を引き上げる効果もあります。
アラビアガムに関しては形成するコロイドの強度が高いためにむしろこちらの効果の方が注目されることが多いようですが、実際の醸造の現場では成分の析出防止用に添加されることの方が多い物質です。
もっともこの方法は根本的に成分の析出や沈殿を防止しているわけではなく、そこまでにかかる時間を稼いでいるにすぎません。また保管中の液温がある一定以上になってしまえば上げた粘度が下がりますので、一気に成分の析出が進む可能性もあることは知っておかなければなりません。
今回のまとめ | ノンフィルターは自然な造りを意味するか?
フィルターを実施する目的から逆算してフィルターをかけずに同等の目的を満足するための方法を見てきました。今回ご紹介した手法はフィルタリングがもたらすすべての効果を網羅したものではなく、これだけがすべてではありません。あくまでもフィルタリングの主要な目的をある程度の水準で満足するための方法にすぎません。
一方でこれらの手法の採用を通してワインをノンフィルターとしてリリースすることが可能になります。
完全ではありませんし、リスクは内包しています。また一部の手法では添加物を使用しますのであくまでもフィルタリングをしていないというだけの、「自然な?」ワインの造り方にしかすぎません。しかしその一方で、ノンフィルターはノンフィルターです。ここに醸造家と消費者がともに考えなければならない点があります。
添加剤の使用がいけないわけではもちろんありませんし、ノンフィルターであることを強調することもそれを求めることももちろん悪いことではありません。問題は両者の視点があまりに表面的な部分に偏ってしまってはいないだろうか、ということです。ノンフィルターだから自然なのか、ノンフィルターならなんでもいいのか。それは本当に醸造手法として必要なものなのか。
世の中は常に動いています。何か新しいものが求められれば、それに対応するための方法が編み出されます。しかしそれが本当の意味で求められているものなのか、もう一度見直す必要があります。