ワイナリーの仕事といえばワインを造る醸造がメインの仕事のようにも見えますが、ワインの醸造を中心に行っている期間は長くても3ヶ月ほど。この期間に多くの作業と責任が集約されますのでとても濃密な期間ではありますが、時間的にはそれほど多くの割合を占めているわけではありません。
一方でブドウ畑での仕事はほぼ一年間を通して休みなく続きます。そうした畑での作業でも特に多くの労働量を占めるのが、剪定です。
今回の記事では実務的にも精神的も、そして経済的にもかかる負担が増加してきている剪定についてみていきます。
ブドウの枝を切る、剪定という作業
剪定とは収穫が終わったブドウの樹で、夏の間に伸びた枝を切る作業のことをいいます。剪定では一本の樹に残す枝の本数と、芽の数を決めます。これにより次の年に伸びていく枝の数がおおまかに決まります。枝一本に実るブドウの房の数もある程度決まっているため、剪定をした樹では翌年に収穫できるブドウの量の上限がだいたい決まります。つまり、剪定とは翌年の収穫量を決めるとても重要な作業なのです。
そんなに重要な剪定の作業ですが、実は機械化による効率化が難しい作業でもあります。部分的な機械化はされていますが、最終的な部分はまだ人の手で行わなければなりません。これはブドウ栽培におけるとても負担の大きな作業となっており、この剪定作業だけでブドウ畑の年間をとした労働コストのおよそ30%を占めているという試算も出されているほどです。
昨今のブドウ栽培の現場では労働力不足が大きな問題となっています。人件費の上昇もワイナリー経営の大きな課題となっています。そうしたなかで多くの人手を必要とする剪定作業は労働コストに対する割合を増やす傾向にあります。
剪定が特に労働集約的な作業とされている理由の1つに、この作業がブドウが休眠期に入っている数ヶ月で完了されなければならない短期集約的なものである、という認識があります。ただでさえあまり余裕のない中で短期間に終わらせないといけないとストレスがかかる状況にあったものが、近年の気候変動を背景とした温暖化の影響で冬の気温が上がり、ブドウの休眠期が短くなる傾向に傾いたことがこうした問題にさらに拍車をかけています。
剪定にかけられる時間と人件費の関係
従来、ブドウの枝の剪定はある程度実施の時期が固定されてきました。これは、ブドウの収穫後、枝から葉が落ちきってから春先の萌芽までの間とされています。国や地域によって状況は多少変わると思いますが、ブドウの葉が落ちきる時期というのは大体、初霜が降りるくらいの時期と解釈されています。
以前であれば冬の訪れは今よりも早く、春の訪れは今よりも遅かったため、このような時期の設定の仕方でも十分な作業時間を確保することができました。ワインの発酵管理などを終えてから手の空いた時間に畑に出て枝を切る、という作業方法でも十分に間に合ったのです。作業にかけられる時間が長くとれたため、特に人手を集約しなければならないということもありませんでした。労働の分散ができたのです。
ところが最近はブドウの収穫を終えてもいつまで経っても霜がおりず、葉が枝に残り続けています。そうした一方で春先の気温の上がりが早くなったためにブドウの樹の活動開始時期が早くなり、萌芽の時期が前倒しになり続けています。以前と同じ面積の、同じ本数の枝を剪定するにしても作業にかけられる時間が大きく減ったため、その分作業量を上げるために人手を集める必要にせまられることになります。合計の作業量は変わらなくてもそこにかけられる時間が減った分、人手を集める必要からコストが大きく膨らむ結果になっています。しかも以前からの人手不足があるため、作業者の需要が集中するこの時期にはまさに人手の取り合いが発生します。これもまた、コスト引き上げの要因となっています。
さらにここ数年、ブドウの収穫時期からその後にかけて雨が降る日が多くなってきています。多少の雨なら作業もできますが、あまりにひどくなれば作業を中断することになります。そうしたことによってただでさえ少なくなっている作業可能日数がさらに減ることになっています。
最近では必要なだけの人手が確保できなかったワイナリーや、人手はある程度確保できたものの所有面積が大きく絶対的な作業量が多いワイナリーなどでは剪定がブドウの萌芽までに間に合わないケースが増えてきています。ブドウの休眠期中には本来は剪定だけではなく、別の作業をする必要もあるのですが、剪定の遅れによってそうした次の作業に取り掛かることができず畑作業全体の遅れにつながっている場合も少なくないのが実情です。こうした遅れが生じた場合、どこかの時点でさらに人手を集めて一気に遅れを解消する必要があるため、さらに人件費が増えるという負の連鎖につながっています。
なぜ剪定は落葉後、なのか
現在、ワイナリーが抱える問題の根本は剪定にかけられる時間が大きく減っているという事実です。逆に言えば、仮に剪定の時間をより多く取ることができるのであれば労働量の分配が可能となり、瞬間的に必要になる人手が減ります。つまり、外部から人を単発で雇って枝を切る、という必要がなくなり人件費をおさえることができるようになります。
剪定の時期を延ばすためには切り始める時期を早くするか、切り終える時期をより遅くまで延ばすかする必要があります。最近はブドウの生育が早まり収穫時期は年々、早くなる傾向にあります。一方で初霜が降る時期は遅くなっているため、必然的に収穫から剪定を開始するまでの待機時間が長くなっています。単純に考えればこの待機時間を考えずに収穫後、早々に剪定を開始してしまえば剪定にかけられる時間はかなり長く取ることができるようになります。
ではなぜそうしないのか。そもそもなぜ、剪定は落葉してからでなくてはいけないのか。仮に剪定の開始時期を前倒すのであれば、まずはその理由を抑える必要があります。
通説を巡る根拠を考える
剪定を始めるのはブドウの葉が落ちてから。これはある種の常識のように話されることであり、醸造学校などでもそのように教えられることが多くあります。一方で、実はあまり明確な根拠がないともされています。
落葉まで枝を切らずに待つのがいいとされる最大の理由は、残った葉が光合成を続けるから、というものです。収穫の前までは光合成によって作られた糖は果実にも多く蓄積されていました。一方で収穫が終わり、すでに果実が枝に残っていない状態では光合成によって得られた糖はそのすべてが樹に蓄積され、来季の生長のための貯蓄となると考えられたのです。
春先、ブドウの樹が活動を始めてから光合成ができるだけの葉が出るまでは、生長に関わるエネルギーは主に樹に貯蓄された養分で賄われます。このため収穫後もなるべく長い間葉に光合成を続けさせ、樹への養分蓄積を増やすことが翌年の生育の初期に好影響を及ぼすというのは一理ある考え方です。
光合成による樹への糖の蓄積といったブドウの生理的な面に関わらない理由としては、作業者と作業時間の関係があります。
以前は今よりも多くのワイナリーが家族経営の零細企業でした。従業員などほとんどいない環境では、ブドウを収穫してからしばらくは作業者の手が発酵管理など醸造作業に完全に取られており、畑作業に回る余裕はありませんでした。そうした中で、醸造が一段落して畑に出る余裕が生まれ始めるのが、ちょうど初霜がおりブドウの樹から葉がすべて落葉したくらいの時期だった可能性が高いのです。
おそらく長い時間をかけて積み上げられた経験則に基づく部分も取り入れられたはずです。そうして確立された習慣の繰り返しによって剪定時期の考え方が固定化され、さらに引き継がれ、また他地域にも横展開された結果が、現在、剪定の適性時期といわれるものに集約されたのだろうと思われます。本来であればそれはすでに一昔の状況下におけるものであり、ワイナリーの経営形態が変わり、地域や気候条件などの背景が変わったなかでは違う考え方をするべきものであるのですが、すでに伝統的手法として「そういうもの」と受け入れられ続けているものと考えられます。
剪定期間は延ばせるのか
ブドウの枝を切る期間を延ばすための試みはすでにいろいろ検討されてきています。そうした検証では開始時期を早める方向と、終了時期を遅らせる方向のどちらも行われていますが、現状、作業時間を確保して労働分配をするという目的に対して比較的有望と思われるのは前者、開始時期を前倒す方向です。
しかしこれまでに検証が行われ、報告されている結果にはばらつきが大きく、地域性や品種による違いが比較的大きく存在していることがわかっています。また剪定の開始時期を早めても影響がなかった場合もあれば、翌年以降に収量が大きく減少したという報告もあり、安易な決定は大きな悪影響を及ぼす可能性が示唆されています。
剪定の開始時期に関しては畑の所在地やそこに植えられているブドウ品種の特性を加味した総合的な検討が必要になります。さらに生育期間中における栽培方法からも影響が出る可能性も示されており、判断は簡単ではありません。しかしそうした困難がある一方で、現在のワイナリーが抱えている大きな問題の1つを解消まではできないにしてもかなり縮小できる可能性がある手法として、剪定開始時期の早期化には取り組む意味があるといえます。
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剪定自体に対する考え方を変える可能性もある
ワイン用ブドウの栽培にとって剪定は非常に大きな意味のある重要な行為であると考えられてきました。剪定は翌年の収穫量を大枠で決めるだけではなく、樹形や樹勢といった栽培面で極めて重要となる要素を方向づける意味も持っているためです。
従来の考え方に基づけば、良質のブドウを収穫するためには剪定は欠かせない作業です。しかもそれだけ重要な作業であるため、作業者に求められる知識や経験も重要で、いかに良質な仕事をできるのかが常に問われてきました。剪定とは単に枝を切る作業ではなかったのです。
一方でブドウ栽培を巡る環境はここ数年で大きく変化してきています。そうした変化はこれまでの常識を「実際にはそこまで重要ではないもの」に変えるインパクトを持っています。そして、剪定に対する考え方もその対象の1つに含まれています。
そうした変化の1つとして、従来のような剪定をしない栽培方法が広まってきています。従来通りの剪定をしないこの栽培方法では剪定のための時間と労力を大きく削減できます。剪定をまったくしないわけではないため剪定のためのコストがゼロになるわけではありませんが、ある調査では40%のコスト削減につながったとの報告もあります。
従来の剪定を行わない栽培では、基本となる栽培方法やそのための考え方自体が変わります。栽培方法の根本が変わるため収穫されるブドウにもある程度の変化が生じます。このため造ろうとするワインのスタイルによって向き不向きはありますが、特定のスタイル向けには従来の方法よりも優れた結果につながっているケースもあり、今後、積極的に考えるべき選択肢の1つになりつつあるのは事実です。
自然環境が変わり、ワイナリーの労働環境が変わり、そして経済環境も大きく変わってきている今、従来どおりを踏襲した作業、というのは一部で大きなコストの原因となり得るものになりつつあります。周囲の環境の変化に合わせ、ワイナリーでの作業も柔軟に変化をしていく必要があります。
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