ワインの酸を減らしたり、独特な香りやニュアンスを持たせるために積極的に活用されるマロラクティック発酵 (Malolactic fermentation: MLF)。ワイン造りにおける微生物を利用した醸造手法です。
化学的な手段に頼らない、より自然的な手法である点も好まれる理由の1つです。
MLFで利用されるのは一部の乳酸菌です。乳酸菌といえば味噌、醤油、漬物といった日本人になじみの深い発酵食品に利用されていたり、ヨーグルトに含まれ整腸効果をもたらすなど良好なイメージを持つバクテリアです。
しかし乳酸菌にしても酵母にしても生きた微生物である以上、機械のようには動いてくれません。人間がそうであるように、微生物も環境条件が変わると動きが変わります。
微生物を利用する際に難しいのは、こうした行動の変化が時としてワインに大きなダメージを与えるためです。微生物がもたらすネガティブな影響は時としてワインの不快臭、オフフレーバーとしてあらわれます。
この記事では乳酸菌がもたらす負の影響について解説をしていきます。
MLFは微生物汚染のリスクを引き上げる
ワインの衛生状態は低いpHによって守られています。多くの微生物がワインのような酸度の高い環境では活発に動くことができず、増殖することもできません。
またpHが低い方がSO₂もより効果を発揮します。
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ワインにとって非常に重要なpHですが、MLFをはじめとした除酸作業は総酸量の低下にともないpHを引き上げる効果を持っています。しかもMLFのためにはワインの保管温度をある程度まで引き上げる必要があるため、より一層、微生物が繁殖しやすい環境が整ってしまっています。
MLFが完全に終ったあとであればpHが上がっていたとしても微生物類が繁殖するために必要なその他の条件が悪くなるために微生物汚染のリスクは抑制されますが、MLFの最中はこの限りではありません。特にまだワインのなかに残糖と呼ばれる糖分が残っている時点では注意が必要です。
こうしたワインにダメージを与える微生物には乳酸菌も含まれています。
ワインを微生物の影響から守りながらも除酸したい場合には、SO₂の適切な添加を行いつつ、微生物を介在させない化学的除酸手法によって除酸を行う必要があります。
微生物汚染は最初からはじまっている
微生物によるワインへの攻撃はブドウを収穫したその瞬間から始まっています。
灰色かび病 (Botrytis、ボトリティス) やウドンコ病 (Powdery mildew, Oidium)、ベト病 (downy mildew, Peronosphora) に感染してしまったブドウのように目に見えるモノばかりではありません。健全に見えるブドウの房であってもその果皮の表面には様々な微生物が付着しています。こうしたブドウがほかのブドウと一緒に収穫され、同じ容器に入れられ、醸造所に運ばれる過程で自重で潰れたとき、果皮についていた微生物は果汁の糖分を得て元気いっぱいに活動を始めます。
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一度動き始めた微生物の動きを止めることは簡単ではありません。早期に対処をしないと彼らは数をどんどん増やしながら活動の範囲を広げていきます。
収穫したブドウを圧搾するプレスの中、絞った果汁を運ぶポンプやホースの中、そして行きついたタンクの中で活動範囲を広げながらその勢力を増していきます。その活力はワインが完全に発酵を終えて糖分がなくなるまで、時には糖分がなくなってさえもまだ衰えることはありません。
こうした微生物の動きを抑制するには適切な亜硫酸塩 (SO₂) の添加が効果的です。逆にいえば、こうした適切な対処をしない限り、ワインは常に微生物による留まるところを知らない攻撃のリスクに曝されています。
しかもこうしたバクテリアによるワインへのダメージは時として外見からは判別しにくく、造り手が認識しないうちに進行している場合も多くあります。しかもこうしたダメージの多くは一度生じてしまうとそれらの影響を完全に除去することはほぼ不可能です。
こうも厄介な微生物によるワインの汚染ですが、そうしたなかでも特に大きな意味を持つのが乳酸菌を原因とするものです。乳酸菌は種類が多いのも理由の1つですが、乳酸菌以外の多くの微生物は醸造技術の近代化と醸造所の衛生管理の徹底化によってかつてほどの影響を持たなくなったためでもあります。
乳酸菌を原因とするワインへのダメージには、酢酸臭、強すぎる乳酸臭、ネズミ臭といった各種オフフレーバー (欠陥臭) のほか苦みや粘性の増加、赤ワインの色味の減退、生体アミンの増加などがあげられます。
これらの欠陥の多くが単独ではなく、複数が混ざった状態で生じてくるのも乳酸菌によるワインへのダメージの典型的な事例でもあります。
MLFによるオフフレーバーの代表例 | Diacetyl
乳酸菌を原因とするオフフレーバーのほとんどはMLFの過程、リンゴ酸が乳酸に代謝されていく過程で生じます。一方でリンゴ酸と乳酸の味はほとんど変わりません。
つまりこうしたオフフレーバーの多くは乳酸を原因とするものではなく、MLFの過程で生成される副産物を原因としています。その代表例がDiacelyl (2,3-butanedione, ジアセチル、ダイアセチルとも) です。
ジアセチルはバターやチーズ、またそれらに甘さを含んだバタースコッチ様の特徴的な香りを持つ物質です。発酵バターや一部のチーズなどの発酵系乳製品には不可欠ともいわれる香り成分ですが、醸造酒の世界ではオフフレーバーの原因として扱われることも多々あります。
ワインの世界ではワインのタイプによって扱いが異なり、Cabernet Sauvignonなどのしっかりとした赤ワインでは3 mg/L程度まで許容されるのに対して、同じ赤ワインでもPinot Noirでは1 mg/L弱、白ワインでは0.2 mg/L程度までと言われています。ワイン中に存在していた場合の評価も同様に差が大きく、一般的に赤ワインの方が好意的に受け止められる傾向にあります。
ジアセチルは複数の微生物が生成することが知られています。
人間の皮膚ガスの構成成分の1つでもありますが、ワイン関係では酵母と乳酸菌が主な生産者です。
ワイン、特に赤ワインで感じられるジアセチルはその多くがMLFの過程で作られたものと考えられてきましたが、2016年にサッポロビールがサッポロホールディングスと共同で赤ワイン中に含まれるアントシアニンの一部が酵母に作用してジアセチルの生成量を高める働きをしていることを発表しています。
一方で酵母はアルコール発酵中にジアセチルをアセトイン (acetoin) を経て2,3-butandiolに還元しますので、主にワインのオフフレーバーとしてあらわれるジアセチルは多くの場合、乳酸菌を原因としていると考えられます。
乳酸に基づくその他のオフフレーバー
ジアセチルと似た香りをワインに与える原因の1つに乳酸とエタノールから作られる塩基性エステルである乳酸エチル (Ethyl lactate) があります。この物質の閾値は60 ~ 110 mg/L程度と言われており、含有量が80 ~ 130 mg/L程度になるとオフフレーバーとして認識されやすくなります。
またジアセチルによる過度のバター様の香りがさらに悪化していくケースもあります。
原因はバクテリア類の継続的な代謝です。
このケースではワインの香りや味に酢酸様のニュアンスが加わり、より尖ったような、甘酸っぱいような印象を受けるようになります。このオフフレーバーの問題はジアセチル単独の時にはまだ改善手法が残っていたのに対して、もはや原因を除去することができず、ワインを廃棄するしかない点です。
致命的な酢酸によるオフフレーバー
ワインでも比較的生じやすいオフフレーバーの1つに酢酸を原因としたものがあります。
酢酸は酢酸菌を原因とするケースが代表的ですが、実は複数の微生物によって生成される物質でもあります。
酢酸によるワインの汚染は致命的なものとして知られています。一度出てしまうとその後に完全に除去することが不可能だからです。多くの国や地域で酢酸汚染されたワインはワインとして販売することが許可されないだけではなく、蒸留酒に加工することも禁止されています。これらはワインは酢酸菌を添加してワインビネガーに加工するか、廃棄するしかありません。
これは酢酸汚染が食品の腐敗であるとされているためです。
ワインでは白ワインやロゼワインでは1.08 g/L、赤ワインでは1.2 g/L以上の酢酸含有量が腐敗として判定される基準とされています。なおこれだけの含有量をもつとそれらのワインはすでに飲んで楽しめるようなものではなくなります。
例外は極甘口のワインです。
例えばドイツのアイスワインやベーレンアウスレーゼでは1.8 g/L、トロッケンベーレンアウスレーゼでは2.1 g/Lまで酢酸の含有が認められていますし、フランスやイタリアの一部の甘口ワインでは1.5 g/L、スイスでも1.6 g/Lまで例外的に許可されています。
酢酸を作り出す微生物
酢酸を作り出す微生物でもっとも代表的な存在が酢酸菌です。酢酸菌はアルコールの酸化を通して酢酸を作り出しています。一方でワインで問題になる酢酸の多くは酢酸菌を原因としていません。原因の多くは酵母、そして乳酸菌です。
ブドウのジュースが発酵する過程においては主に野生酵母が酢酸生成の最右翼となりますが、発酵後はその役目を酵母としてはBrettanomycesがその役目を担います。しかしその汚染酵母よりも多くの酢酸を生成するのが乳酸菌です。
乳酸菌には複数の種類が存在しています。その中でも最もワイン醸造の条件に適しているとされているOenococcus oeni株が分類されるのが、ヘテロ型乳酸発酵タイプです。このヘテロ型乳酸発酵種がより多くの酢酸を生成します。
MLFの過程でグルコースから代謝されるD-乳酸も濃度が1 g/Lを越えるとワインを腐敗させるとされています。乳酸菌が酢酸によるワインのオフフレーバーにおいて最も重要な意味をもつとされる理由は、このバクテリアが酢酸だけではなくD-乳酸も同時に作り出すためです。
多くの酢酸系オフフレーバーは酢酸とこのD-乳酸が複合要因となって発生するとされています。
乳酸菌によるその他の影響
乳酸菌を原因とするワインへのダメージはジアセチル、酢酸によるものだけではありません。乳酸菌はこれ以外にもワインにダメージを与えます。
それがマンニート臭や過剰な粘性の上昇、赤ワインにおける色味の低下、ネズミ臭、そして生体アミンの生成です。
ネズミ臭はブレタノマイセスを原因とすることが多いオフフレーバーですが、乳酸菌を原因とする場合もあります。特に冷涼地域におけるネズミ臭はその多くがブレタノマイセスではなく、乳酸菌を原因としたものだとされています。
今回のまとめ | 乳酸菌は適正に使えるのか
MLFはワイン、特に赤ワインの醸造においては重要な工程と認識されています。これは造り手だけに限りません。消費者の方も同じように、ある一定の赤ワインにはバター様のニュアンスがあるのが当然と思われているのではないでしょうか。
確かにMLFはワインに特徴的なニュアンスを与えます。軽めなワインがMLFを経ることで厚みもち、印象をガラッと変える場合も少なくありません。
そうした意味で、MLFは木樽の利用と並んでワインの個性に変化を持たせるための重要な醸造手法です。
一方でこのMLFで重要な役割を担う乳酸菌は人との意思疎通のできない微生物です。確かに同じような状況においてやれば、大まかには同じような行動を取ってはくれます。しかし完全に同じにはなりませんし、完全に同じにするのは不可能です。
さらに微生物は人の目には見えません。確かに顕微鏡を使えばその姿は確認できますが、1000Lを越えるタンクの中のわずか1 mlを覗いてみても全容は分かりません。微生物を醸造工程に持ち込むことは、多くの不安定要素を持ち込むことに他ならないのです。
乳酸菌をはじめとした微生物はワインを美味しくするために人間に協力してくれているわけではありません。彼らは彼らなりの理由を持って生き、活動をしています。その過程でヒトの役に立つ行為が偶然にも生じているだけです。我々人間はこうした行為の結果を選択的に取り出すことはできません。すべてをまとめて受け入れるか、すべてを拒否するしかないのです。
そうした状況の中で乳酸菌を本当の意味で適切に扱うことはおよそできません。
極力望ましい結果が得られる可能性が高い環境を整えたうえで、事態がそうなってくれることを祈るしかないのです。
こうした偶然の積み重ねを楽しいと思える場合もあれば、不安要素の積み重ねと受け取る場合もあります。仮に手元のワインが失敗できないものであるのであれば、不安だらけの微生物活用は踏みとどまった方が結果的にいいワインになる可能性は高くなることを造り手は知っておくに越したことはないでしょう。