ソムリエさんがワインのサービスをしてくださるレストランなどでワインをボトルで頼むと、コルクを抜いた後でコルクの香りを確かめている姿に遭遇します。なぜソムリエさんはコルクの臭いをかいでいるのでしょうか?
一方で、このようなサービスが提供されていない環境、例えば自宅でワインを飲む場合などにコルクの臭いなど気にせずグラスに注いだワインがカビ臭かった、というような経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そのカビ臭さ、もしかしたらブショネかもしれません。
レストランではソムリエさんが、そして自宅の場合はワインを勉強されている方であればご自分で、コルクの香りを確認することでグラスに注いでしまう前にこのような嫌な臭いがワインについてしまっていないかどうかを確認することが出来ますが、知らなければそういうものか、と思ってしまうかもしれません。
ただ、そんなものか、と思われた方の中にも「ブショネ」という言葉だけはもしかしたらどこかで耳にしたことがあるかも知れません。
今回はこのブショネというものについてお話をして行きましょう。
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ブショネってなんだろう
ブショネ (bouchonné) とはそもそも何なのか、まずはそこからお話を始めましょう。
このブショネ、という単語、アルファベットの綴りを見ていただくとお分かりになる方もいらっしゃるかもしれませんが、フランス語です。ワインのオフフレーバー、もしくは欠陥臭と呼ばれる、本来ワインにあってはいけない臭いの一種です。
英語ではcork taint、ドイツ語ではKorkentonといいますが、英語やドイツ語では簡単に「コルク」というだけの時も多くあります。
実際に筆者はドイツのワイナリーに勤めていますが、このオフフレーバーについて話すときは常にコルクと言っていて、ブショネと言ったことはありません。英語で話しているときにも筆者も話している相手もほとんどの場合でコルクと表現していますので、ブショネという言い方を耳にする機会はとても少ないです。
この点、ワインに関する用語のほとんどをフランス語から持ってきている日本とは少し状況が異なっています。
このコルク、もしくはブショネですが、カビのような臭いのことを指しています。
ほとんどの場合でトリクロロアニソール、TCAと呼ばれる化学物質が原因で発生する異臭ですが、その大半がワインのボトルの栓に使用されている天然コルクに関連しているためにこの名前がつけられました。コルクという名前ではありますが、コルクの臭いがするわけではありません。
ブショネの発生経路
ワインにこのカビのような臭いがついてしまう原因は以下の3つの経路に大別されます。
- コルク汚染
- 微生物汚染
- 環境汚染
それぞれを見ていただければお判りいただけるかと思いますが、このブショネというものは基本的にある対象の汚染、具体的には主に塩素による汚染で発生している欠陥臭です。以下、具体的に説明をしていきましょう。
コルクの汚染による欠陥
ブショネのほとんどはボトルを密封している天然コルクが塩素に触れることによって発生しています。本来はコルクのみで問題が収まるものなのですが、ボトルの内側でコルクとワインの液面が接触するためにこの異臭がコルクからワインに移ってしまい、被害を発生させます。
以前はこのように汚染されたコルクの発生率は20%程度、極端なケースでは50%にも上ったと言われていますが、現在はコルクメーカーの不断の努力によっておおよそ2%程度まで引き下げられていると言われています。
メモ
本によってブショネの発生率に関する表記は大きく異なっており、本文のように2%程度とする場合もあれば5~10%としているものもあります。今回は明確な根拠はありませんが、筆者の肌感覚から5%は高すぎるという印象があり、記載のあった中ではイメージにある程度合う、2%という数字を採用しています。
一説では現在はおよそ年間2億から2億5千万本のボトルで天然コルクが使われているといいますので、およそ年間で400万本から500万本ほどのワインがブショネに汚染されたコルクを使ってしまっている可能性があることになります
天然コルクはコルクガシから剥ぎ取った樹皮を原料に作られます。
コルクガシの樹自体は植林によって栽培されていますが、ハウス栽培というわけではなく普通に屋外に植えられています。このため樹皮部分にはカビなどの微生物が内外に付着しています。
このような状態の樹皮を衛生管理する方法として、以前は塩素入りの漂白剤が使用されていました。ブショネの原因となるTCAはこうした塩素の接触によって生成される化学物質であったため、本来は品質を向上・維持するために行っていた洗浄工程で逆にコルクが汚染され、ブショネを発生させる原因となっていました。
ここで具体的なTCAの生成経路を見ておきます。
コルクには本来的にフェノール系の化合物が含まれています。これをPhenolringといいます。このPhenolringですが、塩素に触れてトリクロロフェノール (Trichlorphenol) になる場合と、カビ等の微生物によってアニソール (Anisol) になる場合があります。Trichlorphenolは微生物によって、Anisolは塩素によってそれぞれブショネの原因物質であるトリクロロアニソール (2,4,6-Trichloranisol: TCA) となります。
TCAの生成経路 1: 四角で囲ったChlorierungが塩素による影響
またこれ以外にも、テトラクロロアニソール (2,3,4,6-Tetrachloranisol: TeCA)という物質も生成され、これもやはりブショネの原因物質となります。
微生物による汚染
世の中でブショネ、コルクといえば必ずコルクが関わっているように思われていることが多いですが、実際にはコルクが介在していない発生経路というものも存在しています。それが、次に紹介する微生物による汚染のパターンです。
このケースではワインに含まれるグルコース (Glucose) もしくはフルクトース (Fructose)という果糖が出発点となります。これらの果糖から微生物の働きによってコルクに含有されているのと同じような、Phenolringが生成されるのです。
このPhenolringはやはり塩素に触れることによってクロロフェノール (Chlorphenol)という物質に変化し、さらにアミノ酸の一つであるメチオニン (Methionin)や微生物由来の葉酸 (Folate, Folic acid: ビタミンB9)の介在を受けてトリクロロアニソールへと変化します。TCAです。
TCAの生成経路 2: 四角で囲ったChlorierungが塩素による影響
この経路においては塩素の介在はありますが、コルクは一切関係しません。つまり、コルクが無くてもTCAは生成される可能性があり、これによってワインが汚染される可能性があるのです。
洗浄溶剤を原因とする汚染
三つ目の生成経路はワインでも、コルクでもなく、醸造所内の環境を原因とするケースです。
TCAはこれまで見てきたように、フェノール化合物であるPhenolringがあり、そこに塩素が接触すればどこであっても発生します。これはワイナリーに限りません。それこそ日本酒蔵でも一般家庭でも同じです。ワインのケースではコルクで生じる頻度が高いというだけの話で、実際にはコルクである必要性は皆無です。
そしてこのPhenolringはコルク以外の木製品内にも存在しています。
ワイナリーの中には多くの木製品が存在しています。
非常に馴染みの深いところでいえば、ワインの発酵、熟成を行う木樽です。また醸造所内で使用されている各種資材は木製のパレットと呼ばれる台に載せて運ばれていますし、ワインを木製のケースに入れている場合もあります。それ以外にも醸造所の建物自体を木で造っている場合も少なくありません。
こうした各種木材に塩素が含まれた洗浄剤などを使ってしまうと、そこでクロロフェノールが発生します。ここにコルクの汚染の時と同様に微生物が関与することでTCA、もしくはトリブロモアニソール (2,4,6-Tribromoanisol: TBA)と呼ばれる化学物質が発生し、醸造所内の空気中に拡散するのです。こうして空気中に拡散したTCAもしくはTBAが何らかの機会に熟成中であったり、作業中であったりするワインに接触するとそのワインが汚染されることになります。
欠陥臭の閾値と対策
ブショネの原因となる物質の発生経路についてご説明をしてきました。
もう一度確認すると、ブショネの原因となる物質には
- TCA
- TeCA
- TBA
の3つがあります。このそれぞれの物質は人間がその存在を感知することのできる最低限度の量、閾値が異なっています。それぞれの閾値は当たる文献やワインの種類などによっても違うのですが、大体は以下のような範囲になります。
- TCA: 2 - 5 ng/L
- TeCA: 10 - 15 ng/L
- TBA: 3 - 4 ng/L
単位に使っている「ng/L」とはナノグラム/リットルです。ナノグラムとは10億分の1グラムのことで、TCAであれば1リットル中にたったの10億分の2グラム入っていれば分かってしまうという、極めて微量での検出が出来てしまう物質だ、ということになります。
このように微量の混入でワインの香りに欠陥を与えてしまうこれらの物質への対処は基本的に事前の予防になります。ワインに混入してしまった後でも食品用ラップフィルムなどをワインに漬け込むことで吸着が出来るともいわれますし、実際にある程度の効果は見込めるのですが、この方法はブショネだけを選択的に除去することは出来ず、ワインの味と香り全体に影響を与えてしまうため解決方法というには微妙です。
ですので、とにかくTCAの発生を抑えることが重要になるのです。
上記の各生成経路をもう一度見ていただくと分かるのですが、TCAやその他のブショネの原因となる化学物質が発生する最大のポイントは塩素との接触です。
塩素との接触がなければ、言い方は悪いのですが仮に微生物による影響があったとしても少なくともTCAが発生することはありません(ただしこの場合はまた別の問題が生じる可能性はあります)。ですので、コルクの生産工程から醸造所内の洗浄を含むすべての工程で塩素の使用を完全になくせば、リスクは避けることが出来ます。
また別の回避手段としては天然コルクの使用をやめることです。
最近ではコルクメーカーでも全量個体検査を実施するところも出てきており、汚染コルクの発生率はかなりの水準まで下げることが出来るようになってきています。しかし全量個体検査はコルクの価格が上がりますし、検査を抜けてしまうことや、検査後にどこかの時点で汚染されてしまうこともあり、絶対的なものではありません。
このため、根本的な解決にはそもそも木製コルクの使用を全廃し、スクリューキャップや最近少しずつ増えてきた印象もあるVinolokというガラスコルクに切り替えることを検討する必要があります。
しかし今でも天然コルクが消費者に与えるイメージというものも大きく、特に高価格帯のワインにおいて天然コルクの使用をやめることは難しいことでもあります。
関連
なお、消費者の手元で見つかったブショネのワインをどうすればいいのか、という記事で、ごく稀に料理に使ってしまえばいい、という内容のものを見かけます。しかしTCAは沸点が極めて高く、一般的な家庭での料理などで揮発することはありません。
つまり、料理の中に臭いが残ります。
このため、そもそものブショネの程度が軽くそれほど気にならないような場合を別として、ブショネのワインを料理に使うことはお勧めできません。
今回のまとめ | ブショネの閾値に対する新しい考察
ブショネ、と呼ばれる欠陥臭はある意味においてワイン業界で最もメジャーなオフフレーバーといってもいいものだと思っています。しかしその一方で、この欠陥臭を間違いなくとらえることが出来ている人がどのくらいいるのかには実は常に疑問が付きまとっています。
というのも、TCAに対する閾値は人によってかなり幅がありますし、そもそもブショネやコルクといった欠陥臭を間違えて認識している人もそれなりにいると思われるためです。このTCAというものは極めて微量から認識されると言われるように、その判断が非常に微妙な場合が多々あります。このため、一度疑心暗鬼になってしまうと、実際には問題のないワインであってもブショネであるように感じてしまうというケースが実は少なからずあります。
これはTCAに対する閾値が低い人、つまりとても敏感な人の例ですが、逆に閾値の高い人、つまりTCAに対する感覚が鈍いと思われている人にも少し考察すべき点があります。
近年の大阪大学と大和製罐株式会社との共同研究によってTCAが極めて微量であっても人体の臭いを感知するためのサイクリックヌクレオチド感受性チャネル(CNG)に作用し、このチャネルの活性を阻害することが分かりました。これによってチャネルが開かず、レセプターから発生しているニオイの刺激が電気信号へと変換されないためにそもそもニオイに対する感覚が鈍くなることが分かったのです。
一方でCNGが100%ブロックされているわけではないため、多少のニオイは継続して感知することが可能となっているところに、強いカビの臭いを伴ったTCAが微量であっても吸引されるためよりカビの臭いを強く検知している可能性が指摘されています。
ここにおけるTCAへの閾値が高い人の状態は考察に価します。
TCAの閾値が高い、つまりブショネを認識できないという人は逆に言えばTCAが存在している環境下でも従来の香りが鈍くなることなく、感知できているということでもあります。他の香りを正常に感知できているために、極めて微量しか存在しないTCAの持つカビの臭いが逆にマスクされてしまって分からなくなっている可能性があるということです。
本来は感覚に対してマイナスに働きかけるTCAの悪影響を受けないということは感覚の耐久性が高いということでもあり、ある意味においてテイスターとして非常に優れたことであるとは言えないでしょうか?
TCAは思い込みでその検知能が変わる可能性があると書いたとおり、閾値と言われる範囲の中でも下限の方では非常に微妙な判定をされるオフフレーバーです。場合によっては分かりにくいことをいいことに、全く関係のない劣化臭をブショネといっているようなケースにまで出会うことがあります。
全く関係のない欠陥臭をブショネだと騒ぐことは論外ですが、極めて認識しにくい欠陥臭においてはその捉え方、考え方を今とは少し変えてみることはそう悪いことでもないように思います。
ワインを飲む目的はそこに含まれるオフフレーバーを探すことではありませんので、仮に含まれていたとしてもそれが極めて微量であり、認識されないレベルであればわざわざ存在を検出させる必要性はないものでもあります。
もちろん職業的な要請などによってそのようなことが許されないという場合もあるとは思いますが、閾値の高い低いで一喜一憂するものでもないということを一度考えてみていただければと思います。