気候変動やそれに伴う温暖化は、ワイン造りにかつてないほど大きな影響を及ぼしています。短く温かい冬はブドウの萌芽時期を早め、遅霜や雹による被害は拡大し続けています。降雨時期と降雨量の変化はブドウの病気を広げる一方で灌漑を必須のものとし、暑すぎる夏は日焼けや着色不良を引き起こしています。糖度が上がっていく中で、下がらない夜温が酸量を低下させ、果汁のpHは上がり続けています。
気候変動、もしくは地球温暖化という話のなかで耳にする多くは、ワインの品質の変化に関する内容です。しかし実際には、そうした地球規模の変化はより大きな問題をブドウ畑に持ち込もうとしています。かつて1800年代半ば、欧州を中心に世界中のブドウ畑を壊滅の危機に追い込んだフィロキセラ禍。その悪夢が現代に再来する可能性が高まっていることが、最近の複数の研究で指摘されています。
フィロキセラとはなんなのか
フィロキセラ (grapevine phylloxera, 学名: Daktulosphaera vitifoliae (Fitch)) はブドウネアブラムシとも呼ばれる、体長1ミリにも満たないアメリカ原産の昆虫です。ブドウの葉や根に瘤を作って寄生し、樹液を吸って繁殖します。瘤の増加や悪化によって根の機能が低下した樹は、やがて枯死します。
1860年代にフランスへ伝播したフィロキセラは猛威を振るい、ヨーロッパ全土のワイン産業に壊滅的な被害をもたらしました。その後も世界中に繁殖地を広げ、1882年には日本にも侵入し、各地に大きな被害を残しました。
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生態と対策
フィロキセラの生態は複雑です。生息場所は葉と根の二か所で、どちらでも基本的には単為生殖で個体数を増やしていきます。
まず、葉に寄生して増えた個体の一部が根へ移動し、そこで増殖を始めます。やがて根の成虫の中から、有性世代を生み出す個体が現れます。これは翅をもった有翅型のメスで、産卵した2種類の卵からオスとメスが孵化します。この雌雄は交尾のみを行い、生まれた卵が孵化すると葉に寄生して成虫になります。つまり葉に寄生する個体には、単為生殖で生まれた個体と有性生殖で生まれた個体が混在します。
このように感染は葉から始まり、そこで増えた個体が根へ移動します。葉と根に生息する個体は相互に行き来し、それぞれの場所に応じた生態をとることが分かっています。
地上部である葉と地下部である根を移動できるため、どちらか一方だけに対処しても意味はなく、薬剤による対処は事実上不可能とされています。最初の被害が出てから100年以上が経過した現代でも、対策は台木の利用以外に見つかっていません。
台木を使った対策の意味するところ
フィロキセラへの対策として台木が用いられていることは有名です。一方で、その本質には多くの誤解があります。まず大前提として、台木の利用はフィロキセラに対する絶対的な対応策ではないことを知っておく必要があります。
台木を利用することで、確かにブドウは枯れなくなりました。しかしそれは、根や葉からフィロキセラがいなくなったことを意味しません。フィロキセラは依然としてブドウの葉や根に寄生しています。台木の意味は、仮に根に寄生されても致命的な被害の拡大を防ぎ、樹が枯死しない程度の小康状態を保てる点にあります。
フィロキセラに対するブドウの応答は、その内容によって3段階に区別されています。
- susceptible:感受性、容易に感染し根の損傷・変形と二次感染で重大被害
- tolerant:耐性、感染するが生育に重大影響なく一定の感染に対処可能
- resistant:抵抗性、防御機構により繁殖が制限・阻止され宿主に被害が及ばない
欧州系品種であるVitis vinifera種はsusceptibleに分類される一方、台木に使用されるアメリカ系品種はtolerantもしくはresistantに分類されます。重要なのは、台木に使用される品種が必ずしもresistantに分類されているわけではない点です。例えばSO4やKober 5 BBは今でもよく利用されている台木品種ですが、分類はtolerantです。
ドイツで行われたこれらの品種のフィロキセラ耐性試験では、1をもっとも高い抵抗性とする1~9のスケール評価において、SO4は葉で6.1、根で3.3、Kober 5 BBは葉で5.8、根で3.5という結果を示しました。どちらの品種も根における抵抗性は高めである一方、葉での抵抗性は比較的低く、フィロキセラに寄生されやすいことを示しています。
こうした特徴は、最近になって危惧されているフィロキセラ被害のリスク拡大にも関係しています。
フィロキセラのリスクが増加している理由
近年、フィロキセラのリスクが高まっていると指摘される理由はいくつかあります。1つは、気候温暖化によるフィロキセラの繁殖サイクルの早期化と頻発化です。より早く、より多く繁殖するようになる結果、個体数が増加し、被害が拡大する懸念が大きくなっています。
さらに、有機農業政策の推進などを背景とした農薬使用量の削減も、この動きを後押しすると考えられています。農薬が減ることで生息環境のストレスが減り、より活発に活動するようになる可能性が指摘されています。有機農業の拡大とは別に、耕作放棄されるブドウ畑の増加も、同様の悪影響を生む根源として指摘されています。
そしてもう一つ、重要な要素として考えられているのが、フィロキセラのバイオタイプの進化です。
葉や根に寄生したフィロキセラは単為生殖によって増えるため、遺伝的には同じ型のみが維持されます。一方で、その中から有性生殖を行う群が現れます。この群では遺伝子の交雑が起こり、バイオタイプが増えていく可能性が示唆されています。
現在台木に使用されている品種であっても、抵抗性の分類上はtolerantに属するものがあることは、すでに述べました。こうした完全耐性を持たない品種では、フィロキセラの側が変化することで抵抗性を維持できなくなる可能性があります。その変化には、遺伝子型の変化という特性自体の変化に加えて、単純な個体数の増加による累積被害の拡大も含まれます。現に、台木を栽培する母樹園でのフィロキセラ被害の拡大が観察されたとの報告があります。既存の台木用品種であってもそのフィロキセラ耐性は脅かされつつあります。
被害の拡大が報告されているのは、台木用品種に限りません。耐病性品種や伝統品種を植えた圃場でも同様の傾向が確認されています。そして、これらの被害の多くは葉で生じていることが指摘されています。
求められている新品種の開発
拡大する傾向を見せるフィロキセラの脅威に対抗するために、今求められているのが新しい台木品種の開発です。特に重視されているのが、葉と根の両方で高い抵抗性を有する完全抵抗性品種の開発です。
これまでの研究によって、葉における抵抗性と根における抵抗性は、それぞれ異なる遺伝子座によってもたらされていることが分かっています。すでに商業化されている台木品種のうち、この両方を備えた完全抵抗性品種は、現時点で1991年に登録されたBörnerのみといわれています。1998年にはBörnerの姉妹品種として2品種が登録されましたが、樹勢への影響が大きいとしてあまり好まれず、流通は限られています。
これらに続く品種として、2024年にはBörnerを使った交配品種2品種が、フィロキセラに高い抵抗性を持つ台木用品種としてドイツ連邦植物品種庁に登録されました。このLiberoとVintoは、これまでの評価試験でSO4やKober 5 BBと比較してフィロキセラ耐性が高い一方、それ以外の項目でも既存品種と同等かそれ以上の結果を示し、代替品種として実用に耐えると結論されています。
完全抵抗性品種が求められる理由
品種として単独で見たとき、フィロキセラが寄生しうるすべての部位で高い抵抗性を持つことが望まれる理由は理解できます。特に母樹園における被害抑制のためには重要です。
一方で、台木として見たときには疑問が残ります。台木は穂木に接ぎ木してから定植されます。原則として葉や房はすべて穂木のものが使用され、台木の部位として利用されるのは根とわずかな長さの幹のみです。つまり、そのまま利用される根は高い抵抗性を持つことが求められますが、葉は存在しないので抵抗性を持つ必要はないはずです。
しかも、台木が葉の抵抗性遺伝子を保持していたとしても、その遺伝子が穂木に移行して抵抗性を発揮することはありません。接ぎ木した時点で台木側の葉が利用されることはなくなり、そこにフィロキセラが寄生する可能性もないのであれば、無理に葉の抵抗性を求める必要性は、少なくとも表面的にはありません。実際、SO4やKober 5 BBといった従来品種では、根の抵抗性は高い一方で葉の抵抗性は弱い傾向を示していました。
しかし、そうした考え方が結果としてフィロキセラの被害を増やしています。そもそも、フィロキセラへの感染は葉から始まります。
典型的なのは母樹園ですが、それ以外でも、台木部分から伸びた枝を除去しないまま伸ばし、そこに葉を茂らせているケースは存在します。しかもそれらの枝は地表に近い位置に生えるため、根との距離が物理的に近くなります。根で生まれた有性生殖個体も、葉へ到達しやすくなります。そしてここで繁殖した個体が、さらに上の穂木の葉に到達するリスクを高めるのです。
葉における感染の拡大は、さらなる空中感染サイクルと耐性崩壊のリスクを高めることが指摘されています。それを裏づけるように、既存品種の圃場での感染拡大が報告されています。さらに、耐病性品種では葉感染に対する感受性が高いとの報告もあり、近年の品種選択傾向に照らしても、葉感染の抑制が重要になっています。
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今回のまとめ | 穂木だけに目を向けるリスク
世界のワイン産地を崩壊に追い込んだフィロキセラ禍から150年以上の月日が経ち、その間、台木による被害の抑制が上手く効いてきました。そうした平穏な時間は、人々の意識からフィロキセラの危険性を薄れさせたようにも見えます。
一部の地域では法律で自根でのブドウの定植を禁止していますが、補植の際に伸ばした隣の樹の枝を利用する栽培家は今でも存在します。そもそも自根での植え付けを法的に禁止していない地域もあれば、過去にフィロキセラの被害を受けた土地であるにもかかわらず、自根の苗木を植え付けている生産者もいます。
クローンや品種の多様性を求める動きは穂木に限定されており、台木へ意識を向ける声は、まず耳にしません。
しかしその裏側では、フィロキセラが個体数を増やしているリスクが徐々に大きくなっています。調査された範囲では目立ったバイオタイプの増加はまだ確認されていないと報告されていますが、調査範囲外で同様の結果が維持されている保証もまた、ありません。
ブドウを栽培し、ワインを造るうえで、穂木の品種やクローンの多様性は確かに重要です。最近の気候変動や温暖化に対応する品種、もしくは疾病により高い抵抗性を示す品種への興味が大きくなるのもわかります。しかし、仮にまたフィロキセラ禍が再来すれば、それらはすべて無意味な取り組みに終わります。どんな穂木を植えていようと、根から枯れてしまえば同じことです。
穂木に目を向けることは重要です。しかし最近の傾向は、それ以上に台木へ目を向けることの重要性が高まっていることを示しています。そして同時に、これまでの無責任な取り組みを顧みて修正する必要があります。気候も環境も、周囲のすべての条件が変わってきている中で、これまで大丈夫だったからこれからも大丈夫だという考え方は、すでに通用しないのです。




