メイラード反応 (Maillard reaction) という化学反応があります。アミノ・カルボニル反応とも呼ばれる反応です。肉を焼いて焼き色がつくのも、クッキーやトーストを焼いて美味しそうなキツネ色になるのも、みりんを使った魚の照り焼きがいかにも食欲をそそる色目になるのも、すべてはこの化学反応のおかげです。
メイラード反応は褐変反応とも呼ばれており、食品の色が茶色く変わる原因の大きな部分を占めています。その一方で、人体をはじめとした生体内でも発生しており、AGEs (Advanced Glycation End-products) と呼ばれる反応生成物がヒトの老化や老化関連疾患などの発症に関わっていると言われています。
食品に、人体にとあらゆる場所で見ることのできるこの化学反応はお酒の中にも見つけることができます。熟成です。
メイラード反応は醸造酒の熟成に関わっているとされています。特に日本酒では熟成の過程に関わる割合が他の醸造酒よりも大きく、話題に登ることも他のお酒よりも多くなります。一方でワインではあまり聞かれることはありません。しかし、聞かれないから関係していないわけではありません。ワインの熟成でも一部にはこのメイラード反応が関わっています。特にスパークリングワインやシェリーなどのフォーティファイドワインではその存在感が大きくなります。
この記事ではメイラード反応とはなんなのか、その基礎を解説します。
糖とアミノ酸から生じる反応
メイラード反応は一言でいえばアミノ酸と還元糖の縮合反応です。1912年にLouis Camille Maillardという名のフランス人によって報告されました。
言葉で表すと簡単ですが、その内容は非常に複雑で、今でもまだ完全には解明されていない部分も残っています。また還元糖にもアミノ酸にもいくつも種類があり、それらの組み合わせによって反応の結果作られる生成物も異なるため、メイラード反応によって作られる化合物の種類は数百から数千種類にも登ると言われています。なお反応の過程に酵素が関わらない、非酵素的反応である点もこの反応の特徴です。
簡単に見えてその実、まったく簡単でもなんでもないのがメイラード反応です。
還元糖とはなんなのか
メイラード反応に関係するものは大まかには2つだけ。還元糖とアミノ酸だけです。厳密にいうと水が必要ですが、0.2以上の水分活性があれば反応が生じるとされており、それほど厳密に意識する必要はありません。
ではその還元糖とは何かといえば、”塩基性溶液中でアルデヒド基またはケトン基を形成する糖”のことです。これを非常に大雑把にいうと、”酸化しやすい性質を持つために還元剤として作用する糖”のことです。還元剤として作用する特性があるため、還元糖と呼ばれています。またアルデヒド基もしくはケトン基を形成できるということは、これらの糖がもれなくカルボニル基と呼ばれる化学構造を持っていることを意味しています。
よくわからない化学の話を横に置いて、では具体的に還元糖とはどの糖かといえば、グルコース (glucose: ブドウ糖) やフルクトース (fructose: 果糖) といったすべての単糖類のほか、マルトース (maltose: 麦芽糖)やラクトース (lactose: 乳糖)などの二糖類などです。一方で同じ二糖類でもスクロース (sucrose: ショ糖) やトレハロース (trehalose) は還元糖には含まれません。
単糖類は還元糖である一方で、スクロース (ショ糖) が還元糖ではない、という点はワインにおけるメイラード反応を理解していく上でとても重要なポイントです。
なおスクロースはグルコースとフルクトースの結合物で、そのグルコースやフルクトースは還元糖です。還元糖同士が結合しているのにスクロースが還元糖ではない理由は、グルコースとフルクトースが持つそれぞれのカルボニル基同士が結合してスクロースを形成しているため、カルボニル基がそれ以上のアルデヒド基やケトン基を形成できないためです。
アミノ酸とペプチドとタンパク質
メイラード反応のもう1つの構成要素がアミノ酸です。アミノ酸とは一般にはアミノ基とカルボキシ基の両方を持つ有機化合物の総称です。このアミノ基、というものがメイラード反応では重要な意味を持っています。
アミノ酸はまた、タンパク質の構成要素で、ヒトは20種類のアミノ酸から作られたタンパク質で出来ています。つまりタンパク質があるところには種類に差があるものの必ずアミノ酸があります。
なおペプチドもアミノ酸が結合した化合物です。アミノ酸が2つ以上結合した化合物をペプチドといい、アミノ酸が50以上つながった長いペプチドのことをタンパク質といっています。つまり、タンパク質とはペプチドであり、アミノ酸でもあるわけです。
生体内で作られるものの多くはタンパク質をその原料としています。例えば酵素は機能性を持ったタンパク質です。タンパク質はアミノ酸でもあるので、突き詰めれば酵素はアミノ酸であることがわかります。
ワイン造りに欠かすことのできないアルコール発酵。そこで活躍する酵母はアルコールの代謝に関して10種類以上の酵素を使っています。アルコール発酵に利用されたこうした酵素は発酵が終わった後にもワイン中に残留します。ブドウも酵母も構成要素にタンパク質を含んでいます。実はワインには多くのアミノ酸が含まれているのです。
3ステップで進む化学反応
メイラード反応は3つの段階に分かれて進行していくことがわかっています。一連の反応で一番最初に起きるのが、グリケーション (grycation) とも呼ばれる、還元糖の持つカルボニル基とアミノ酸の持つアミノ基の間の縮合反応です。
縮合反応とは2つ以上の化合物が反応した際に簡単な化合物、例えば水、が脱離しつつ新しい化合物を生成する化学反応のことです。
メイラード反応の初期反応では還元糖とアミノ酸からアマドリ化合物 (Amadori rearrangement product) と呼ばれる化合物が生成されます。その後、このアマドリ化合物からフルフラール (furfural) や5-HMF (5-(hydroxymethyl)furfural) 、カルボニル化合物などが生成されるまでが中期反応、中期反応で作られた化合物からイミン類やメラノイジン (Melanoidins) と呼ばれる褐色物質が生成されるのが終期反応となります。
メラノイジンによる着色が大きな意味を持つ料理などではメイラード反応が終期まで進むことが重要ですが、ワインに関していうとこの終期段階にはほぼ至らないとされています。
メイラード反応は対象を加熱することで反応が促進されますが、加熱自体は反応にとって不可欠な要素ではありません。そこに還元糖とアミノ酸があれば、基本的には時間はかかるものの常温や低温環境下でも反応が進んでいきます。一方で、メラノイジンを生成する反応に関しては高温環境である必要があるとされており、一般にワインを飲んだり保管したりする環境条件では要件を満たすことができないのです。
実際、スパークリングワインの熟成の指標には多くの場合終期反応における生成物ではなく、中期反応で生成される5-HMFが使われています。
色味に関していえば、メイラード反応の初期で生成されるアマドリ化合物は無色の化合物ですので、ワインにおけるメイラード反応では色味に対する変化はゼロではないもののほとんど生じないということになります。なお日本酒の熟成ではメラノイジンによる着色が言われます。これは日本酒がワインと比較してアミノ酸や糖類をはるかに多く含んでいることに加え、pHが異なることによる差ではないかと考えられます。
熟成に大きな意味を持つ中期反応
ワインをはじめとしたお酒における熟成で重要なのが、香りの変化です。メイラード反応にも香りの変化が伴います。そうした香りの変化をもたらすのが、反応中期におけるカルボニル化合物の生成やピロール、ピリジン類の生成、そしてα-dicarbonyl類の生成です。
メイラード反応を経た食品類からは往々にパンやトーストの香ばしい香りや、キャラメル、ナッツ、焦げ、焼け、肉のような香りといった多様な香りを感じることができます。これらの多くはアマドリ化合物を原料に生成されるカルボニル化合物をもとにして作られています。カルボニル化合物は香気成分の前駆体となるのです。
カルボニル化合物の生成と合わせて重要な意味を持っているのがα-dicarbonyl類です。α-dicarbonyl類は非糖類カルボニル化合物に分類されている化合物ですが、アマドリ化合物からの生成以外にも糖の脱水反応などを通しても作られます。なおワインや日本酒でオフフレーバーとして扱われることの多いジアセチル (diacetyl) もこのα-dicarbonyl類に含まれます。
このα-dicarbonyl類ですが、アミノ酸と結合することで元のアミノ酸よりも炭素原子が1つ少ないアルデヒドと二酸化炭素を生成する、ストレッカー分解と呼ばれる化学反応を引き起こします。このストレッカー分解でも多くの揮発性化合物が作られます。
香りを変えるストレッカー分解
ストレッカー分解はメイラード反応の副反応として位置付けられています。メラノイジンを生成するメイラード反応の反応経路とは異なる反応を行ってはいますが、基本的にメイラード反応と並行して生じるためです。
ストレッカー分解ではα-dicarbonylと結合するアミノ化合物の種類が重要な意味を持ちます。メチオニン (methionine) と結合すると醤油様の香りを持つ3-プロパナール (beta-(Methylmercapto) propionaldehyde) を、フェニルアラニン (phenylalanine) と結合すると花様の香りを持つフェニルアセトアルデヒド (phenylacetaldehyde) を、というようにそれぞれ異なる揮発性化合物を生成するためです。ストレッカー分解では硫化臭をはじめとした欠陥臭とされる揮発性化合物も生成されるほか、香ばしい香りを持つピラジン類のようにストレッカー分解で生成された化合物がさらに反応することで作られる揮発性化合物もあります。
メイラード反応を、ひいてはストレッカー分解を経ることで食品やワインの香りは大きく変わっていくのです。
なおストレッカー分解で生成されるストレッカーアルデヒド類は無色から黄色い色調の色味をもち、対象物の外観にも影響を与えます。
関係する要素
メイラード反応自体は基本的には還元糖とアミノ酸、そして少しの水分が存在していれば進行していく反応です。その一方で反応の速度や程度に関しては非常に多くの要因が絡んでいます。
メイラード反応に関係しているとされている要素には以下のようなものがあります。
- 温度と時間
- pH
- 糖とアミノ酸の組成
- 金属イオン
- 圧力
- 水分活性
メイラード反応はアルカリ性環境下での方が反応が進みやすいとされています。このためワインのようにpHが低く、かつ保管温度も低い環境では含まれている還元糖の1%程度もしくはそれ以下しかメイラード反応を起こさないことが報告されています。
また糖に関しても種類によって反応性に差があることがわかっており、仮にある程度の還元糖が含まれていたとしてもその組成の違いによって反応の進行にばらつきが生じることが示唆されています。反応性の面ではグルコースは他の糖に比べて低い一方で、褐変への影響ではフルクトースがもっとも影響度が低いとされています。
金属イオンは主に褐変に関連して影響を与えることがわかっています。マグネシウムイオンは主にビールの醸造でメイラード反応を促進させ、褐変の原因になることが以前から指摘されています。
なおワインの環境においては、SO2の含有がメイラード反応の進行に影響する可能性も示唆されています。
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メイラード反応の意味と意義
メイラード反応を構成する要素は還元糖とアミノ酸、そしてわずかな水分です。これらの成分は世の中に存在する非常に多くの食品に含まれており、メイラード反応自体を阻止することは極めて困難です。一方でメイラード反応を経ることで食材や料理の味や香りが変わり、より美味しく感じられるようになる点はこの化学反応の持つ重要な意義の1つです。
メイラード反応がもたらす人体への影響については長いこと議論が続けられています。メイラード反応では抗酸化物質や抗変異原性物質と呼ばれる、ヒトの健康にとって良い影響を及ぼす化合物が生成される一方で、まったく逆の影響を持つ化合物も生成される可能性があることがわかっています。また反応自体にアミノ酸が消費されるため、食品の栄養価に影響が出る点も指摘されています。
こうした背景から、最近ではメイラード反応をコントロールすることで望ましい効果のみを得ようとする試みがなされています。検証自体はよりこの反応の影響が大きい、アミノ酸やタンパク質の含有量が多い食品を対象に行われていますが、そこから得られる結果はワインなどの酒類にとっても意味のあるものとなり得ます。
日本酒と違いワインはpHが特に低く、アミノ酸やタンパク質の含有量が比較的低いためメイラード反応はそれほど重要視されてはいません。しかし糖分の添加を行うスパークリングワインや糖分を多く残すフォーティファイドワインをはじめ、最近のナチュラルワインのブームを背景にメイラード反応がより生じやすい環境がワインボトルのなかに生まれつつあります。
ワインメーカーはいまこそメイラード反応の持つ意味を見直す必要があるのかもしれません。