ワインに限らず、アルコール度数が高すぎるお酒というのものは飲みにくい場合が多くなります。世の中には蒸留酒のように極端にアルコール度数の高いお酒もありますが、ワインでいえば白ワインで12~13%、赤ワインでも14~15%くらいまでがワインらしく飲めるアルコール度数の上限ではないでしょうか。
一方で最近は低アルコール度数のワインへの注目がより大きくなりつつあります。ノンアルコールワインも世界中で販売され人気が出始めています。最近はワイナリーの製品リストにノンアルコールワインを見かける機会も増えてきました。ワインは好きだけど、アルコールを含まないで同じ味や香りが楽しめるならその方が望ましい、という意見も耳にします。アルコール度数をあまり上げないワイン造りは醸造家がぜひ知っておくべき技術の1つになりつつあります。
ワインのアルコール度数を下げる技術はいくつかあります。大型の装置を必要とするものもあれば、加水して薄めるという手軽な手段もあります。各国の法律が関わってくるため何でもできるわけではありませんが、それでも醸造家が選べる選択肢は増えつつあります。
新しい技術が増えてくる中で、過去に検証はされたものの現在では話題に上らない技術もあります。そうしたうちの1つがグルコース オキシダーゼ (glucose oxidase) と呼ばれる酵素を使った手段です。目を向けられなくなる技術にはそれだけの理由がありますが、今回は敢えてこの技術に注目します。
グルコース オキシダーゼとは何なのか
グルコース オキシダーゼ (glucose oxidase: GOX) はその名前の通り、ブドウ糖とも呼ばれるグルコースを特異的に酸化して分解する特性を持った酵素です。いろいろな微生物がこの酵素を生産できるといわれていますが、工業的には黒麴菌、Aspergillus nigerによって生産されたものが使われる機会が多いようです。
この酵素はグルコース濃度を測定するための天然由来のバイオセンサーとして利用されているほか、卵の脱糖やポテトチップスやフライドポテトの変色防止、動物脂肪や肉、果物類の酸化防止など身近なことにも多く利用されています。
なおハチミツが腐敗しにくいのもこの酵素とかかわりがあります。ハチミツにもこの酵素が含まれており、ハチミツの表面で空気中の酸素を過酸化水素に還元する働きをしています。この過酸化水素が抗菌剤として作用することでハチミツを腐敗から守っています。グルコース オキシダーゼとは天然の防腐剤でもあるのです。
日本酒やビールの醸造現場では米や麦芽の持つデンプン質をブドウ糖に変える、糖化と呼ばれる工程のために酵素の利用は欠かせません。一方で、ワイン造りにおいては酵素の名前を聞くことはあまりないかもしれません。これはワインの生産現場で酵素を使わない、ということではありません。ワイン醸造ではペクチナーゼと呼ばれる酵素は非常によく使われています。また、そもそも酵母がブドウの糖分からアルコールを作るためには酵母が作り出す酵素が必要です。ワイン造りにおいても目立っていないだけで、実は酵素とは切っても切り離せない関係にあります。
なぜワインのアルコール度数が下がるのか
なぜGOXを使うとワインのアルコール度数を下げることが出来るのでしょうか。その仕組みは非常にシンプルです。この酵素がアルコールの原料になるグルコースをグルコン酸という糖分ではない酸に変えてしまうからです。
酵母はブドウ果汁に含まれている糖分をアルコールに代謝します。この時、特に酵母が好んで消費するのがグルコースです。グルコースは酵母がアルコールを作るための主要原料なのです。
一方でGOXは酵母が取り込む前にグルコースを糖分以外のものに変えてしまうため、酵母はグルコースを取り込むことが出来なくなります。酵母にしてみたら原料がなくなってしまうためアルコールは作れません。GOXがグルコースからアルコールを生産することはありませんから、結果的にワインのアルコール度数が下がるのです。
ブドウの果汁に含まれている糖分の半分がグルコースです。このため理論上はGOX処理によって引き下げることのできるアルコールの量はおよそ50%となります。しかし、実際にはGOXがすべてのグルコースを分解できるわけではないため、検証からはGOX未処理のケースと比較して40%程度までの引き下げが出来たと報告されています。
GOXがグルコースを分解する仕組みと条件
グルコース オキシダーゼがブドウ果汁中のグルコースを分解する作用は2段階に分けて進みます。
最初のステップではβ-D-グルコースをD-グルコノ-1,5-ラクトンへと酸化します。この時、同時に過酸化水素が生成されます。GOXはこのβ-D-グルコースを酸化させる触媒として機能します。なお続くステップではD-グルコノ-1,5-ラクトンがグルコン酸 (gluconic acid) へと加水分解されますが、この反応は酵素的反応ではなく、厳密な意味ではGOXは反応に関わっていません。
GOX処理によって低アルコール濃度のワインを得るためにはGOXが醸造工程において酵母よりも早い段階でグルコースに作用する必要があります。このためGOX処理の大前提は果汁への処理となります。さらにGOXがより効率よく作用するためにはpHが高く、温度も高めであることが必要とされています。この酵素が効率的に働くための適正環境は、pH 5.5 ~ 6.0、温度が30 ~ 40℃といわれています。
しかしpHを調整し、温度を管理しただけではまだこの酵素を最大限活用することはできません。酸素の供給が必要不可欠なのです。
グルコースオキシダーゼは好気性の反応を行う酵素です。その反応の割合は対象物中のグルコース濃度に加えて酸素濃度に依存します。どんなにpHや温度といった環境条件を整えても嫌気下では反応が進むことはほとんどありません。ワイン醸造の現場に限定した話をするのであれば、GOXを添加する果汁は事前に除酸してpHを上げるのとあわせて、酵素の反応時間中、相当量のエアレーションを行う必要があります。これがワイン醸造においてGOXの利用が促進されない原因の1つです。
酸化を避けられないGOX処理
GOX処理で十分な成果を得るためにはエアレーションの実施が不可欠です。酵素添加後に十分なエアレーションを行った場合には出来上がったワインのアルコール度数がおよそ半分近くまで下がったのに対して、十分なエアレーションを行わなかった場合にはわずかに0.7%程度の低下に留まったとの報告があります。一方でこのエアレーションを原因とした果汁の酸化が出来上がるワインの品質低下要因として指摘されてもいます。具体的には色味の褐変や味や香りといった官能評価への影響が報告されています。
ワインの醸造に欠かせないアルコール発酵の工程は極めて嫌気的に行われます。酵母はブドウ果汁中の糖分を代謝してアルコールと二酸化炭素を排出しますので、発酵中のブドウ果汁中には酸素がほとんど含まれない状態になります。これによって予め酸化された果汁もある程度は元に戻ります。過去に行われた検証ではGOX処理で酸化された果汁がアルコール発酵を経ることでおおよそ40%程度、状態が回復されたと報告されています。しかし逆にいえば、60%は酸化されたままになる、ということです。
この結果、出来上がったワインの官能評価では未処理のワインと比較して果実味が弱く、香りの余韻が短くなるとの結果が出ています。また酵素反応の結果生成されるグルコン酸の影響で酸味が強くなることもわかっています。
GOX処理で行われるエアレーションはある意味ではハイパーオキシデーションと似た結果をもたらしますが、投入される酸素量が大きく異なります。結果、GOX処理ではハイパーオキシデーションでは見られないような酸化が生じてしまうのです。
また過度のエアレーションを必要とする酵素処理で酸化された果汁もしくはそこから造られたワインでは必要となるSO2の量が多くなることもわかっています。これは果汁が酸化しているからという理由に加えて、処理中に発生する過酸化水素やカルボニル化合物による影響が大きいことがわかっています。こうした物質はSO2と強く結びつく性質をもっているため、自然とワインに添加する必要のあるSO2の量が多くなってしまうのです。
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今回のまとめ|なぜGOXを知る必要があるのか
ワインの低アルコール化技術は今、もっとも注目されている技術分野の1つです。アプローチは醸造面だけに限らず、栽培面からも様々な試みがなされています。背景にあるのもまた、様々な要因です。
最近になって強くいわれているのは、気候変動に伴う地球規模での温暖化によるブドウの熟度の向上。地域によっては過熟といわれるレベルまでブドウが早期に熟してしまうようになりました。十分に熟したブドウには多くの糖分が含まれるようになります。多くの糖分はそれだけ多くのアルコールを作り出す原料となり、ワインのアルコール濃度は高くなる傾向を示し続けています。
一方ですでに数十年言われ続けているのは、アルコールによる健康への影響です。人々の健康志向が強くなる世の中では、より低いアルコール度数のワインが求められ続けています。またランチミーティングでワインを飲む層にとっては午後の業務に差し支えないように、運転をする人にとっては運転に差し支えないように、アルコール度数が低い、もしくはアルコール自体を含まないワインに対する需要は決して小さなものではありません。さらに産業面からはアルコール度数に応じた税率の回避策として、こうした技術に注目されている場合もあります。
技術に対する注目度が上がっているにもかかわらず、まるで忘れ去られたかのように目を向けられていないのがグルコース オキシダーゼという酵素を用いた手法です。ここ数年では検証論文の類はまったく発表されていません。
理由は明らかです。処理に伴う過剰な酸化やそれにともなうワインの品質低下などデメリットが大きいのです。また本来はブドウに含まれない酵素を利用するため、使用に際して国レベルでの許認可が必要になる点も小さくない影響を及ぼしています。
一方で私自身はこの酵素を利用した手法には決して小さくない醸造上の利点があると考えています。ある意味においてこの酵素だからこそ実現できるものです。そうした応用手法を考えるうえで、この酵素についての知見を持つことには意味があります。
なお私の考える応用手法の具体的な内容に関してはオンラインサークルもしくはマガジンに収録される記事でご覧いただけます。ご興味ある方はサークルへの参加やマガジンの購読をご検討ください。