品質管理

ワインの味とグリセロール

ワインはとても味と香りの多様性に富んだ飲み物です。同じ年、同じ産地のワインであっても全く同じ味や香りのするものはありません。さらには同じ生産者が同じ年に同じ畑から収穫してきたブドウを2つの容器を使って同じように造り上げたワインでさえ、それぞれの味や香りには何らかの違いが出るものです。

こうした違いはワインに含まれるさまざまな化学物質の種類や量の違いから生まれています。時にはワイン中の含有量が全体の1%にも遠く及ばないほどでしかない成分が決定的な違いを生み出している場合さえあります。

それほど微量にしか含まれていない成分がそこまで大きな影響を及ぼすのであれば、含有量がより多い成分はもっと大きな影響力を持っていても不思議ではありません。そこで今回は、ワインに含まれる成分のうち、3番目に多い物質に注目します。グリセロールです。グリセロールは多くのワインで水とアルコールに次いで含有量の多い、ワイン中の一大勢力です。

ワインに含まれる成分とその組成比率

ワインと全く同じものを人工的に作ることは簡単でありません。一方で、ワインに近いものを人工的に作ることは実はそれほど難しくはありません。過去にはワインの「レシピ」が記された資料なども発見されているほか、とある醸造家が今際の際に息子に最大の秘密としてワインがブドウからも作れることを語った、なんて逸話もあるほどです。

ワインに含まれている香りの成分は数百種類を超えるといわれています。これらの成分を全て特定し、その含有量を明確にするのは最新の科学技術を用いても困難です。しかしこれらの成分を種類ごとにまとめてその割合を求めてみると、見えてくるワインの姿は意外なまでに単純です。

ワインの中心成分は水です。全体の70~85%を占めています。これに続くのがアルコールです。10~15%程度ほどです。そして残りの15~20%が固形分といわれるものです。ワインを限界まで大まかに分解すると、構成要素はこの3つだけになります。

固形分と抽出物

固形分という単語は普段、ワインの成分表などには見かけることはあまり多くありません。固形分には酸、糖、抽出物の3つが含まれます。酸量と残糖量はワインのスタイルによって大きく含有量が変わりますので、例えば残糖量が極端に多い甘口のワインなどでは固形分量もそれに伴って多くなります。

エキス分と呼ばれることもある、抽出物量には水、アルコール、酸、糖以外の全ての構成成分が含まれます。赤ワインの色を出すアントシアニンなどのフェノール類やワインの香りの原因である芳香性化合物などもすべて抽出物として計上されます。残糖を含まない辛口ワインでは酸量が6~15 g/Lなのに対し、抽出物となる無機物類が1.8~4 g/L, ポリフェノール類が0.1~3.5 g/Lといったような割合になっています。なお芳香性化合物の量は0.8~1.2 g/L程度の範囲で報告されています。

抽出物には多くの成分が含まれていますが、そうした中で最も含有量が多いのがグリセロール (glycerol) です。ワインに含まれる量はおよそ5~12 g/L。抽出物量全体の30%強を占めます

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貴腐ワインに多いグリセロール

グリセロールという名前にはあまり聞き覚えがないかもしれません。グリセロールは化学物質としては不揮発性糖アルコールに分類されます。色や香りを持たず、粘度が非常に高いことが特徴です。口に含んでみると甘い味がします。グリセロールの名前は知らなくても、グリセリンという名前は知っている人も多いのではないでしょうか。そのグリセリンが、グリセロールです。

ワインに含まれるグリセロールの含有量は通常、アルコール含有量の7~10%程度とされています。ただその量には極めて大きな差があることも知られています。グリセロールの含有量を特に増やすのが、ブドウのボトリティス (Botrytis cinerea) への感染です。

極甘口ワインとして知られる貴腐ワイン。造るためには貴腐ブドウと呼ばれる、貴腐菌のついたブドウが欠かせません。貴腐菌は灰色カビとも呼ばれるカビの1種ですが、正式な名前はボトリティスです。ボトリティスに感染したブドウでは果汁の凝縮を通して糖濃度が高くなっていきます。この時、同時にブドウ中のグリセロール含有量も多くなることが分かっています。健全なブドウから造られたワインに含まれるグリセロールの量は1.36~14.7 g/L程度なのに対して、ボトリティスに感染したブドウから造られたワインからは14.6~24.7 g/Lと非常に多くの量のグリセロールが検出されています

通常、グリセロールはアルコール発酵中に酵母が作り出す発酵副産物としてワイン中に含まれるようになります。このため発酵前の果汁にはグリセロールはほぼ含まれていません。これに対して、ボトリティスに感染したブドウを使った場合には発酵前の果汁にも多量のグリセロールが含まれています。貴腐ワインなどには元から果汁に含まれるグリセロールに追加して発酵中に生産されるグリセロールが加わるため、通常のワインと比較すると圧倒的に多くのグリセロールが含まれるようになります。

アルコール発酵における副産物

ブドウがボトリティスに感染している場合を除くと、グリセロールはアルコール発酵の過程でワインに含まれるようになります。

酵母は糖を代謝する際、Glycolysisと呼ばれる代謝プロセスを必要とします。グリセロールはこのGlycolysisの際に生産される発酵副産物です。生産される量には酵母の株の違いだけではなく、発酵の条件が大きく影響します。果汁のpH、発酵時の温度、ブドウの熟度、ブドウの果皮表面に付着している微生物叢などによって生産量が変わる一方、ブドウの品種や生産地はほとんど影響しないとされています。

製品化されている乾燥酵母にはグリセロールの高生産性を謳ったものもあります。一方で仮に同一の酵母株を使っていてもグリセロールの生産量には大きなバラつきが生じることが報告されています。こうした検証結果からは酵母の種類よりも発酵条件による影響の方が大きい可能性が推測されます。

ワインへの影響

グリセロールは味が甘く、粘度が高いことから含有量が増えるとワインのボリューム感、つまりボディに対してポジティブな影響を与えるといわれています。グリセロール高生産性酵母が商品化されている理由もここにあります。

特に赤ワインではワインの品質とグリセロールの含有量との間に正の相関が確認されています。これはグリセロールの含有量が増えることによって口当たりに丸みや滑らかさが出るようになったためだけではなく、酸味や渋みがグリセロールの持つ甘味によってバランスが取れた状態になることも要因の1つであるといわれています。一方で赤ワインでも白ワインでも過剰にグリセロールの含有量が増えるとワインの評価に対してネガティブに影響することもわかっています。

グリセロールによるワインへの影響を考える上で難しいのが閾値と含有量の関係です。グリセロールの閾値は比較的高いとされています。そしてボトリティス感染のような特殊な事例を別にすれば、ワインに含まれるグリセロールの含有量はそこまで多くはなく、閾値を超えない可能性があります。またその程度の微量な含有量ではワインの粘度に対して大きな影響を及ぼすことはないとも考えられます。

含有量の多い赤ワイン

グリセロールの含有量がもっとも多くなるワインはボトリティスに感染したブドウを使って造ったワインですが、これに次いで含有量が多いのが赤ワインです。一方で白ワインでは辛口であってもオフドライであってもグリセロールの含有量は相対的に少なくなる傾向を見せています。

赤ワインで含有量が多くなる傾向にある理由は明確です。赤ワインでは発酵時の温度が比較的高く保たれているほか、果汁のpHも白に比べれば高くなります。赤ワインの醸造環境下では酵母がグリセロールを生産しやすい環境が整っているのです。

すでに見てきたように赤ワインにおいてはグリセロールの濃度とワインの品質の間に正の相関が認められています。こうした点からは、赤ワインの発酵で発酵温度を高めに設定することが推奨される理由の一部を知ることができます。また残糖量はほぼゼロであるはずなのに甘く感じる赤ワインが少なくないこともこの点から説明できます。アルコール度数が高いワインでは比例してグリセロールの含有量が多くなり、そのグリセロールの持つ甘味によってワインを甘く感じている可能性があります。

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今回のまとめ|グリセロールは多い方がいいのか

過去にはグリセロールが口に含んだ際の感触の変化を通してワインの品質を高くすると信じられ、とにかくワインに含まれる含有量を上げるための試みがなされたりもしてきました。しかしそうした検証を通して過剰な量のグリセロールはワインの品質評価にネガティブに働くこと、常識的な含有量の範囲においてはワインの品質への有意な影響が認められなかったことなどから最近はとにかく含有量を増やそうとするようなアプローチはあまり聞かれなくなってきています。

また実務レベルではグリセロールの生産量をコントロールすることは簡単ではありません。酵母という微生物の代謝活動によって作られるものであるため生産性にバラツキが大きく、発酵条件を同一にしたからといって必ずしも同じ結果が得られるとは限らないためです。

単純に含有量を多くしようとするのであれば結果としてワインに含まれる含有量に差はあるにしても、比較的多くなるように管理することは可能です。しかしそうしたアプローチでは生産量を細かくコントロールすることができません。出てくる量はある程度、運任せとなります。多くなりすぎてしまえばワインの品質を下げることにつながる以上、本当にそのようなアプローチをとる意味があるのかは慎重に検討する必要があります。

ワインの構成成分としては上から3番目に多いグリセロール。いかにもワインにとって重要な影響力を持っていそうに思えますが、より少ない含有量で明確な影響をワインに及ぼす香り成分などと比較すると意外に地味な役割を演じています。香り成分とは違って、多ければ多いほど良い、というものでもない点も対照的だといえます。

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  • この記事を書いた人

Nagi

ドイツでブドウ栽培学と醸造学の学位を取得。本業はドイツ国内のワイナリーに所属する栽培家&醸造家(エノログ)。 フリーランスとしても活動中

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