品質管理

ワインと衛生管理|ワインの個性の在り方を考える

食品は衛生的であるべき

現代を生きる私たちにとっては当たり前のように感じていることです。しかし、実際に日本で食品衛生法が施行されたのは1948年のこと。今から75年前のことです。2018年にはこの食品衛生法等の一部が改正され、すべての食品事業者がHACCP (Hazard Analysis and Critical Control Point) に基づいた衛生管理を実施することが求められるようになりました。食品衛生という概念は私たちが考えるよりもよりもかなり新しい概念だといえます。

一方でワイン造りはそうした概念が出来上がる遥かに昔から行われてきました。最近の研究によればワイン用ブドウの原種が地球上に登場したのが11000年前のことで、その2000年後にはワイン造りが始まったとされています。つまり、ワイン造りは9000年の歴史があることになります。

そんな長い歴史を持つワイン造りは使われる技術こそ機械や設備の導入を通して高度化してきていますが、基本的な部分は今も昔も変わっていません。畑で栽培されたブドウを収穫して、潰して、発酵させて、瓶詰めしています。日本酒のように原料となるお米を洗浄することも基本的にはなければ、瓶詰め前後にパストリゼーション (pasteurization) を行うようなこともほとんどありません。さらに最近では瓶詰め前のろ過も行わないノンフィルターワインが人気なこともあり、衛生管理という面からは部分的に時代に逆行しているようなケースも見受けられます

こうした状況を鑑みると、気になってくるのが、ワインの衛生度です。果たしてワインはどれほど衛生的なのでしょうか。また、ワインのスタイルによって衛生度に差が出るものなのでしょうか。そもそもワインはどこまで衛生的であるべきなのでしょうか。ワイン造りにおける基礎的な考え方と、最近の傾向から考えていきます。

ワインはなぜ殺菌を必要としないのか

世の中のすべてのワインが一切、殺菌をされていないのかといえば、そんなことはありません。例えば酸化防止剤として知られる亜硫酸塩 (SO2)。メインの用途は名前の通り酸化の防止ですが、同時に微生物の活性を抑える役割を持っています

また、ワインによってはパストリゼーション、低温殺菌工程を経てボトリングされているものもありますし、一部の微生物類を無害化できる酵素を使用しているワインもあります。これらの手段はいずれも滅菌とまではいきませんが、ワインに含まれている微生物の活動を抑制し、ワインの品質を劣化させることを防止しています。

しかしそもそもの前提として、ワインは殺菌や滅菌はほとんど必要ないと言われています。実際にワイン造りの方法は衛生管理に関する概念などほとんどなかったであろう時代のそれとそれほど大きくは変わっていません。これはつまり、昔からの造り方をしていても食中毒などの重篤な健康被害を生じることがなかったことを表してもいます。

ワインが特に意識されていなくても大きな健康被害を出さずにこれた理由は、低いpHと高めのアルコール濃度です。

ワインは含まれている酸量が多く、それにともないpHが比較的低く保たれています。低いpHはそれだけで微生物の繁殖を予防する効果がありますが、さらに低pH環境下ではSO2の微生物抑制作用が強くなる特徴があります。このためより少ない量のSO2の添加で十分な効果を得られるようになりますし、その状態で高pHの場合と同様の量を添加していれば微生物に対する抑制作用はより強くなります。

また多くのワインがアルコール度数10~14%前後になっている点も重要です。アルコールは殺菌効果を持ちますので、アルコール度数が高くなればなるほど、微生物の繁殖や活動が抑制されるようになります。こうした特徴から、ワインに殺菌は必要ないと言われているのです。

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本当にワインに殺菌は不要なのか

ワインに殺菌が不要なのかどうかは、そのワインの造られ方に強く依存します。

原料となるブドウが完全に健全な状態のものだけを使い、乾燥酵母による発酵を行い、残糖をほぼ残さない辛口に仕上げた上で適切な量のSO2を添加し、可能な限り酸素との接触を遮断した状態で保存してからボトリング前に適正なろ過をしたのであれば、そのワインはかなり微生物汚染から守られており、特別な殺菌工程は必要ありません。一方で、醸造工程中のどこかに違った方法を取り入れているのであれば、その違いの数だけそのワインが微生物に汚染されるリスクが高くなっていきます。

ワインは腐敗しないと思われていますが、例えば残糖量の多い甘いワインで長期間の保管によってボトル内への酸素の入流量が増えた場合などには抜栓前のボトルの液面にカビが繁殖するようなこともあります。なんらかの原因で酢酸菌が混入してしまえば、その代謝によって酢になってしまう場合もありえます。外部からの様々な条件が関係するとはいえ、劣化につながる要因がある環境下ではワインは絶対に腐敗しないわけではありません。そもそもパストリゼーションという技術も、ワインの腐敗を避けるために開発されたと言われているくらいです。

「ワインの賞味期限」の不思議

殺菌という工程がそうした劣化に繋がりうる要素をその時点において可能な限り排除するための工程である以上、条件次第ではワイン造りの現場においても殺菌工程は必要だといえます。

ワインにおける「衛生」を考える

ワインの衛生管理を考えたとき、「衛生」という言葉を使うことがどこまで適切なのか、という点には多少なりとも疑問が持たれます。「衛生」の対義語は「不衛生」になりますが、ワインでいえばこの「不衛生」とは主にワインが微生物汚染にさらされている状態を指します。ではこうした微生物汚染を招く状況が必ずしも世間一般で言う「不衛生」な環境なのか、といえばそうともいえないためです。

ワイン造りにおいて微生物との関わりは切り離すことのできない、極めて重要なものです。ワインの華やかで多様な香りや味のほとんどは様々な微生物が関わることで生み出されているものです。このため、ワイン造りの現場には数限りない種類の微生物が存在しており、それらの中の一部が我々ヒトにとって好ましくない代謝を行った場合のみ、問題が生じ、衛生管理の対象として考えられます。しかしそうした望ましくない代謝を行う微生物の一部は、常に望ましくない代謝を行っているわけではなく、日和見菌のように動いています。つまり一部の微生物は状況次第で良くも悪くもなるため、衛生の意識のもとにすべての微生物を造りの現場から排除するようなことはできないのです。

そうなると、無菌に近い状態を衛生的、逆に菌の存在数が多い状態を不衛生とはいえなくなってしまうのです

発酵は微生物を排除できない

ワイン用のブドウを収穫する時期になると、ブドウが入った容器の中で人がブドウを踏み潰す画像や映像が流れてきます。また最近ではあまり目にしなくなりましたが、発酵容器の中に人が浸かっている光景を目にしたことがある方もいるかも知れません。

まだワイン造りに機械化の波が訪れていなかった頃、ブドウは人の足で踏み潰されたり、果汁の温度を発酵に適したところまで上げるために人が直接発酵槽内に入って体温で温めることが行われていました。こうした行いは、プレス機や温度管理槽が普及した現代でも、一部のワイナリーでは継続されています。

後々人の口に入るものを人が素足で踏んだり、あまつさえ浸かるなどありえない、と思われるかもしれません。しかし、それが自然な造りであるとして、また機械にはできない微妙な加減ができる適切な手法であるとして、敢えてこうした方法を採用する生産者は意外なまでに多くいます。そうした人たちを支える考え方が、低pHと発酵による嫌気状態の維持、そしてアルコール度数の上昇による殺菌効果です。ワインは発酵を通して自身で消毒されるため、発酵前に素足で踏んだり、果汁に浸かったりしても大きな問題にはならない、というわけです。

醸造学で学ぶ優勢状態の真実

ワインの醸造学では発酵中に特定の酵母が優勢となることでそれ以外の微生物類の活性が抑えられる、ということを学びます。これは確かにその通りで、複数の検証によっても裏付けられている事実です。ところが、この場合の優勢は実は全体の半分も満たしていない状態での優勢であることはあまり知られていません。優勢は優勢なのですが、まったくもって圧倒的な優勢を誇っているわけではないのです。

ワインをはじめ、日本酒やビールといった醸造酒を造る際に主に利用されている酵母はサッカロマイセス・セレビシエ (Saccharomyces cerevisiae) と呼ばれる種類の酵母です。この酵母は自身が優位的立場を獲得するために周りにいるほかの微生物類の活性を阻害する行動を取ることが指摘されたりもしていますが、そこまでしても発酵中の果汁中においてこの酵母の存在率が100%になることはありません。つまり、発酵中の果汁中にはほかの種類の微生物が多数存在し、しかも発酵後まで生存し続けるケースもあるということです。

発酵を生き残り、発酵後にも何らかのかたちで生存し続ける微生物の中には人体にとって無害なものもあれば、有害なものが含まれる可能性もあります。さらにはワインにとって良い働きをする存在かもしれませんし、望ましくない影響を及ぼす存在であるかもしれません。そのワインの中にどのような微生物が存在しているのかは年ごと、畑ごと、どころか発酵槽ごとによって変わるものです。さらにはタイミングによっても多少の変化が出るため、どのような存在がそこにいるのかを知ることは困難です。一方で、何かしら外部から微生物が混入するような行為をすればするだけ、ワイン中にそうした微生物が存在する可能性は明確に高くなっていきます

微生物の中にはアルコール耐性の高いものとそうではないもの、酸性環境に強いものと弱いもの、といったように様々な違いをもったものたちが混在しています。仮にいずれかの微生物がワイン中に混入したからといって、即座になにかしらの影響が出るとは限りません。しかしそうした点とは別に、これまでに一部の生産者間で考えられてきたように、発酵を通してそうした微生物が駆逐されることは期待できませんし、発酵によって微生物リスクが完全になくなるなどと考えることは今や夢物語の類とさえいえることです。

なおワインが何かしらの微生物の影響を受けるような状態にある場合、ほとんどのケースでは人体に有害な影響を出すようになる前にワインの味や香りに影響が出てきます。ワインにおける望ましくない微生物の代謝は、ワインに感じる欠陥臭を生む大きな原因の1つでもあります。

衛生と複雑味の複雑な関係

ワインの持つ大きな魅力はその複雑な香りや味わいにあると言われます。ブドウというたった1つの原料から造られているにもかかわらず、ブドウには感じることのない様々な香りや味わいを感じることは不思議ですし、そうした不思議が我々を惹き付けてやみません。

こうした香りはその多くが微生物の代謝となにかしらの関係をもっています。様々な微生物が様々な代謝をすることで、様々な香りや味わいが生み出されています。そうした意味では、ワイン中により多くの微生物が存在する状態を作ったほうが、より多くの香りや味わいを含んだ複雑さのあるワインを造れることになります。事実、最近では以前は無条件に否定されていた酢酸のニュアンスやブレット (Brett) のニュアンスを敢えてもたせることで従来のワインにはなかったスタイルのワインをリリースする生産者も出てきています。

ワインに個性を持たせるために、以前は腐敗酵母と呼ばれていた類の微生物まで利用するようになってくると、問題になるのがワインの衛生度との関係です。衛生的な観点からみれば、腐敗酵母などその名前のとおりに存在自体が許されない対象になります。しかし、敢えてこの酵母を利用しようとする場合、部分的に衛生管理の観点を曲げる必要が出てきます。腐敗酵母は例として極端ですが、なにかしらの微生物をワイン造りに利用しようとするのであれば、衛生的観念との対立は避けられません。

どうすればこの両者をどちらも成り立たせることができるのか、その答えを出すことはそう簡単なことではありません。

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今回のまとめ|衛生管理をどう捉えるか

昨今ワイン業界に訪れている大きなムーブメントの1つが、原点回帰です。造りの近代化に異を唱えた生産者たちが古典的なワイン造りの手法に注目するようになり、最近では自然派ワイン、ナチュラルワインと呼ばれる造りのワインを世に送り出しました。ワインの消費が単純なお酒の消費としてではなく、生活スタイルの表現方法の1つとして受け取られるようになってきたことがこうした動きを強く後押しした結果、今や市場には無濾過でSO2無添加の自然派を謳うワインが溢れています。

原点回帰という考え方がこれほど造り手たちの中でも盛り上がった1つの要因は、ワインの画一化の進展による急速なコモディティ化にも求められます。近代化された生産設備の普及、醸造学をはじめとした各種知識の一般化などを通して、世の中に流通するワインの多くが高い水準で標準化されるようになりました。これによって一部の造り手たちは、それまで出せていた自分たちの個性を打ち出しにくくなっていきました。誰が造ってもそれなり以上のものが造れる環境が整ったことが、似たりよったりのワインを大量に生み出すことにつながったのです。こうしたワインの没個性化の拡大には、衛生管理度の向上もまた大きく影響していたと考えられます。

近年、衛生的な生産設備の導入に加え、衛生管理概念が一般化したことで醸造所内におけるクリーン度が一気に高くなりました。その結果、ワインに個性を産んでいた微生物の活動の範囲が制限されるようになり、ワインのある種の均一化が進んだ可能性が高いのです。

本来、食品製造の現場が衛生的になることは望ましいことであってそれを否定する理由はありません。しかし激化するばかりの競争の中で勝ち残っていくために自身の造るものに個性をもたせることが求められる中においては、厳しい制限の中でそれを実現しようとするよりはなんらかの理由をつけてそれが現在よりも楽にできた以前に戻れることを望んだとしても不思議ではありません。幸い、9000年もの歴史を持つワイン造りには過去に回帰することを正当化するためのストーリーはいくらでも溢れています。そしてロマン溢れるストーリーとともにワインに個性をもたせることは、消費者の方々にも喜ばれることでもあります。

ワインに個性をもたせることの重要性は論を俟ちません。一方でその実現をどのような手段に求めるのかは各造り手の考え方によって異なります。それはまた、消費者の好みによって変わる得るものでもあります。ワインはあくまでも嗜好品ですので、造る側のものにしろ飲む側のものにしろ、誰もが他人の好みに口を出すべきではありません。しかし、そうした個人の嗜好を尊重しながらも、ある程度の品質や衛生基準は守る必要があります。ワインの特徴を一部犠牲にしても、均一な品質を保つことが必要だということは、ほとんどの人が理解し合意できる点であるはずです。

今のような時代だからこそ、そうした視点から、最近のワインのスタイルの在り方や造り手の考え方を見直してみる必要があるのかもしれません。

なお、実際に醸造工程を通してどの程度の微生物が生存する可能性があるのかについては限定記事で詳しく扱います。

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  • この記事を書いた人

Nagi

ドイツでブドウ栽培学と醸造学の学位を取得。本業はドイツ国内のワイナリーに所属する栽培家&醸造家(エノログ)。 フリーランスとしても活動中

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