FACE、と呼ばれる実験をご存知でしょうか。
おそらく多くの方は知らないと思います。ですが、それも当然です。この実験、植物の成長や環境から受ける影響を調べる人たちからするともう10年以上にわたって活用されてきたものですが、一般の人が目にしたり耳にしたりすることはまずないものだからです。
FACEとはFree Air Carbon dioxide Enrichmentの略で、大気中の二酸化炭素濃度を人為的に引き上げ、その環境下で植物がどのように反応をするのかを観察する大型実証実験を指しています。
なぜこの実験が今、重要視されているのか。それはこの実験が未来の植物の姿を知るための技術と目されているためです。
FACEはこれからのワイン用ブドウ栽培を考えていくうえでも重要な実験として位置づけられています。
まずはFACEとはなんなのか。ぜひこの記事を読んで知ってください。
仮説検証のための究極の実験場、FACE
FACEは植物の育つ環境を人為的にコントロールすることで、その環境の中で植物がどのように生長していくのかを観察し、調べるための実験です。こうした実験はFACE以外にも様々なものが行われてきましたし、今でも行われています。そうした数ある実験とFACEの違いは、FACEでは従来の実験で使用されていたオープントップチャンバー (open-top chamber: OTC) のような設備を使用せず、完全開放型の設備で実験を行っている点です。
従来の環境コントール型実験は、コントロールしたい要素による影響をより厳密に測定するためにそれ以外の要素が変化しないように密閉型、もしくは閉鎖型の実験設備内で行っています。まさに実験室内での実験です。一方でFACEは屋外のフィールド、つまり実際の畑で行われます。実験エリアを区切るような壁や天井も設置しません。完全に開放された環境下で自由大気中に二酸化炭素を継続的に噴霧することでエリア内の二酸化炭素濃度だけを引き上げています。
実験エリアを密閉しない理由こそが、FACEの最大のメリットとされています。FACEでは外部要因を排除しないため、極めて現実環境に近い環境で実験の結果が観察できるのです。
FACEの実験場では太陽光も雨も、気温も湿気も風も、害虫・益虫含めた昆虫類、動物、そして菌類までもが自由に出入りします。その環境は本当の意味で従来のエコシステムが維持された、二酸化炭素濃度だけが異なる現実環境なのです。
こうした理由から、FACEは仮説検証のための究極の実験場 (the ultimate test bed for hypotheses) と呼ばれています。
FACEではあらゆる植物が観察されている
FACEは現在の地球で最大規模の問題の1つ、温暖化による環境の変化が植物に与える影響を検証するために考え出されました。
二酸化炭素といえば代表的な温暖化ガス。地球温暖化を促進する存在の1つです。
現在世界では年間1.5 ~ 3 ppmのペースで大気中の二酸化炭素濃度が上がっており、21世紀半ばには二酸化炭素の増加量は20%にも達すると試算されています。年々増加している二酸化炭素濃度がいったい植物にどのような影響を及ぼしているのか、その変化を観察することがFACEの目的です。
FACEで対象とするのは、ありとあらゆる植物です。ブドウやその他の食用植物だけに限りません。また地中への影響も調べられています。FACEはその性質上、広い範囲を自由に移動する昆虫や動物を対象とすることはできませんが、およそそれ以外のものは観察の対象とされています。
長期観察こそがFACEの本領
FACEが真価を発揮するのは継続的な長期観察です。
地球の大気中の二酸化炭素濃度は毎年継続的に上がってきていますし、上がった濃度が下がることは現状、ありません。つまり地球上の動植物は後戻りすることのない変化の波の中に立っています。そうなると観察され始めるのが、蓄積による影響、です。
FACEではこうした"すでに二酸化炭素濃度があがっている自然大気"に対してさらに追加で一定量の二酸化炭素を供給します。つまり、FACE内の環境は常に一定量、自由大気よりも二酸化炭素濃度が高い状態に保たれています。そうした環境中で数年以上にわたって栽培された植物は、変化の蓄積による影響を観察するにはうってつけの対象となります。
FACEを使った検証レポートでは実験の初年では観察されなかった変化がその後、数年の間で観察されるようになった事例が多くあります。こうした例からも、二酸化炭素濃度の変化は長期的な視点から観測し、影響判断をしていくことが重要であることが分かります。
ちなみにFACEの実験エリアは密閉されていません。このため噴霧されたCO₂は風に流されるなどして常に外部に流れ出てしまいます。こうなるとエリア内の二酸化炭素濃度が不安定になると思われるかもしれません。
確かに実験室内での実験のように完全に安定しているわけではありません。しかしこうした誤差はセンサーを活用し短い間隔で継続的に二酸化炭素ガスを噴霧することで回避されています。むしろそうした誤差よりも従来のエコシステムを維持したまま観察ができるメリットの方が大きいと考えられています。
また現実環境でも気候条件などによって大気中の二酸化炭素はある程度変動していますので、こうした大気の揺らぎはむしろ現実環境に近づけるのに都合のいいもの、とも考えられます。
FACEにおける問題は植物の慣れと設置の条件
本来のエコシステムを破壊せずに特定の環境因子の変化のみを測定できる技術として注目されているFACEですが、問題がないわけではありません。すでにFACEにおける問題はいくつか指摘されています。そうした中でも影響が大きいとされているのが、慣れの差による反動の大型化です。
FACE実験下で炭素蓄積量が増える傾向にあることが分かっています。この増えた炭素が原因で同様に窒素の需要量が大きくなるのですが、この時の窒素の需要量の増加幅が現実的な二酸化炭素濃度の上昇に基づく需要増よりもはるかに大きくなると考えられています。
こうした問題はFACE内で一生涯を完結する植物にとってはほとんど問題とならない一方で、FACE外から入ってくる存在に対しては極めて大きな影響を及ぼす可能性があると考えられています。FACE内外での差があまりにも大きくなるためです。常に高山で生活している人にとってはなんともない環境が、そうでない人には息苦しく、時には高山病の原因になるのと同じです。
またFACEはCO₂ガスの安定供給用設備まで含めれば大型の設備を必要としますし、コストもかかる実験です。このため観察結果を検証するためのサンプル数を確保しにくく、かつ再現実験をしにくい点もまたFACEの課題とされています。
さらにはインフラの整っていない地域での実験が難しい点もあげられます。
大気中の二酸化炭素濃度の上昇は地球のあらゆる地域に影響を及ぼす事象ですが、それを実験するためのFACEの設置には整ったインフラが必要です。熱帯雨林や高地、砂漠などではFACEの設置が物理的に難しく、こうした地域における実証実験はまだあまり進んでいません。
FACEで分かった植物の光合成の変化
真新しい試みのように感じるFACEですが、すでに15年を超える検証が続けられています。こうした長期にわたる観察の結果から判明した中でも特に大きい発見の1つが、どうやらCO₂濃度の上昇は植物の光合成能に影響を与える可能性がある点です。
FACE内で観察されたなかで40を越える種の植物で確認されたのが以下の点です。
- 気孔コンダクタンスはおよそ20%減少
- 細胞間と外部におけるCO₂の存在比は変化なし
- 見かけ上の光制限的光合成の量子収率は12%増加
- 光合成の光飽和と日中における炭素の同化量は有意に増加。この結果、地上部の乾燥物生産量 (dry matter production: DMP) と作物収量が増加
- DMPの増加量と穀物の収量の増加幅は炭素量の増加から予想される範囲を下回った
- 樹木におけるLeaf-area index (LAI, 葉面積指数) は一部植物種にて増加
簡単にいえば次のようにまとめられます。
- 植物が光合成を行う際にCO₂を取り込む気孔、人間でいう口のような器官、の大きさが20%小さくなってCO₂が取り込みにくくなったにも関わらず、消費されるCO₂の量は12%増え、かつ取り込まれて蓄積されているCO₂の量に変化はなかった
- 一度によく多くのCO₂を消費出来るようになり、その分、光合成で造れるものの量も増えて収量が上がったけれどその増え方はCO₂の消費量の増え方よりも少なかった
- ついでに一部の植物種では葉が大きくなった
こうした内容は大雑把にいえば、樹全体での光合成の効率が上がったと判断できます。
こうした反面、葉1枚当たりの光合成能は窒素やそれ以外の栄養素量との関係のなかで低下する場合があるとの指摘があります。具体的にはCO₂の濃度上昇により葉面における炭水化物量が増加する一方で、葉面のRubisco (リブロースビスリン酸カルボキシラーゼ・オキシゲナーゼ、光合成反応に使用される酵素) 量が減り、光合成反応 (カルボキシラーゼ反応) の最大速度も低下したのです。
光合成能の低下反応は低栄養状態をはじめとしたいくつかの条件下で確認されていますが、必ずしもすべての植物でみられる現象ではありませんでした。
またこうした変化はC₃種とよばれる植物群では観察されていますが、C₄種の植物群では特定条件下以外ではほとんど観察されませんでした。
今回のまとめ | FACEがみせる未来像
最近の植物のフィールド検証で大きな役目を期待されているFACEについて解説をしてきました。
FACEは必ずしもワイン用ブドウに限ったものではなく、もっと広い範囲で地球環境の変化が自然環境に与える影響を検証していこうとする取り組みです。そのため実験の対象は非常に幅広いものとなっています。
また現状におけるFACEは気温や対象となる植物、エリア内の土壌温度の引き上げを伴っておらず、メタン等の微量ガスの変動も伴っていません。こうした点においてFACEが必ずしも厳密な未来の姿を反映しているとはいえません。しかしそうした点があってもなお、植物の未来像を予想していくうえでFACEが重要な意味を持っていることは確かです。
そうした中で、ブドウ畑に特化したFACEの設置も行われており、検証が進められています。
CO₂の濃度が上昇した時、ブドウはどのような変化を見せるのか。FACEが見せるブドウ畑の未来像については次回以降に解説をしていきます。