まず皆さんに質問です。
世界的に見て、最も造りにくいワインといえばどんなワインかわかるでしょうか?
例えば、ドイツワインを見てみましょう。
今までにも何度か見てきたように、ドイツワインには以下のような等級があります。
QbA
カビネット
シュペートレーゼ
アウスレーゼ
ベーレンアウスレーゼ
アイスワイン
トロッケンベーレンアウスレーゼ
等級としてはTBAとも呼ばれるトロッケンベーレンアウスレーゼが最も高い位置に置かれています。等級の高いワインということは取りも直さず希少性の高いワインということでもあります。希少性が高く、等級が最も高いトロッケンベーレンアウスレーゼが一番造りにくいワインなのでしょうか?
実は、違います。
上記の等級のなかで最も造りにくいワインは、断トツでアイスワインです。
今回はワイスワインがどうして造りにくいのかと、実際のアイスワイン造りを取り巻く環境について見ていきます。
[circlecard]
造りにくいのはアイスワインかTBAか
トロッケンベーレンアウスレーゼは、ブドウに日本では貴腐菌の名前で知られるボトリティス (Botrytis) と呼ばれるカビの一種が付着することよって干しブドウのような状態になったブドウから造られるワインです。そもそもがカビがつかなければ造れない、という意味では造りにくいと言えますし、その非常に高い糖度のせいで醗酵もしにくく扱いは簡単ではありません。
一方でアイスワインの醗酵管理はTBAほど難しくありません。にも関わらずこのワインが最も造りにくい、とする理由は原料であるブドウの収穫難度にあります。
参考
アイスワインとはそもそもどういうワインなのか
アイスワインというとその名前から、ワインを凍らせたものとか、凍るくらいにまで冷やして飲むものだといったような誤解を持たれている場合があります。
実際にはアイスワインは国によって多少ルールは異なりますが、ドイツでは秋にブドウを収穫しないまま畑に残し、冬、気温がマイナス7度以下になりブドウの中の水分が自然に凍結した状態で収穫、搾汁をして造るワインのことを指しています。
ワインを凍らせるのではなく、凍ったブドウを使って造るワインだからアイスワイン、という名前がついています。
アイスワインはドイツが発祥
同じデザートワインの区分に分類されていながら、貴腐ワインでは世界三大貴腐ワインとして、フランスのソーテルヌ、ハンガリーのトカイワインと並んでドイツのトロッケンベーレンアウスレーゼが知られています。
一方でアイスワインにはこのような括りがありません。
強いて言えば、カナダのものが有名なくらいです。
このアイスワインですが、ドイツが発祥の地と言われています。
今は有名になったカナダ産のアイスワインにしてもカナダに移植したドイツ人が造り始めたものと言われており、その由来はドイツに始まります。
ネームバリューとしてはどうしても世界中で造られていることに加え、ソーテルヌという極めて力強い牽引役がいる貴腐ワインには一歩及びませんが、アイスワインは世界的にも高い価値を認められているドイツを代表する極甘口ワインの一つです。
アイスワイン造りは運任せ
このアイスワインですが、もともと生産量はそう多いものではありませんでした。正確な統計は見ていませんが、長期的な観点で見るとTBAよりも少ないくらいにとどまるはずです。
この原因がどこにあるのかと言えば、冒頭に書いたように原料となるブドウの収穫難易度が極めて高いことにあります。
過去に書いた記事のタイトルで筆者はこの困難さを「ギャンブル」と表現しました。これは決して間違った表現でも誇張した表現でもなく、近年におけるアイスワイン造りはまさにそのまま、ギャンブルなのです。
ブドウはそもそも凍るのか
トロッケンベーレンアウスレーゼがブドウに貴腐菌がつかなければ造れないように、アイスワインはブドウが凍らなければ造ることが出来ません。
しかも少なくともドイツでは収穫してきたブドウを冷凍庫に入れて人工的に凍らせるような手法は禁止されています。自然に気温が下がってブドウが凍結しなければならないのです。
TBA造りに必要となるBotrytisの付着は、実はある程度は人工的に促すことが出来ます。これに対して外気温の引き下げということは人工的にできるようなものではありません。
一昔前であればドイツも冬が今よりももっと寒く、ブドウが凍結する温度まで気温が冷え込むことはそれなりにはあったと言われます。しかし今は地球の温暖化とそれに伴う気候変動が原因で冬場の冷え込みはそこまでひどくはなくなってきています。
気温が自然と-7度というブドウの天然凍結に必要となる水準まで下がらない以上、人にできることなく、アイスワインの生産は年々その困難さを増してきています。
気温だけではない困難
ドイツではアイスワイン用のブドウの収穫には事前に申請をする必要があります。
Rheinhessen、Nahe、PfalzなどRheinland-Pfalzと呼ばれる広い地域でのワイン造りを管轄している行政機関からはこの申請数が公開されています。その情報によると2019年における地域内の申請数は以下のようになっているようです。
ワイナリー数: 50
申請面積: 42 ha
これは非常に少ない申請数です。参考に2018年の状況を見てみます。
ワイナリー数: 683
申請面積: 584 ha
2019年の申請状況が以下に少ない水準に留まっているのか一目瞭然ではないでしょうか。
もちろん2018年の申請数がそもそも多かったという背景はあります。しかしそれでもやはり2019年の申請数が少ないことに変わりはありません。そしてその理由は実は下がらない冬の気温だけではないのです。
その事情を理解するために、2018年の状況をまず整理します。
2018年におけるアイスワイン用のブドウ収穫の申請数が多かった理由は以下のような事情によっていました。
- 秋の収穫時に気温が大きく下がることがあり、冬場の気温の低下が比較的早い時点で予想された
- 通年を通して天候に恵まれ、収穫量が非常に多かった
- ブドウの健康状態が良好なまま保たれていた
つまり2018年は冬場の気温が下がる見通しが強い上に、そもそもの収穫量が十分に多く、ブドウの健康状態も良かったためにワイナリーにアイスワイン造りにチャレンジする余裕があったことが大きかったのです。
ただこれはあくまでも秋の、本収穫が終わるくらいの時期のことでした。この後、実際にどうなったかというと
- 予想に反して気温が十分に下がることはなく、収穫は1月の下旬を待たなければならなかった
- 本収穫後に気温が下がらないだけではなく、長雨が続いた
のです。
アイスワイン用のブドウの収穫を申請した時点では良かったブドウの健康状態もその後の長雨のせいで徐々に悪化し、それでも気温が十分に下がらない日々が続きました。このため一部のワイナリーではブドウの品質が基準を下回ったと判断し、残していたブドウをすべて廃棄、気温の低下を待たずにアイスワインの生産を中止しました。
なんとか目的のブドウの収穫をしたワイナリーでもその収穫量は当初予想を大きく下回り、品質的にも十分に満足できる最高の出来、というわけにはいかなかったところが多くなりました。
つまり、結果として非常にロスの大きな年となったのです。
このあたりの詳細については以下の記事にまとめてありますので参考にしてください。
アイスワインを造るというギャンブル。果たして気温は下がるのか
-
アイスワインを造るというギャンブル。果たして気温は下がるのか
異様なまでに暑く、乾燥した夏を経験した2018年のドイツ。そんな気候から一転して湿度の高い冬に、多くのワインメーカーが頭を抱えています。 最近は世界的にも辛口のワインが存在感を増してきているとは言って ...
続きを見る
-
アイスワインの収穫
新たな2019年の年が明けて3週間、多くのワイナリーが半分以上も諦めながらそれでも待ちに待っていた情報が流れました。気温が一気に下がったのです。 天気予報が伝えたドイツ各地の最低気温は軒並みマイナス7 ...
続きを見る
翻って2019年の様子を見てみます。
- 収穫期間に長雨が降り、ブドウの健康状態が悪化した
- 夏場の熱波による日焼け、収穫時の健康状態の悪化等により収穫量が減った
産地にもよりますが全体的な傾向として2019年の収穫量は2018年と比較して減少気味になっています。そもそも2018年が多かっただけ、という見方もありますが、長期平均と比較しても4%程度減っていますのでワイナリーに余裕はそれほどありませんでした。
加えて、気温が下がるという予想は出ていません。
これだけでもアイスワイン用のブドウの収穫に挑戦する、という選択肢を選ばない事情としては十分ですが、加えて2018年に大きなロスを出した、という記憶が極めて強いネガティブファクターとして働いています。
確かに2018年の収穫量は十分すぎるほどに多く、アイスワインを造る見込みだったブドウのロスというものは全体から見ればそれほど大きなものではありませんでした。
しかし数字の上での事実はそうだったとしても、丹精を込めて育てたブドウが、日々、収穫されないままに腐っていく姿を目の当たりにしたワイナリー関係者の心理的な影響は大きく、このギャンプルへ参加すること、挑戦することへの拒否感が強くなったことは否めないことでした。
今回のまとめ | アイスワイン造りのハードルは上がる一方
近年の気候変動による冬場の気温の上昇は明らかで、アイスワイン用のブドウの収穫難易度はそもそも上がっています。
これに対して、さらに挑戦への嫌悪感、拒否感といった心理的な影響が加わってきており、少なくとも今後数年間はよほど余裕があるか、確実性が高いと思われる状況にでもならない限りはアイスワイン用のブドウの収穫に挑戦しようとするワイナリーが増えてこないであろうことは確実な状況となってきています。
環境的な要因でそもそも難しくなってきているものが、造る側の心理的な影響によってさらに困難さを増し、そのことがさらにネガティブな影響となって困難さを増していく負の連鎖の渦中にあるもの、それが最近のアイスワイン造りなのです。