ワイン造りでは酵母の存在が欠かせません。酵母がいるおかげでブドウのジュースはワインになることができます。
ワイン造りの主役ともいえる酵母ですが、その活躍の場はアルコール発酵中だけに限らないことはご存知でしょうか。酵母はアルコール発酵という大役を終えた後も、滓となってワインの熟成に大きな影響を与えています。
例えばシュール・リー (Sur Lie) と呼ばれる醸造方法は、アルコール発酵後の熟成期間中もワインを滓と一緒にしておくことでワインが滓からの影響をより強く受けるようにするものです。シャンパーニュに代表されるスパークリングワインではベースワイン造りの段階や、二次発酵を終えた段階で数か月から数年と長い期間にわたってワインを滓と共に熟成させることはよく知られています。
ワインが滓から受ける影響を、ワインに旨味が溶け込む、とだけ説明しているケースもあります。しかし実際には滓がワインに与える影響は味に香りにと幅広いものです。あまりに影響が大きいので、基本的なワイン造りではアルコール発酵が終わるタイミングで一度ワインを別の容器に移し、滓から離すことが前提とされているほどです。
しかし最近では従来は滓との接触を極力減らしていた白ワインやロゼワインの醸造過程でも、より積極的に滓との接触を取り入れる傾向が強くなってきています。その理由を知るには、滓の正確な姿を知り、ワインに影響を与えるメカニズムを知る必要があります。
今回はワインの熟成に滓がどのように関わっているのかを解説していきます。
ワインのオリとはなんなのか
オリは滓、もしくは澱と書きます。主にワイン造りの過程で生じる残留物、あるいは容器の底に溜まる沈殿物のことです。
滓と澱の字の使い分けのルールはよく分かりませんが、印象としては醸造過程におけるものを滓、ボトリング後にボトル内で見られるものを澱と記載しているケースが多いように感じます。この記事では便宜上、上記の印象の通りに醸造過程で出るものを滓、ボトル内のものを澱と使い分けていきます。
滓と澱、おなじくワインに関わる沈殿物ですが、それぞれで成分が違います。
ワインを飲まれる方が目にすることが多いのは圧倒的に澱でしょう。澱はその成分の多くがポリフェノール類やタンパク質、酒石です。ワインに含まれていたこれらの成分が酸素の介在などいくつかの条件を満たすことで互いに結合し、大きな物質となることで重くなります。一定以上に大きく重くなった成分はワインに溶け込んでいられなくなりボトルの底に沈殿します。これが澱です。
澱の主成分の1つであるポリフェノール類の代表格がアントシアニンやタンニンですので、自然と澱は赤ワインのボトルで見かけることが多くなります。
一方でワインの造り手が常に向き合っているのは滓です。アルコール発酵が終わったタンクからワインを抜いたりすると、タンクの底に大量に溜まっているのを見ることが出来ます。
滓のほとんどは酵母の死骸で、そこに少量の酒石や無機物、圧搾時に混じったブドウの果皮などの組織片が含まれています。ブドウの果汁がワインになるためのアルコール発酵をしている最中、酵母の細胞数は最盛期で1mL中に5,000万から1億にもなります。酵母は活発に増殖していく一方でどんどん死んでもいきます。そうした酵母の死骸が降り積もったものが滓なのです。
死骸というとイメージが悪いかもしれません。しかし実際には酵母の死骸は窒素やタンパク質、アミノ酸を含んでおり、非常に活発に代謝を行っている最中の生きた酵母にとってはこの上ない栄養の供給源でもあります。酵母は生きているときはもちろん、死んでしまってもその瞬間から、そして滓になってからもワインにとって重要な存在であり続けます。
滓のもつ機能は吸着と供給
ワインが熟成期間中に滓から受ける影響は大きく分ければ2つに分類されます。吸着と供給です。
滓はワインに含まれている一部の成分を吸着し、後々、滓をワインから分離することを通してそうした成分をワインから取り除きます。一方でこれとは逆に、滓はワインにはもともと含まれていなかった成分をワインに供給してもいます。シュール・リーをすることでワインに旨味が付加される、などというのはまさにこの供給機能の事例です。この供給機能に大きな役目を果たしているのが、Autolysisと呼ばれる、酵母の自己消化作用です。
吸着されるもの
滓がワインから吸着する対象は様々ですが、その多くはワインに含まれていることが望ましくないものです。滓は大部分において入っていて欲しくないものを取り除き、入っていて欲しいものは取り除かないという、実に都合のいい役目を果たしてくれます。そうした都合の悪いものの代表が、Ochratoxin A (OTA)、4-ethylphenolおよび4-ethylguaiacol、一部の残留農薬、そして酸素です。その一方であまり吸着してほしくないものの代表がAnthocyaninをはじめとしたフェノール類です。
毒素
OTAは一部のカビが原因となってブドウの果汁中に含まれるようになる毒素です。健全なブドウから搾汁された果汁中には存在しませんが、灰色カビ病の原因菌であるBotrytisに感染したブドウなどでは副次的に含まれることが多くなります。
OTAの除去には清澄剤の使用が有効であることがわかっていますが、酵母によっても吸着・除去することが出来ます。単純な除去率では清澄剤の方が優れていますが、滓を利用して除去することで清澄剤を使用しにくいワインへの対応や、そもそも清澄剤を不使用にすることが可能になります。
不快臭
滓はBrettanomycesによる不快臭を軽減する可能性も秘めています。
汚染酵母とも呼ばれるBrettanomycesはその代謝を通して揮発性フェノールとも呼ばれる、4-ethylphenolや4-ethylguaiacolという化合物を生成します。これがそれぞれ不快臭の原因となりますが、滓との接触によって含有量が減少したとの報告があります。
滓と接触させることでブレットを軽くできるのであればとても喜ばしいのですが、一方で揮発性フェノールの吸着にはpHや温度、アルコール度数、滓の状態など複数の要因が密接に関わっており、単純にブレットに汚染されたワインを滓と接触させておけばいい、というものでもないようです。
残留農薬
例えばEU圏内では農薬の取り扱いには厳しいルールが設定されています。そうしたルールの中には農薬ごとの残留期間を設定し、その期間中の収穫を禁止するものもあります。仮にある薬剤の残留期間が40日とされていた場合、この薬剤を散布するとその後最低で40日間は散布した農作物の収穫をすることはできません。
こうしたルールがあるため、収穫後に洗浄をすることがなくそのまま加工されるワイン用ブドウであっても、ワイン中に散布された薬剤が大量に混入する心配はそれほど大きくはありません。一方で薬剤の残留期間は基本的に有害性を示す濃度を指標に設定されていますので、この期間後に薬剤の残留自体が完全にゼロになるかといえば、そうとも限らないのが現実です。
滓はこうした不安からもワインを守ります。ブドウの防除のために散布される薬剤の一部を滓が吸着できるのです。
滓が吸着することが確認されている薬剤はその種類ごとに吸着量が異なります。ほぼ全量が吸着されるものもあれば、元の存在量の20%程度にとどまるものもあります。またそれぞれの吸着量は滓の元になった酵母の種類によっても異なることが検証を通して確認されています。
酸素
ワインにとって大敵となる酸素。これも滓が吸着できるものの1つです。この性質を利用することで、熟成期間中の酸化防止剤の添加を減らすことが可能となります。
一方で滓による酸素の吸着能力はそこまで高いわけではありません。滓がワイン中の溶存酸素を吸着するのは熟成開始後からの数か月程度にとどまることがわかっています。またアルコール発酵中の酸素の供給量が多かった場合には、その後の滓の持つ酸素吸着能力が低下することも示唆されています。
滓は酸化防止剤としての側面を持っていることは間違いありませんが、それだけで二酸化硫黄の添加をなくせるほどの効果があるものではありません。また滓が酸素を吸着するためにワインが還元的になり、結果、還元臭がするようになるという指摘もあります。一見正しそうに思える指摘ですが、この点に関しては酸素の吸着能力によるものよりも、含硫アミノ酸の供給能力による部分の方が大きいと考えられます。
フェノール類
Anthocyanin (アントシアニン) は赤ワインが赤くなっている原因の色素です。フェノール類に分類されます。滓はこのAnthocyaninを含む複数のフェノールも吸着してしまいます。
Anthocyaninなど色に関わるフェノール類の吸着は良い面と悪い面の両面があります。良い面は主に白ワインでのピンキング (Pinking) と呼ばれる着色を防止できるほか、Blanc de Noirの醸造時に添加されることのある活性炭などの吸着材の代替手段として利用できる点が挙げられます。一方で悪い面は赤ワインの色が薄くなる点です。
なおAnthocyaninの減少の理由に関しては滓への吸着の可能性のほかに、滓に含まれている酵素の影響が示唆されてもいます。レポートによって複数の主張がありますが、現時点においてはそれぞれが相互作用しているものと考えられています。
また滓は一部のタンニンも吸着することがわかっています。これによってワインの収斂感が弱くなり、ワインの渋みが軽減される効果が見込まれています。
酵母の自己消化作用と供給能力
滓のもつ供給能力には2つのパターンがあります。1つは滓がまだ生きた酵母として存在していた時に吸着したものが滓となってから再度、ワイン中に放出されるパターン。そしてもう1つが、滓となった酵母が自己消化、つまり自身の細胞を分解することで細胞内に蓄積されていた各種成分をワイン中に供給するパターンです。
酵母の自己消化が「自己」消化といわれる理由は、この分解作用が酵母自身が作り出した酵素の働きによって行われるからです。Autolysisが始まる最初期段階では酵素の量が少ないため進展はゆっくりとしたものですが、細胞壁が溶解していくのに従って細胞内に存在していた酵素がワイン中に放出され、その酵素によってさらに分解作用が進展していくようになります。この過程では細胞内に含まれていた各種成分がワイン中に供給されるだけではなく、細胞内の高分子化合物が酵素による加水分解を受け、低分子生成物としてワイン中に供給されるようにもなります。
滓の分解を通して供給される成分のなかで特に重要なのが、Lipid (脂質)、アミノ酸、そしてMannoproteinと呼ばれる多糖類です。
Lipid (脂質)
熟成中のワインの香りに対して大きな影響を及ぼすのがLipid、脂質です。滓が自己消化していく中でワイン中に放出され、含有量を増やしていきます。この物質がワインの香りに対して大きな影響を持つ理由は、脂肪酸の供給源としてエステル、ケトン、アルデヒドといった芳香性の揮発性化合物の生成に関わっているためです。
滓は一部の揮発性化合物を吸着する特徴も持っていますが、同時に花の香りやフルーティーな香りを持つテルペノイド類やラクトン類といった揮発性脂肪酸をワイン中に供給してもいます。またシャンパーニュに代表されるスパークリングワインで重要なブリオッシュの香りもこの脂質がもとになって作られています。
Lipidはスパークリングワインにとってさらに重要な意味を持ちます。
Lipidがワイン中に溶けだすことによって、張力活性に関わる特性が変わるのです。分かりやすくいえば、スパークリングワインにとって命とでもいうべき泡立ちと、その泡の維持にポジティブな影響が出るようになります。スパークリングワイン用のベースワインや二次発酵が終わったワインを滓と共に長期間熟成させることには、香りだけではなく、その後の泡への影響も含めて大きな意味のあることなのです。
アミノ酸
酵母がその細胞を自己消化することで大量のアミノ酸がワイン中に供給されます。そうしたアミノ酸の中には旨味成分のもとになるグルタミン酸も含まれています。ワインを滓と共に熟成させることで旨味が溶け込む、といわれる理由もここにあります。
一方でアミノ酸の供給は必ずしもいいことばかりとは限りません。
そもそもブドウには含まれていなかった旨味をワインに含ませること自体がいいことなのか、という議論もあるのですが、それ以上に問題になりやすいのが含硫アミノ酸の供給による硫化臭、いわゆる還元臭の発生やアミノ酸を原因とした生体アミンの生成です。強すぎる硫化臭は欠陥臭として認識されますし、ヒスタミンやチラミンをはじめとした生体アミンは頭痛や急激な血圧の変化など強いアレルギー性反応を引き起こす原因物質です。ワイン中に滓を通して供給されるアミノ酸はこうした物質群がワイン中に含まれるようになる原因の1つとなります。
生体アミンの生成にはアミノ酸の脱炭酸反応によるものと微生物の代謝によるものとがあります。生成量としては微生物によるものの方が多いことがわかっていますが、滓にバクテリアが存在するケースで顕著に多くなることが確認されています。滓にはアミノ酸、アミノ酸を変化させる脱炭酸酵素、そしてそうした脱炭酸反応を引き起こす微生物のすべてが含まれます。滓との接触を原因としてワイン中に生体アミンを増やさないためには、滓の状態の管理が必須となります。
Mannoprotein
Mannoprotein (マノプロテイン) は主に滓のAutolysisを通してワイン中に存在するようになる多糖類の1つです。プロテイン、という名前の通りマンノース (mannnose) を一定以上の割合で含むタンパク質の1種で、酵母の細胞壁を形成する主要な成分です。
ワインに含まれる可能性のある多糖類にはその由来ごとに2種類に大別できます。1つはブドウの細胞壁に由来するもの。除梗やプレスなどで果皮を破砕することで果汁中に含まれるようになります。arabinanやAGPs (arabinogalactan-proteins) がここに含まれます。醸造工程で使用する可能性のある酵素の1つであるペクチナーゼはこれらを分解することを目的としています。
2つ目が酵母に由来するMannoproteinです。アルコール発酵中にも酵母からワイン中に供給されますが、熟成中に滓からも多くの量が供給されます。その一方で供給量は酵母の種類によって異なることがわかっています。
ワイン中に供給されたMannoproteinはフェノール類と結合することで赤ワインの色を安定させたり、収斂感を抑えたりするほか、酒石やタンニン、タンパク質などの析出および沈降を防止する一種の安定剤としての効果を持ちます。またワイン中に存在するMannoproteinの一部は酵素によって分解されることでペプチドとなるものもあります。このペプチドの存在量がワインの官能評価に影響するとの報告もなされています。
今回のまとめ | 多種多様な滓の特徴をどう利用するか
ワインを滓と共に熟成させることでワインは広い範囲にわたって多様な影響を受けるようになります。しかもそこにはある程度の傾向はあるのものの、絶対といえるルールはありません。滓による吸着も供給も、滓の元になった酵母の種類や状態だけではなく、ワインの状態によっても大きく異なるからです。
滓による吸着の作用は比較的早い段階から生じる一方で、Autolysisを前提とする供給の作用にはある程度の時間がかかります。しかしAutolysis自体はアルコール発酵の時点からすでに始まっているものでもあり、体感できないレベルでの影響は常に受け続けています。
そうした意味で、ワイン醸造のどの時点で滓との接触を減らすのか、はワイン造りにおける大きな判断の1つとなります。
一部でシュール・リーが人気を集めているように、滓との接触を積極的に行うことは良くも悪くもワインを個性的にします。決まったルールがないということは、同時に同じことをやってみても同質になることがない、ということでもあるからです。
酵母も滓も、ワインを造っていれば必ず存在するものです。新しく添加するようなものではないため、利用には心理的な障壁が低く、手軽です。しかも影響は大きく出ます。手っ取り早くワインを変えたいと思うのであれば、無視する理由のない手段といえます。
しかしすでに見てきたように、滓によるワインへの影響は非常に大きく多彩です。容易にワインの本来の個性を滓の個性で上書きしてしまう可能性が無視できません。そこにあるのは、造り手の行き過ぎた自己主張のようにも感じられます。
滓を利用することは最近の流行のような側面もあり、多くの造り手があまり深く考えずに実行していることでもあります。滓との接触をより長く取り入れること自体を否定はしませんが、その結果については、滓の特徴をもう一度整理し理解しなおしたうえで考え直してみてもいいのではないかと思えます。
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