雨の多い年にブドウの栽培農家が特に警戒する病気があります。ベト病です。
ワイン用ブドウに関わらず植物の栽培をしていると避けることが出来ないのが、病気との戦いです。ブドウ畑ではいろいろな病気と出会いますが、その中でも代表的なものがベト病、ウドンコ病、そして灰色カビ病です。
どの病気も特別な病気というわけではありません。毎年とまでは言わないまでも、数年おきには被害が出ている、インフルエンザのような、よくある病気です。
しかし症状が悪化した時の被害は甚大です。年によっては収穫が全く得られなくなってしまうことさえあり得ます。2016年にドイツでベト病が蔓延した時には、ひどい畑では夏の時点ですでに収穫が得られないことが確定しました。一部のワイナリーはあきらめと共に秋の収穫前から長い休暇に入ったところもあったほどです。
彼らも対策をしていなかったわけではありません。しかし、降り続いた雨がそうした努力をすべて無駄にしてしまったのです。
ありきたりの病気でありながら、致命的な被害をもたらすリスクを持つ病気。ベト病についてみていきます。
ベト病を知る
ベト病は英語ではdowny mildew、ドイツ語ではFalscher Mehltauと呼ばれます。とても質の悪い、カビによる病気です。
この病気はブドウ以外でもいろいろな野菜や草花、果樹に感染します。ツユカビ科に属するカビを原因菌とする病気で、ワイン用ブドウがかかるのはそのなかでもPlasmopara viticolaという北アメリカ原産の菌になります。
病名であるdowny mildewやFalscher Mehltauとは呼ばずに、その原因菌名であるペロノスポラ (Peronospora) と呼ぶことも多くあります。
1878年にヨーロッパに持ち込まれたことをきっかけに、今では最も危険なブドウの病気の1つと認識されています。主にワイン用に使われる欧州系のブドウ品種 (Vitis-vinifera種) はこの病気に対する耐性を持っておらず、Piwiと呼ばれる耐性品種以外ではある程度の差はあっても全ての品種で感染するリスクがあります。
べと病の症状
この病気の最も特徴的な症状が、葉の表面に現れる黄色味を帯びた油汚れのようなシミ模様です。
感染した部位は徐々に中央部分から乾燥し、茶色く枯れ始めます。枯れた部分と感染していない健全な部分との境界には輪っか状になった油染み様の感染部分が残り、そこを起点に引き続き胞子が拡散されます。また症状が劇症化すると樹全体が落葉する状態になることもあります。葉が大きなダメージを受けるため、光合成が十分できなくなり二次被害が発生します。
ベト病の症状は葉の表面からみることができますが、感染場所は葉の裏面です。
ベト病はまだ細胞壁が軟らかい若い葉ほど感染しやすく、また被害の拡大もしやすいですが、葉以外にも枝や花穂、果実にも感染します。感染した果房は紫色に干からびたミイラのような状態になります。感染の程度が酷くなると深刻な収穫量の減少につながります。
近年ではこの病気の大流行により収穫量が例年の3分の1やそれ以下まで減少する事例もあり、ワイン用ブドウの栽培をしていくうえでは対策が絶対に欠かせない病気の1つです。
原因菌 Peronosporaの生態と感染メカニズム
ベト病を引き起こす原因菌であるPeronosporaの生態は複雑です。
一般に生物の増殖方法は1種類であることがほとんどですが、Peronosporaには2種類の異なる増殖方法があることが知られています。これがベト病への感染メカニズムをより複雑なものにしています。
ベト病の感染メカニズムには一次感染と二次感染があり、それぞれに降雨量、気温、湿度、そしてブドウの生長状況が関係しています。この病気への対策に雨の跳ね上がり防止がいわれるのは、主に一次感染を防止するためのものです。
Peronosporaの適正活動温度は20℃前半で、30℃を超えると胞子が発芽できなくなります。このため春先から初夏、秋頃に感染が拡大するリスクが高く、夏場は逆に落ち着くことが多くなります。また夏前に感染していた場合でもその後に気温が高く乾燥した日が続くと状況が落ち着くこともある病気です。
もっと詳しく知りたい方は
Peronosporaのより詳しい感染条件などを知りたい方はオンラインサークル「醸造家の視ている世界を覗く部」やnoteで公開中の記事をご覧ください
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ベト病の対策
ベト病の対策でもっとも大事なのが予防です。
Peronosporaは一度ブドウに感染すると、その組織内に入り込んでしまいそこから感染を拡大していきます。感染拡大がブドウの内部で行われてしまうために対策が非常に難しいのです。
予防のためにできることが、雨の跳ねあがり防止といった物理的な手段と、薬剤による防除です。物理的な予防には、感染したブドウの葉や枝の畑からの持ち出しによる菌の排除や、垣根の通気性の改善、軟弱徒長の防止などが含まれます。
ベト病の対策薬 | 銅
ベト病に対して最も効果があるとされている薬剤は今も昔も銅です。
ブドウ栽培の現場で耳にすることの多いボルドー液は、まさにベト病への対策薬剤として使われている銅を含有した薬剤の代表といえます。ボルドー液とは硫酸銅と消石灰の混合溶液のことです。
一方でボルドー液の利用は最近では減ってきています。国や地域によっては使用が制限されている場所もあります。この薬剤に含まれている消石灰が土壌に蓄積されることで土壌のpHとカルシウム濃度を高めてしまうことが問題視されてきているからです。
そこで銅を含んだ別の薬剤を使うことが増えてきていますが、銅自体も重金属であり、土壌に蓄積されることでの環境負荷が指摘されています。こうした背景から近年では銅を含まない、無機系薬剤、有機系薬剤、そして生物的な手法による対策方法が多く開発され製品化もされています。しかし未だに銅を超える効果を持つものはなく、EU圏内で有機認証団体に加盟しているワイナリーであっても年間に最大で3㎏ / haまでは銅を散布することが認められています。
銅以外の対策薬
ドイツでは一時期、ベト病の対策に重炭酸塩、もしくは炭酸塩 (炭酸に含まれる二個の水素原子のうち、一個を金属類で置換してできる塩の総称) の一種として知られる炭酸水素カリウムの利用が試されたことがありました。しかしこの薬剤はベト病に対する効果は確認されず、現在はウドンコ病の対策薬として使用されています。
また一部の重炭酸塩はEU圏内におけるエコロジック規定においては使用が禁止されているほか、これらの薬剤は植物毒性が高いことも知られています。ストレスを受けていたり樹勢が弱い樹に対して使用すると、葉の表面に形成される結晶物により葉を"焼いて"部分的に枯らしてしまうことが報告されているのです。
ベト病で葉が枯れることを避けるために使った薬剤で葉を枯らしてしまっては本末転倒です。しかもこの症状は目標菌の有無に関わらず、"葉"自体に対して生じてしまうため防除効果とは無関係な副次効果であることも問題です。また重炭酸塩はアルカリ金属系の成分を撒くことになることから環境負荷の低減にはつながらないとして、使用には慎重になるワイナリーも多いのが現状です。
最近ではPhosphonat (ホスホン酸) を使った薬剤が散布時期によっては銅に勝る有効性を見せるとして注目されています。
今回のまとめ | 年々困難になるベト病との戦い
最近のヨーロッパでは冬の平均気温が上がっており、従来よりも早い段階でPeronosporaの発芽条件を満たすケースが増えてきています。しかも気象変動の影響により、一日の平均気温が上がり、かつ夕立のような雨が降ったり湿度が上がることで蒸し暑い夜が増えつつあります。このような状況がベト病の感染拡大リスクを大きく引き上げます。
ベト病の対策は基本的には予防的処置が中心であり、事前からの準備が欠かせないものです。しかし降雨時期や降雨量の変化がこうした対応を困難なものにしています。雨のために防除の計画が狂うだけではなく、雨が降る隙間を縫ってようやく薬剤を撒いても、直後にゲリラ豪雨のような雨ですべて洗い流されてしまったりするのです。
ベト病の対策には銅の使用が有効ですが、使用量が厳しく管理されています。雨が降って洗い流されてしまった分は再度、散布し直さなければならないのですがそれも銅の使用量の上限に達してしまえば不可能となります。
こうした状況は有機認証を取っているワイナリーにとって特に不利に働きます。銅の使用上限が特に低く規定されているからです。
あまりに酷いベト病の流行を前に、有機認証を返上して銅の追加散布を行うワイナリーもあります。こうした病気との戦いは年々、その困難さを増してきているのです。