先日の9月12日に筆者が勤めるワイナリーで2019年シーズン初となるブドウの収穫がありました。ブドウの成長が異常に早く、それに伴い例年よりも1か月近くも収穫が早まった2018年ほどではないものの、2019年もやはり長期平均の視点から見ればかなり早いシーズンの幕開けとなりそうです。
このようなブドウの成熟の早期化の背景には年間平均気温の上昇があります。
地球全体での気候変動が叫ばれて久しいですが、実際にブドウの成熟過程を通して日々その変化を目にしているとその影響の大きさがまさに身をもって実感できます。
そしてこのような変化を目の当たりにして悩ましくなるのが、“ブドウ畑の立地”です。
以前、「山と川は必要か?ブドウ畑の立地条件」という記事でブドウ畑やワイン生産者における山や川の重要性について触れました。
今回はこれとは違った視点からブドウ畑の立地条件というものを見ていきたいと思います。
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山と川は必要か?ブドウ畑の立地条件
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ブドウ畑の立地と等級評価
ワイン産地の多くにはワインの等級を評価するシステムが存在しています。ワインの世界において“旧世界”と呼ばれるヨーロッパではどこの国に行ってもこのシステムがあり、それぞれの国におけるワイン法として規定されています。
その内容はドイツのように収穫されたブドウの果汁糖度によって規定しているものもありますが、多くはフランスの ブルゴーニュの制度のようにブドウを栽培している畑、つまり土地に根差した評価制度を用いています。
ドイツにおいてもワイン法では果汁糖度による等級の区分を用いていながら、VDP (Verband Deutscher Prädikats und Qualitätsweingüter、ドイツ高級ワイン生産者連盟)のように独自で畑に根差した格付けを規定し、運用している団体も増えてきています。
これらの制度に基づいた“格付けの高いワイン”というものは直接的にその品質が高いことを保証しているわけではなく、あくまでも決められた規定をクリアしたものが高格付けになるにすぎません。しかしその一方で、こうした格付けの高いワインほど品質的に高くなる傾向が強く、制度の裏付けともなっています。
高格付けの畑とはどのような畑なのか
ワインの等級を決める各制度において高格付けの根拠とされる畑はなにもむやみに選ばれているわけではありません。これらの畑は長い年月をかけて観察され、ある程度平均して高品質のブドウを産出できる土地であることが確認されてはじめて、リスト化されたものです。
つまり評価の高い(等級の高い)畑とは、よりよいブドウを安定して収穫することのできる畑、という意味であるにほかなりません。
そしてこの“よりよいブドウ”とは、健康状態が良好で糖度の高いよく熟したブドウ、という意味です。
これをより具体的に解釈すれば、
- 風通しがよく乾燥しており、“立地として”病気への耐性が高い
- 日照時間を確保しやすく日中の温度が上がりやすい、ブドウの成熟に適した環境
と読み解くことが出来ます。
少し穿った見方をするのであれば、立地が優れているために黙っていても毎年安定してある程度以上の品質のブドウを収穫することのできる土地、です。
なおすでにお分かりの通り、この畑に基づくワインの等級評価制度においては畑の立地とワインの格付けが同一線上で扱われています。この制度においてワインは半ば完全に畑に紐づけられている格好です。
立地に優れた畑で収穫されたブドウをもとに造ったワインであればそれは当然のこととして一定以上の品質を持ったワインになるはず、という前提がそこにはあります。
果汁糖度に基づく評価と立地に基づく評価は対立するのか
ここで少し横道にそれますが、最近のドイツでは従来からあるワイン法によって規定された収穫した時点におけるブドウの果汁糖度に基づく格付け制度から外れ、独自に畑の立地に基づく格付け制度を採用する団体が増えてきています。
一見すると対立するようにも見えるこの両制度ですが、本質的にはあまり差がありません。
すでに書いたように、優良な畑とは立地に優れる畑であり、黙っていても安定して高品質なブドウを収穫することのできる畑です。こうした前提で高格付けとされた畑から収穫されるブドウは比較的安定して高い熟度を保つことが出来ますし、むしろそうでなければなりません。そして熟度が高いとはそのまま、収穫時のブドウの果汁糖度が高いということにほかならないのです。
つまり結果的には収穫したブドウの果汁糖度で等級評価を行っているのとほとんど変わらない、ということです。
成長と熟成の早期化の裏にある問題
昨今の年間平均気温は上昇傾向にあり、夏場などヨーロッパにおいてさえ40℃近い気温になる日が増えています。
このような気象の変化を背景にブドウ栽培の北限と呼ばれていた地域は北上を進めていますし、従来はブドウの栽培が難しかった土地でも高品質なブドウが収穫できるようになってきています。
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また従来からあるワインの産地でも生育自体が以前よりも早く、かつ熟度が高くなり、より力強いワインが造れるようになったとこのような変化を歓迎するよう向きもあります。言ってみればこの気候の変化はかつてあった気温というボトルネックに対して地球規模でのボトムアップとして作用し、ブドウ栽培における熟度の向上というハードルを押し下げているわけです。
ここだけ見れば確かにブドウ農家にとっても喜ばしいことですが、実際には頭を抱える栽培家が少なからずいます。それも、従来、好立地として高い評価を得ていた土地に畑を持っている栽培家ほどその傾向が顕著です。
良い畑が過剰な畑になりつつある
繰り返しになりますが、従来の畑の立地に基づく等級評価制度において優れているとされている土地は
- 乾燥している
- 日当たりがよく気温が上がりやすい
というものです。
以前はこういった立地上の特徴は得難いものであり、それ自体が希少性を持つものでした。
こうした希少性を背景にワインの等級は高くなり、名声となり、そして価格となりました。希少な特徴を持つ畑の面積が少ないためにそこから造られるワインの量を増やすことはできず、そのことがさらなる希少性となって価格を押し上げ、高くて買えないものを買って飲めるという行為が飲み手のステータスの反証となってよりそのワインの格を押し上げました。
しかし昨今の気候変動はこのような前提を根底からひっくり返しつつあります。
年間を通して気温が高くなり、ブドウの生育期における降雨量に変化が出てきている現在ではEU全体というような広域での枠組みにおける地域全体を通して乾燥が進むようになり、上記のような特徴が特別なものではなくなりつつあります。
かつては広大ではあっても平凡な立地にあった畑からの収穫で造られる安価なワインでも気候の変化によってその質を向上させてきています。かつてのような格とそこに紐づいた価格を目安にしたワインの質の評価方法は成り立たなくなってきています。
まさしく全体がボトムアップされているのです。
ボトムアップの恩恵を受ける畑がある一方で、従来からそのような特徴を持った土地ではその“特徴”がさらに際立ち、一部では過激化し、“最適な条件”ではなく“過剰な条件”になりつつあります。日中の気温が高くなりすぎ、乾燥が進みすぎるようになっているのです。
気温が高くなりすぎればブドウの日焼けなどのリスクが高くなりますし、乾燥が進めば水分ストレスが増しRieslingであればペトロール香などに代表されるようなオフフレーバーなどを生じる潜在リスクが高まります。
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規定との乖離が進む現実
現時点においてはまだ潜在的なリスクが高まっているという範囲に留まってはいますが、この状況が進んで実際にリスクが顕在化すればそれは高格付けを得るための畑の条件である、“健全なブドウを収穫できる”という項目に反します。
またボトムアップの影響を受け、従来は一つ下の格付けとされていた立地の畑における適正が高まり“最適”な畑となりつつもあります。
このような動きに制度が追い付いていません。
制度上は今も昔も特級畑は特級畑のままであり、一級畑は一級畑のままです。実際には特級畑における品質低下が懸念され、一級畑で従来の特級畑の品質が得られるようになっているにも関わらず、です。
今の時点において畑の立地に基づいた品質基準制度は現実の畑の状況と乖離しつつあります。
今回のまとめ | 難しくなる好立地におけるブドウの栽培
ここまで従来は好立地とされてきた土地における畑が気候の変化の影響を受けて潜在的なリスクを増し、その現実が制度との間に乖離を生じつつある、という話をしてきました。
一方で、実は栽培家としてみるのであればこれはある意味でどうでもいいことでもあります。
格付けという制度はマーケティング戦略上では重要で意味のあるものですが、ブドウ栽培の現場からしてみればあまり意味のないものです。確かに高品質のブドウを作るためにはそれに適した優良な畑が必要です。栽培に適さない土地でどれだけ頑張っても、同じ努力をした優良な畑のブドウと比較してしまえば勝ち目はありません。
一方でどのような土地においてでも、そこでブドウを栽培しようとするのであれば何かしらの困難は伴いますし、一度畑を拓いてしまえばおいそれと別の場所に移動することは困難です。何があろうと、その土地と付き合っていくしかありません。
ですので、気候が変化を続け、畑の特徴が変わるのであればそれはそれでいいのです。
問題は、それに合わせて栽培家が変化をしていかなければならない、ということです。
従来は良好とされていた条件が過剰になりつつある点に対して行う対策というものはいままでにあまり例のなかったことです。それだけに対応には柔軟な思考と工夫が求められます。なにしろ、今まではより日差しを強く受け、水はけを良くしようとしていたのに対してこれからは全く逆の取り組みが必要になるのです。
この土地はこうだから、これでいいんだ、というような傾向と対策では通用しません。
従来、高格付けとされた土地にある畑では立地による底上げ効果でブドウ栽培にそれほど手を掛けなくてもある程度以上の品質を確保することが出来ました。ところがこれからは、こうした立地にある畑ほど創意と工夫が求められるようになります。
しかもその土地から造られるワインは依然として高格付けを背景として飲み手からの大きな期待を背負ったままであることに変わりがありません。この世間や顧客からの信頼を裏切ることが出来ない中で、最適解を出していかなければなりません。
栽培家が栽培家としての能力をよりシビアに試される、そんな時代になりつつあるのです。