気候変動の影響で地球全体で気温が上がり、それにともなってワイン用のブドウの生長が速くなってきています。
冬が暖かくなったためにブドウの芽吹きが早まり、さらに暑い夏を通して今まで以上に熟したブドウを収穫できる。なんとも夢のある話に聞こえますが、ワイン造りの現場ではこの一見いいことのように思える動きに頭を抱える機会が増えてきています。
それが、ブドウの過熟によるワインのアルコール度数の上昇です。
年々早まる収穫の時期
一般にリースリングは晩熟のブドウ品種として知られています。冷涼な気候でも育つことが出来る代わりに完熟するまでに時間がかかり、筆者の住むドイツでは収穫が10月の半ばからはじまるのが普通だとされているくらいです。
それが9月も半ばくらいにこれほどの熟成を見せるのは驚き以外の何ものでもありませんでした。
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さらに驚くのが、9月に収穫したリースリングの果汁糖度がすでにアウスレーゼクラスに届いていたことです。一般にアウスレーゼクラスとは、すでに完熟した、といってもいい熟度です。
アウスレーゼクラスのリースリングは甘口のワインに仕立てるのが一般的です。これは完全発酵させるとアルコール度数が13%以上になるためで、力強い赤ワインを造るのであればアルコール度数13%は願ったりなのですが、繊細で酸とフルーティーさを楽しませるリースリングの辛口ワインを造りたい場合にはこのアルコール度数は上限ギリギリになってきます。
しかも今年のブドウで問題なのは、これだけ熟度が上がっていながらも糖度以外の成熟がまだ追い付いていないケースが散見される、ということです。
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糖度以外の成熟を待てなくなってきている
フランスのボルドーでは2019年6月に行われたAOCボルドーの総会でこれまで植栽を認めていなかったブドウ品種の植え付けを承認しました。理由は気候変動への対応の必要性です。
これらの動きはすべて根は同じです。
ワインを造る際にはブドウの糖度だけが必要なのではありません。そこに含まれる酸の量やタンニン、それらのハーモニーとしての風味などが必要です。しかし、最近の気候変動による気温の上昇はその中で糖度を突出して早く上げていき、そして酸量を劇的に減らします。
糖度が上がることはアルコール度数が上がることと同じです。
ブドウ果汁に含まれる糖分の量を気にして収穫時期を速くすると風味の足りない、未熟な青いの印象を強く与えるワインになってしまい、かといって風味を得るために収穫を待つとブドウの果汁糖度が上がり過ぎてアルコール度数が高すぎる、やはりバランスの悪いワインになってしまいます。
この両者の中間を上手くとれるタイミングが非常にタイトになってきているか、もしくはすでに無くなってしまってきています。
そのためにより暑い気候に対応したブドウ品種を植えることを対策にしよう、というのがボルドーの動きなのです。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000020.000019840.html
アルコール度数を下げる取り組み
一度熟してしまったブドウを再度、未熟な状態に戻すことは出来ません。
しかしブドウの過熟によるワインの含有アルコール度数の上昇は喫緊の課題となっており、その方法についても多くの研究が活発に行われています。またすでにいくつかの手法は具体化され、醸造の現場で使われ始めてもいます。
スピニングコーンや逆浸透膜を使った方法などがそれにあたりますが、これらの手法やそのための装置は大型でコストがかかります。一方で実はこれらよりもはるかに簡単に実現できる方法があります。
それが、発酵前の果汁への加水です。
濃いのであれば薄めればいい、というのは極めてシンプルで誰もが思いつく手法です。シンプルで、誰もが思いつける手法だからこそ、長い歴史のなかですでに思い付き、そして実行された手法でもあります。
結果、現代におけるワイン醸造現場において、水の添加はいわば禁じ手そのものになりました。
法律で禁止されている加水
スピニングコーンや逆浸透膜を使ったアルコール度数の調整技術に関しては多くの研究事例がありますが、ブドウ果汁へ水を足して希釈する手法については実はそれほど多くの研究が行われていません。その理由はEUのワイン法をはじめ、多くの国のワイン法でブドウ果汁への加水が禁止されているためです。
多くの国のワイン法がブドウ果汁への加水を禁止する理由は、過去に行われたワインの水増しや模造ワインの生産に対する規制が目的です。こうした模造品が市場に出回ったことで正規のワインが圧迫され、苦汁を舐めさせられた経験から、1900年初頭には「新鮮なブドウまたはブドウ果汁をアルコール発酵させた飲料でなければ、ワインという名称で販売してはならない」(蛯原健介 「ワイン法」 講談社) と法的に規定されるようになりました。
こうしたことを背景に、法律で明確に禁止されているため研究の必要性がないと考えられてきていたのでしょう。
しかし、今になってこの動きに変化が出てきています。
オーストラリアおよびニュージーランドの食品規格協会による規制の変更があり、一定の条件を満たした場合には発酵前のブドウ果汁への水の添加し、糖度の調整を行うことが認められるようになったのです。これを受けて2020年にはアデレード大学を中心に発酵前のブドウ果汁への水の添加が及ぼす影響についての研究結果が報告されています。
加水によるアルコール調整の醸造的な意味
水を添加してアルコール度数を調整する場合、最も重要なのはそれが発酵前に行われることです。発酵が終わり、正真正銘のワインとなった後に水を添加してしまっては、確かにアルコール度数は下がりますが味も薄くなってしまいます。
また同時に水を介した微生物の混入など、ワインの品質に影響を与える危険性も高くなります。
上述の研究論文、"Substitution or Dilution? Assessing Pre-Fermentative Water Implementation to Produce Lower Alcohol Shiraz Wines"における実験の結果を見てみると、水による果汁の置き換えであっても単純な水の添加による希釈であっても、水を添加しない場合と比較するとワインの品質や官能評価に影響するであろう各種項目に変化が出ています。これは果汁に水を添加しているので当然といえば当然の事です。
問題は、この変化を許容できるのか、という点でしょう。
論文に掲載された実験の結果からは、フェノール類やタンニンの量の低下が報告されていますので、発酵前の果汁に水を添加した場合、出来上がったワインの色は薄くなり、渋みも軽くなります。味についてはフルクトースの濃度も下がっているので口に含んだ際の甘味は弱くなりますが、一方で酸量には大きな変化がありません。
これらを総合して考えてみると、比較的酸味のある、フレッシュで軽い印象のワインに仕上がっているであろうと想像できます。
一方でこれは元々のアルコール度数が13.6%や15.5%のものを11%や12%程度まで下げた場合の結果です。
アルコール度数15%のワインであれば重めでしっかりしたタンニンや重厚な口当たりを感じさせる糖の存在が必要ですが、アルコール度数11%や12%程度のワインであればそういった要素は逆にバランスを欠く原因となり得ます。その意味で、加水によるアルコール度数の調整は出来上がるワインの味のバランス調整にも一役買っているともいえます。
今回のまとめ | 加水は必須の技術となり得るか
すでに書いてきたとおり、今現在は発酵前のブドウ果汁に対して水を加えることは多くの国で法的に禁止されています。
しかしその一方で、現代のワイン造りの目の前に横たわる大きな問題である、気候変動によるアルコール度数の上昇に対してこれほどシンプルで手軽な対策方法は他にはありません。いずれこの方法を認める国や地域が世界中で増えていっても何ら不思議はないでしょう。
もちろん、ブドウ果汁への水の添加を認めることには多くの問題が伴います。
果汁への水の添加は歴史が証明している通りまさに"水増し"そのものの行為ですので、粗製乱造を招きかねません。酒税面での規制もあるでしょうし、そもそもワインの品質を本当に担保できるのかどうかはまだ議論の余地があります。塩素が含まれる水道水を加えてしまっていいのか、という点も無視することは出来ません。
消費者の方にとっても"水増し"されたワイン、と受け取られてしまえばイメージの大幅な棄損は避けられません。これらは、すでに一度通ってきた道です。
このような手法を認めてしまえば、必ず、多少の収量の減少を受け入れてでも過熟させるまで待って収穫し、その果汁を水で希釈することで量産しようとする輩が出てきます。ここをどう規制していくのか。どうしたら歴史を繰り返さずに済むのか。
果汁に水を添加する手法は手段としてはとてもシンプルですが、その実現のための道はとてもシンプルとは言えないものです。しかしそれでも、いずれは世界中のワイン醸造の現場で取り入れられるものになるだろうと筆者は考えています。
それくらい、現代のアルコール度数のマネージメントは大きな課題なのです。