醸造

ワインの香りの秘密

ワインの香り。それはワインを楽しむ上でとても重要な要素です。

ワインに含まれる香りの成分はとても多く、数百種類に及ぶとも言われています。そうした中からそれぞれの香りを拾い上げ、表現する行為はワインを楽しむ醍醐味の1つでしょう。

ワインの香りを探っていると、時として意外な香りに出会うことがあります。ブドウだけから造られているはずなのに、花や木、動物を思わせる香りがあるだけではなく、スパイス、バニラ、チョコレートなんてものも出てきます。

ワインの香りは使われているブドウの品種によっても違います。普段から飲みなれているはずの品種なのに、それまでに全く出会ったことのない香りがグラスから湧き上がってくる、なんてこともあります。

本来その品種ではしないはずの香りがした場合、その理由はどこにあるのでしょうか。ブドウ栽培上の工夫、ワインを造る際の醸造上の工夫、出来上がったワインを熟成させる際の工夫。ワインに表現される独特の香りはそうした造り手の意識した工夫の結果である場合がほとんどですが、なかにはそうではない場合もあります。

今回はワイン造りにおける、香りの生い立ちの秘密についてみていきます。

ワインは混ざり、香りも混ざる

造り手もまったく意図していなかった香りの発生。それは往々にしてワインの混ざりあいが大きな原因です。初めから混ぜるつもりがあるならともかく、別々に造るワインを混ぜるなんてそんな馬鹿な、と思われるかもしれませんがワインは意外なまでに、混ざります。

ワイン造りは原料となるブドウを収穫するまでは畑ごと、もしくはその中の区画ごとを1つの単位として進められます。出来上がるワインのボトルも多くの場合はこの単位に沿って仕上げられます。

ところが収穫されたブドウが醸造の工程に入るとそこからはタンクや樽といった容器ごとの単位に変わります。同じ日に同じ畑の同じ区画から収穫されたブドウであってもその後に入れられた容器が別であればその後の味や香りはそれぞれ似通ってはいても別のものになります。

こうした別々の味や香りを持つたくさんの小さな単位のワインはボトリングを前に再度、1つの大きな単位にまとめられます。個別の容器が持っていた味や香りの特徴は好ましいものもそうではないものも、混ざりあい互いに中和されます。

仮に醸造工程にBarriqueを使うワインであれば、1つの容器の大きさは225 ~ 300リットルに固定されています。それ以上の量を仕込むのであれば、こうした樽間の混ざりあいはどうやっても避けられません

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一方でこうした混合が全く意図していなかった香りの生まれる原因となることはまずありません。どの樽、どの容器を混ぜ合わせるのかは造り手が意識して管理できるからです。予想外の香りがワインに含まれる理由は、造り手が意識していない部分での混ざりあいにあります。

ワインが混ざる濾過工程

最近はノンフィルターと呼ばれる、無濾過のワインが多く造られています。そもそもワインを濾過するかどうかに正解はありません。ワイン、特に白ワインの評価では濁りがないことが重要視されていますが、そうした評価結果に頓着しないのであれば無濾過でワインを造るのも自由です。

ただ傾向としては、白ワインでは特に、濾過をするのが一般的です。

濁ったワインは何が悪いのか

ワインの濾過は装置を使って行われます。一番身近なイメージはコーヒーフィルターです。コーヒーフィルターにも紙のものや布のものがあるように、ワイン用のフィルターにもいくつかの種類があり、それによって装置も変わります。ペーパーフィルター、珪藻土フィルター、クロスフローフィルター (Cross-Flow-Filter) と呼ばれるものです。

ワイン用の濾過装置はどのような種類のものであっても使用を通じてある程度の量のワインが混ざるリスクがあります。このため装置によって濾過できるワインに最低量があります。その量を下回ってしまうと混ざってしまうワインの分量が多くなりすぎるために使用できないのです。

濾過装置を通じたワインの混合を避ける方法は2つです。

ワインではなく水を混ぜるか、混ざる分のワインを破棄するか、です。

濾過装置内でワイン同士が混ざる理由は、簡単に言えば装置内に残ったワインを押し出すために押し出す役目を担う別のワインが必要だからです。

水を吸ったスポンジを想像してください。そのスポンジは固い筒の中に設置されています。

スポンジに含まれた水をスポンジから出す方法は、棒などを使って物理的に絞るか、さらに水を含ませてその水によって押し出すか、です。洗剤混じりの水がしみ込んだスポンジを真水で洗うイメージです。

ワインの濾過では物理的な押し出しはできませんので、何らかの液体を使うしかありません。そうなると、使えるのは別のワインか水だけです。どちらを使ったとしても、装置内に残ったワインは完全に純粋なまま装置から出てくることはありません。少量だったとしても、必ず混ざりあいます。そしてそれが例え少量であったとしても、ワインには何らかの影響ができます。それは混ざったものが水であっても同じです。

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装置が大型化すればするほど、装置内に残留するワインの量は増え、それを押し出すために必要になる別の液体の量も増えます。一方で装置が大型化するということは濾過されるワインの量も多いということですので、最終的に混ざる液体の比率は少なくなり、混ざったことによる元のワインへの影響は小さくなります。ほとんどの場合、こうして希薄化された影響はヒトの閾値を下回りますが、本来はそのワインにはなかったモノが入り込むことに違いはありません。

なお装置を通したワイン同士の混ざりあいにはポンプの使用も含まれます。

濾過以上の影響を持つ補酒

時として濾過装置を通しての混ざりあいよりも大きな影響を持つのが補酒です。

ワインを木の樽に入れて保管・熟成させることはよくあります。樽に保管されたワインは時間が経つと多かれ少なかれ蒸発して量が目減りしていきます。蒸発によって生まれた樽の中の空間はワインを酸化させる原因となるため、造り手はこまめにこの蒸発分を別のワインを使って補います。これを補酒 (ウイヤージュ、Ouillage) といいます。

樽の状態にもよりますが、バリックと呼ばれる小型の樽では数か月の保管期間で数リットルの補酒が必要となります。割合にすれば1%を超えます。保管の期間が長くなればこの割合は増えていきます。

1%くらい、と思われるかもしれませんが、まったく別のワインが1%混ざることは一般に考えられているよりも大きなインパクトがあります。もちろん補酒用のワインは可能な限り元のワインに近いものを使用しますが、時には必要に駆られて異なる年代、異なる品種、異なる畑のワインが使われることも珍しくありません。

樽以外でも行われる補酒

補酒というと樽を使うワインだけの話と思われるかもしれませんが、実はタンクでも行われる可能性があります。

ワイン造りで重要なことに、アルコール発酵が終わったワインはできるだけ空気に触れさせない、というものがあります。抜栓したボトルをそのまま置いておくと早ければ数時間、そうでなくても数日で酸化してしまうように、あっという間に酸化してしまうからです。特に発酵直後のワインには酸化防止剤などもまだ添加されていませんからより敏感です。

ワインに酸素は天敵なのに、発酵中の容器は満量にしておくことができません。発酵中に発生する二酸化炭素ガスの影響で吹きこぼれてしまうからです。ところがいざ発酵が終わると、今度はその隙間が邪魔になります。どうにかして容器を満量にしなければなりません。

この時にはやはり補酒のような作業が行われます。1つのタンクから別のタンクにワインを移動して満量にした後の残りを別のタンクに入れてそのタンクを満量にする、という作業が生じるのです。

落し蓋式の容器を使用している場合にはこうした作業は必ずしも必要ではありませんが、そうでない場合にはほとんどのケースでこうしたワインの混ざりあいが生じます。このケースでも容器の容量に対して数%のワインが混ざることになります。

もっとも望まない香りのコンタミネーション

ワインの香りが混ざる原因のなかでもっとも望ましくないのが、香りのコンタミネーションです。濾過や補酒の場合と違って、もっとも管理が難しく避けにくいものでもあります。

香りのコンタミネーションとは移り香のことです。

食品業界では包装容器を介した移り香は以前から注目されている問題です。日常生活でも臭いの強い料理を入れたタッパーなどが洗っても臭いが残っていて、それに気づかず別の食材を入れたら臭いが移ってしまったという経験をされた方はいらっしゃると思います。

ワインの醸造工程でもこれに似たことが起こります。香りを媒介するのはホースや容器といった醸造器材のほか、濾過に使用している補助材です。

このケースの一番の問題は濾過装置や補酒の時のようにワインとワインが混ざるのではなく、ワインに香り成分だけが混ざる点です。香りの成分はヒトの目には見えないものですから、目で見て確認はできません。管理が非常に難しいのです。

タッパーをよく洗ったはずなのに臭いが残ってしまうのと同じように、この問題は設備や器材をしっかり洗浄していても発生する可能性があります。完全に避ける方法は使用するすべての装置や器材をワインごとに分けることですが、それでも前年からの移り香などは避けられません。装置や器材を使い捨てにはできない以上、避けることがほぼ不可能な問題でもあります。

この経路で入り込んでくる香り成分の量は本当に微々たるものです。ですのでこれによってワインの香りに直接的な影響が出ることはまずないと考えられます。しかし時には敏感な人に違和感を感じさせる程度に存在感を見せる場合もあります。

ボトリングしたワインの味をチェックしたら違和感を感じ、調べてみたら全く意図していない香りの成分が検出された、というのは実はそれほど珍しい事例ではありません。

造り手さえも把握しきれない香りの秘密

ワインの香りの組み合わせが作り上げられる工程は謎ばかりです。

ワイン同士の混ざりあいも香り成分のコンタミネーションもないのに予想外の香りが立ち昇ってくる、なんてことは造り手にとって日常茶飯事です。出来上がるワインの香りを完全にコントロールすることは、人工的な調整をしない限り不可能です。

造り手が完全に予想もできないし、計画もできない。醸造を始めた時点ではそのワインの完成形は不定形です。一方でこの最終形が決まっていない状態が多少のワインの混ざりあいや香り成分のコンタミネーションを許容するための余裕にもなっています。そこまで含めてそのワイン、であり、それが本来の姿とどれほど違っているのかを造り手自身も判断できないのです。

また仮に味や香りに影響が出たことが分かったとしても一度混ざりあった液体は分離できません。もうそれはそういうワインだとするしかありません。

想定内、想定外を含めてワインの香りには秘密がたくさんあります。そこには理屈で説明できるものもできないものもあります。もしかしたら望まなかったコンタミネーションが偶然にもいい方向に働いた場合もあったかもしれません。ワインが出来上がってみたら「なぜか」そういう香りに仕上がっていた。ワインは意外にそういう生い立ちを持っています。

造り手さえも完全にはコントロールできず、説明さえできない場合があるワインの香り。多くの人はそうした秘密に魅了されているのかもしれません。

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  • この記事を書いた人

Nagi

ドイツでブドウ栽培学と醸造学の学位を取得。本業はドイツ国内のワイナリーに所属する栽培家&醸造家(エノログ)。 フリーランスとしても活動中

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