ワインを飲んでいると避けることのできない悲劇がいくつかあります。
真っ白いシャツに赤ワインのシミを作ってしまう。ついつい飲み過ぎて翌日に酷い頭痛に悩まされる。誰にでも経験があると思います。そうした悲劇の1つが、楽しみにしていたワインからおかしな臭いや味がする、というもの。楽しくなるはずの時間が一瞬で崩壊する可能性の高い、とても大きな悲劇です。
ワインから本来はしないはずの臭いや味がすることを一般に、ワインの欠陥臭 (オフフレーバー、不快臭とも) といいます。コルクが原因となってカビのような臭いのするブショネなどはこの欠陥臭の代表例の1つです。
ワインのオフフレーバーはいくつもありますが、そうした中でもブショネに並んで有名なのがブレット (Brett) です。
ブレットは馬小屋、馬の汗、動物的、などと表現されることの多い、少しの甘さをともなった臭いです。暖かい地域の赤ワインに出ることが多く、カリフォルニアワインなどでは地域の個性 (typicité、ティピシテ) だといわれる場合もあります。
ブレットは一方で、判断が難しい欠陥臭ともいわれています。とある著名なワイン評論家は比較的この臭いに好意的だったことでも知られていますし、最近はワインに個性を持たせる方法の1つとして敢えて低濃度のブレットをワインに含ませる造り手もいます。
ワインにとってポジティブにもネガティブにもなり得るブレットについて、解説します。
Brettの原因は酵母の仲間
ブレットはブレタノマイセス (Brettanomyces bruxellensis / Dekkera bruxellensis, ブレタノミセスとも) という酵母が主な原因となる不快臭です。
ワインで酵母といえばブドウの果汁をワインに変えるために不可欠な微生物。それが不快臭の原因になるなんて、と思う人も多いと思います。
確かにブドウの果汁がワインになる時には、主にSaccaromyces cerevisiaeという種類の酵母が大活躍をしています。これは日本酒でもビールでも同じです。よくワイン酵母とかビール酵母、日本酒酵母という呼び方をされていますが、基本的にはどれも同じSaccaromyces cerevisiae種の酵母です。
この酵母、現在2000種以上が存在することが分かっています。生物工学会誌に掲載された記事によれば、酵母は次のように定義されています。
単細胞で出芽または分裂によって増殖するフェーズが生活史の大半(または一部)を占める子嚢菌類ならびに担子菌類の総称
生物工学会誌 第94巻 第6号 308‒335.2016
つまり酵母という呼び方はいってみれば「霊長類」という程度の意味でしかなく、その中には本当にいろいろな種類が存在していて、ワインにいい影響を及ぼすものもいれば悪い影響を及ぼすものもいるわけです。そしてブレタノマイセスはどちらかというと、悪い影響を与える方の酵母の種類といえます。
Brettの正体は揮発性フェノール類
ワインに含まれる揮発性フェノールと呼ばれる成分がブレットと呼ばれる臭いの原因となっています。
揮発性フェノールにも複数ありますが、その中でも4-Ethylphenol、4-Ethylguajacol、4-Ethylcatecholの3種類がブレットの臭いに関わっています。
Ethylphenolが馬小屋や皮の臭いの、Ethylguajacolが絆創膏や医薬品のような臭いの、そしてEthylcatecholが土のような臭いの原因となります。これらの成分を人が感知できる量 (閾値といいます) はかなり低く、Ethylphenolで300 ~ 600 μg/l、Ethylguajacolは50 μg/l、Ethylcatecholも50 μg/lから知覚されるとされています。
ブレットの原因物質の閾値
- 4-Ethylphenol: 300 ~ 600 μg/l
- 4-Ethylguajacol: 50 μg/l
- 4-Ethylcatechol: 50 μg/l
これは3種の中では比較的閾値の高い、つまり感知するのに多くの量が必要になるEthylphenolであっても一般家庭の風呂桶いっぱいの水の中に0.2グラム足らずの量を入れるだけでその存在が分かってしまうほどの量です。
またこれらの揮発性フェノール類はワインが本来持っている香りをマスクしてしまい、知覚しにくくするとも言われています。
一方でEthylphenolは濃度によって多少、甘ったるいような、完熟した果実様の香りに捉えられることがあります。これがブレットをワインに個性を持たせる要素としてポジティブに評価する要因となっています。
揮発性フェノール類はどこからやってくるのか
揮発性フェノール類はフェノール酸と呼ばれる物質がブレタノマイセスなどによって代謝されることで生成されます。
特にブレットの原因となる3種類の揮発性フェノールはフェノール酸のなかでもブドウやワインに一般的に含まれている種類の酸を出発点としています。このためそもそもの原因成分を取り除いてしまうことでブレットを防止するのは極めて困難です。
揮発性フェノールの代謝経路
ブドウやワイン中に存在するフェノール酸は一度、ブレタノマイセスなどが持つ酵素によって4-Vinyl-Derivateと呼ばれる成分に変えられます。そしてその後に4-Ethyl-Delivateと呼ばれる、4-Ethylphenolや4-Ethylguajacol、4-Ethylcatecholといった形に再度代謝されていきます。
ここで厄介なのが、フェノール酸を最初の代謝経路である4-Vinyl-Delivateに代謝するのはブレタノマイセスだけではないという点です。
ブドウ果汁をアルコール発酵する際に使われる主要酵母であるSaccaromyces cerevisiaeもまた、フェノール酸を4-Vinyl-Delivateに代謝するための酵素を持っています。つまりブレタノマイセスは自身が1から頑張って代謝を行わなくても、すでにワイン中に存在している4-Vinyl-Delivateを使えばそれだけですぐに4-Ethyl-Delivateを得ることが出来てしまうのです。
また乳酸菌発酵に使用される乳酸菌の一部も揮発性フェノールを生成することが分かっています。
Brettリスクの高い高級ワイン
ブレットはその性質上、いわゆる高級ワインほど生じるリスクが高くなります。
ブレットが出やすいワインの条件を簡単にまとめると次のようにいえます。
- 樽を使っている
- pHが高い
- マロラクティック醗酵 (乳酸菌発酵) を行っている
- 酸化防止剤 (亜硫酸、SO₂) の使用量が極めて少ないか不使用
- 濾過をしていない (ノンフィルターである)
- 発酵および熟成温度が高い
こうした条件の多くを造り手のこだわりのある高級ワインほど満たします。特にマロラクティック醗酵を行っている場合には酸量の低下によるpH値の上昇に加えて揮発性フェノールを生産する可能性のある乳酸菌の増殖リスクがあり、二重の意味でブレットのリスクが高くなります。
オフフレーバーが出るようなワインはある意味において適当に造られているイメージのある低価格ワインの方が出やすいように思われるかもしれません。しかし、販売価格の安いワインではコストの面から木樽の使用や乳酸菌発酵を行わないケースが多いことに加え、品質確保の目的からSO₂の添加とフィルタリングが行われるためむしろブレットは出にくい環境となります。
注意
樽にこだわる生産者の場合、古樽を長期間にわたって使用することで低コストのワインであっても樽を使用している場合があります。こうしたケースではブレットのリスクは高くなります
今回のまとめ | Brettの防止は衛生管理に尽きる
ブレットは一度出てしまうとワインから除去することが非常に難しい不快臭です。
汚染されてしまったワインの対処方法としては逆浸透膜による濾過や、汚染されていないワインとのアッサンブラージュ、つまり他のワインと混ぜて希釈してしまうことで分かりにくくする方法が提唱されています。
しかし揮発性フェノールの閾値の項目でみたとおり、ブレットの原因物質はごく微量で知覚されてしまいます。これを他のワインとの混合で完全に誤魔化すことはほぼ不可能です。運がよければ低濃度化することでポジティブに感じてくれる消費者が増える可能性もありますが、そうした不確定な要因にワインの品質を任せるのは食料品生産者としては無責任ともいえます。
つまり、ブレットは出てしまってからでは遅いのです。
ブレットの予防はそこまで難しいことではありません。
もちろんマロラクティック醗酵の際に乳酸菌が揮発性フェノールの生成してしまう可能性までは排除できませんが、少なくともブレタノマイセスに関しては醸造所内とワインの衛生管理を徹底すれば汚染リスクは相当程度抑えることが出来ます。
仮にブレットをワインの個性としてポジティブに使うにしても、そのために醸造所内全体が汚染され、望まないワインにまでブレットが入ってしまってはワイナリーとして致命傷になりかねません。まずはどうやって環境をコントロールするのか、その方法を学ぶことが重要です。
ブレタノマイセスへの具体的な対処方法などについてはオンラインサークル「醸造家の視ている世界を覗く部」でメンバー限定記事を公開する予定です。限定記事の一部再編集版はnote上でも公開していますので、ご興味ある方はそちらも併せてご覧ください。
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