ワインベルトと呼ばれる地域があります。ワイン用ブドウ栽培に適した地域とされ、「北緯30〜50度、南緯30〜40度」の範囲を指していました。ドイツのラインガウが北緯50度。この産地はかつてブドウ栽培の北限の地とされてきました。今、その位置づけが揺らいでいます。栽培地が北へ動いているという話自体はすでに広く知られています。しかし、その先で何が起きているかはまだ十分に語られていません。
2024年から2026年にかけて発表された研究は、ブドウ栽培地の北上がどこまで進んだかについて、これまでとは異なる姿を見せています。
緯度から、複数指標の組み合わせへ
かつての「北緯・南緯」という緯度だけの指標は、もはや適地判断の基準として機能していません。現在の研究は単純な気温推移のデータだけでなく、生育期の熱量・霜のリスク・高温日数といった複数の指標を組み合わせ、地域ごとの気候条件を細かく分類する手法を採っています。
2026年に発表された研究は、「気候アナログ」と呼ばれる手法を用いています。これは、ある産地の将来の気候が現在のどの産地の気候に似てくるかを対応づけるものです。気温の上昇だけではなく、病害の発生しやすさまでを含めた複数の指標を同時に評価する点が特徴です。
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適性向上の条件
2024年に発表された大規模な総説は、世界72の伝統的ワイン産地を対象に将来の適性変化を評価しました。地球温暖化が2℃未満に抑えられた場合、18地域で適性が向上するのに対し、54地域で何らかのリスクが発生し、そのうち35地域が中程度以上のリスクを負うという結果が示されています。ヨーロッパでは北緯46度以北・大西洋沿岸が温暖化の恩恵を受けるとされていますが、この評価には「少なくとも限定的な気温上昇に対しては」という条件がついています。2℃を超える上昇では、適性が向上する地域の数は2℃未満の場合と比べて半減します。
この論文の責任著者は、公表に合わせた取材の中で、一つの例としてドイツが代表品種であるリースリングの栽培に苦しむ可能性を指摘しています。栽培における適正気温の範囲からの逸脱が生じるなかで、地域名と結びついたワインの多くは他品種への転換が容易ではないという理由からです。「北へ行けば楽になる」という単純な図式では捉えきれない側面があることを示しています。
なお、ドイツにおけるリースリングの栽培面積は依然として高い水準を維持しています。近年はシャルドネなど、これまでドイツではほとんど植栽されていなかった品種の栽培面積が急拡大しています。品種は栽培適地が北上する一方で、土地は動かずに動いてきた品種を受け入れ、その様相を変えていく姿が見られます。
見落とされていた壁
ブドウの栽培地がこれまでよりも北に動く。そこには2つの意味があります。
1つは従来の産地が温暖化による影響に耐え切れなくなって、より涼しい北の産地に移動してくること。もう1つは、これまでブドウが栽培されていなかった土地で、新たに植えられること。前者は従来産地の中での品種の移動としても捉えられますが、後者は新産地の開拓という枠組みで理解すべきものです。
先の2026年の研究によれば、北方拡大を検討するうえで重要となる要素の一つが病害圧です。気温の変化だけで見れば、北欧が熱的に適地化していきます。ところがべと病の発生条件を加味すると、様子が大きく変わります。
北の新興産地は現時点ではまだ気温が低く、べと病の感染リスクも、一部の地域を除けば低い水準にあります。とりわけ北方の大西洋沿岸は湿潤であるため、気温が上がれば感染が成立しやすい条件が揃うと考えられます。現在想定されているなかでもっとも温暖化が進むシナリオでは、病害圧は2080年までに、いまのヨーロッパでもっとも高いとされるボルドーを含むフランス南西部並みまで上がると試算されています。
新産地はそう遠くない将来に、既存の産地と変わらない病害圧に曝されることになります。現時点の病害圧の差を当てにした立地の選択は、一時の猶予にしかなりません。
気温が安定していた時代には、病害圧もまた産地ごとにおおむね決まった水準として扱われてきましたが、既存産地でもその前提は崩れつつあります。ブルゴーニュやシャンパーニュ、ドイツなど一部の産地では、2080年までにべと病とうどんこ病の両方に好適な日数が15%前後増えることが予想されています。一方でスペインや中部イタリア、東欧では降水量が減ることで、べと病に関しては病害圧が下がる見込みが示されています。
従来産地をそのまま北に持っていこうとする場合には、新産地の開拓とは事情が異なります。ブルゴーニュやシャンパーニュ、ドイツのように、防除の設計にもともと病害圧を織り込んできた産地にとって、自らの土地で生じる15%前後の増加はそれほど大きな問題となりません。
現在の産地の多くは高い病害圧に曝されています。ボルドーでは2023年に畑の9割がべと病に罹病しましたが、この地域は変わらず産地として存続しています。そうした産地でブドウを育ててきた栽培家にとって、病害圧が北方拡大の制約になることはありません。新しい土地に移っても、直面する病害圧の水準に大きな差はない、というにすぎません。
新産地としてみれば、それは今後数十年のうちに初めて経験する変化ですが、従来産地の代替地としてみれば、それは経験してきたことなのです。
北限の現在地
ブドウ栽培の現在の北限は北欧にまで達しています。しかし実際の数字を見ると、その生産規模はまだ小さなものです。スコーネ地方がワイン生産の中心地となっているスウェーデンでは、2025年時点で商業ワイナリーが50軒、栽培面積が230ヘクタール、ブドウ樹の本数が80万本にとどまります。ノルウェーの国立研究機関 NIBIO は、ウレンスヴァングとランドヴィークの2か所に圃場を設け、複数品種で栽培試験を進めています。事業として成立している生産者は10社を超える程度です。
注目すべきはウレンスヴァングの緯度です。北緯約60度に位置します。北限とされていたワインベルトの上端、それよりもさらに10度ほど北上しています。
南欧産地の縮小
北方拡大の影で、南欧の産地が縮小のリスクに曝されています。スペイン・イタリア・ギリシャにある、低地・沿岸に位置する伝統的ワイン産地の約9割が、今世紀末までに消失の危機にあると先の2024年の総説では評価されています。標高1,000メートルまでの移動を考慮しても、この損失のうち補償されるのはわずか2割未満にとどまる見込みです。
ブドウの栽培地域の北限はより北へ動いているという物語は、同じ気候変動が南で引き起こす産地の縮小と表裏一体です。
判断の質が、ワインの質になる。
栽培・醸造における技術的判断を整理し、現場の改善に継続的に関与します。迎合でも代行でもなく、前提の確認・リスクの指摘・修正提案を、根拠とともに示す立場から。
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動き続ける産地
適地判断の手法は、緯度という単一の指標から、複数の気候指標と病害リスクを組み合わせた評価へと移り変わりつつあります。この変化は、「北へ行けば温暖化の影響を避けられる」という単純な図式に、いくつもの留保をつけ加えます。恩恵は温暖化の水準次第で反転しうるものであり、病害圧という新しい制約も生じます。
熱量の条件を満たし続け、防除で対応できる範囲に病害圧が収まる土地では、品種の移動は生じてもブドウ栽培は行われます。対して、そのいずれかから外れた土地は、ブドウ栽培自体が難しくなっていきます。北限のさらなる北上は、産地の移動と新産地の開拓という2つの異なる形で現れます。
産地が移動せざるを得なくなったとき、新旧それぞれの土地でブドウを栽培する主体はどうなっているのでしょうか。誰が担い、誰が離れるのか。また変わりゆく気候の中で、北限はどこまで上がっていくのでしょうか。
北限という言葉が意味する場所は今後も動いていくでしょうが、その動き方は直線的な北上ではなく、複数の要因がせめぎ合う複雑な過程として理解する必要がありそうです。






