ビオディナミもしくはバイオダイナミック(Biodynamic)という単語が近年、急速に市民権を持つようになりました。特にワインの関連では世界的に高い評価を得ている生産者がこの手法を取り入れているケースが多く、耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
一方でビオディナミに関してはその特徴からか多くの偏った情報が存在しています。そうしたなかには正確性を欠くものもあります。そこで今回はビオディナミとはなんなのか、その基礎を3つの質問をもとに解説していきます。
ビオディナミとはワイン造りの方法の1つ?
試しにグーグルでビオディナミと検索してみると、トップにはワインに関する検索結果ばかりがあがってきます。またそうした結果の見出しの多くは「ビオディナミワイン」となっています。このためビオディナミとはワインに関わる何かなのだと思われるかもしれませんが、違います。ビオディナミとは有機栽培に分類される農法の1つです。
現代の農法を大雑把に分類すると、慣行農法と有機農法の2つに区分されます。慣行農法 (conventional farming / conventional agriculture) とはいわば一般的に行われている農業生産手法のことです。化学肥料や農薬、機械などの使用を否定せず生産効率を高めることを主要な目的としています。これに対して有機農法 (organic farming / organic agriculture) は化学肥料や化学農薬といった無機物の使用を制限し、農業生態系の健全性を促進・強化することを目的としています。簡単に言ってしまえば、環境負荷のより小さい農法といえます。なお、よくいわれるビオやビオロジックはこの有機農法のことを指しています。
有機農法であっても必ずしも農薬全般の使用を否定しているわけではありません。慣行農法ほどの選択肢はありませんが、種類や使用量の制限を設けたうえで農薬が使用されています。一方で有機農法が持つ規則をさらに厳しくすることでより環境負荷を低くし、自然の力を尊重しようとするのがビオディナミ農法や自然農法の考え方です。
ビオディナミ農法とはエコロジックに準拠しつつもよりホリスティック (全体的/統合的) かつエシカル (道徳的) であることを目指す有機栽培のことをいいます。
世界的な拡大をみせるビオディナミ農法
いわゆるビオ、有機栽培は世界中で拡大を続けていることはよくいわれています。そうした有機栽培の拡大の一端を担っているのがビオディナミ農法です。
ビオディナミ農法を採用する場合、必須ではありませんが多くの農家が認証団体から認定を受けています。ビオディナミの認証団体として世界最大規模を誇るDemeterによると、2019年時点で世界中で200,000 haを超える畑が認証を取得しています。ビオディナミ農法の採用先進国はドイツで、認証面積の34%を占めています。これにオーストラリアの20%、フランスの6%が続いています。
ビオディナミと検索するとワインに関する結果がトップに出てくることからも分かるように、ワイナリーがビオディナミを採用するケースは少なくありません。ブドウ畑だけに限定すると、2019年時点でDemeterの認証を取得していたのは全世界で15,000 haでした。これが2021年には17,079 haまで12%弱増えています。ビオディナミの認証を取得するには数年にわたる長い移行期間が義務付けられていることを考えれば決して低くはない成長率です。一方で、Demeterによる認証を受けた畑の面積のうち、ブドウの栽培に関わる面積が8.5%程度であることからも、ビオディナミ農法がワインに限ったものではないことがお分かりいただけると思います。
なお世界中で有機認証を取得しているブドウ畑は454,000 haといわれており、ブドウ栽培面積のおよそ6.4%です。つまり2021年時点ではビオディナミの認証を取得しているブドウ畑は有機認証を取得している畑に対して4%弱、ブドウの栽培面積全体に対しては0.2%程度に相当しています。
栽培面積だけではなく、認証を取得するワイナリーの件数も増加傾向にあります。2019年時点でDemeterの認証を取得したワイナリーはヨーロッパだけで760軒あり、そのおよそ半分となる375軒がフランスのワイナリーでした。2021年には世界中で1012軒のワイナリーがDemeterからの認証を取得しています。Demeterという認証団体全体でみればドイツが取得率での先進国ですが、ワインのみに限定するとフランスが圧倒的な存在感をみせています。
スピリチュアルな農法なのか?
ビオディナミ農法を印象付ける要素の1つに天体、特に月の運行に関連した、ビオディナミカレンダーとも呼ばれるカレンダーの存在があります。またプレパラート (プレパラシオンとも) と呼ばれる牛糞などを牛の角に詰めて一定期間土に埋め発酵させたものを雨水に溶かし畑に散布する、きわめて特徴的な作業もビオディナミを名乗るうえでは義務付けられています。こうした一見すると宗教儀式にも似たような作業がビオディナミをよりスピリチュアルなものと思わせているケースは少なくありません。
ビオディナミ農法の根底にあるのはオーストリア帝国時代にその領土の一部だった現在のクロアチア出身の思想家、ルドルフ・シュタイナー (Rudolf Steiner) が提唱した人智学の考え方です。シュタイナーは人智学の考え方を拡大させ建築や医療、薬学、教育などに適用させましたが、その一環として農業分野にもこの考え方を持ち込みました。彼が晩年に行った農業講座がビオディナミ農法の始まりであることは今日よく知られています。
一方であまり知られていないのが、この時の講義のタイトルです。この講座のタイトルは"Spiritual foundations for the renewal of Agriculture (農業を再生するための精神的基盤, 原語: geisteswissenschaftliche Landwirtschaft)" というものでした。そもそもが人智学という思想の発展から語られたものでもありますので、シュタイナーが語ったビオディナミ農法の根本とはとても精神的なものだったといえます。
なおビオディナミを特徴づける月の運行との関連を示したカレンダーの作成はシュタイナーの仕事ではありません。シュタイナーの講義は彼が1925年に亡くなる9か月前に行われていますが、ビオディナミカレンダーが作られたのは1963年のことです。マリア・トゥーン (Maria Thun) という人物がシュタイナーの提唱した考え方に基づき、フランツ・ルルニ (Franz Rulni) が作った種まきカレンダーを元に作り上げたものです。ちなみにビオディナミ農法という名前もシュタイナーが言ったものではなく、この名前がつけられたのは1930年のことです。
ビオディナミカレンダーとはなんなのか
マリア・トゥーンによると月の運行は植物の生長を促進するタイミングと逆に阻害するタイミングがあるとしています。下弦の月の時期が植物の力が地下部分にある時期で、よりよく根を張ることから植え付けの時期と定義されます。逆に上弦の月の時期は地上部に力のある時期で、植え付けには向かず、挿し木などに向く時期とされます。
ビオディナミカレンダーでは植物が根菜、葉物野菜、花、果物の4つに分類されています。このそれぞれに地球、水、光・空気、暖気・火というシンボルが与えられ、さらに星座が3つずつ割り振られています。シンボルとしてのそれぞれの星座の並びと月の運行を連動させることで、どの種類の植物に対して、どの時期に、どの作業をするのが適しているのかを示したものがビオディナミカレンダーです。
マリアの死後もこのカレンダーは彼女の息子夫婦が経営する出版社を通して発行されています。なお、2016年にマリアの息子、マティアス・トゥーン (Matthias Thun) がマリアのビオディナミカレンダーを元にいつワインを飲むのが適しているのかを示唆した本を出版しています。この本がワイン業界とビオディナミをより強く結びつけた可能性は否定できません。
使用されるプレパラートは8種類
ビオディナミ農法を特徴づけているもう1つの要素がプレパラート、プレパラシオンです。プレパラートには500番から507番まで8つの種類があります。プレパラートは土壌の栄養循環を刺激し、植物の光合成量を向上させたり堆肥の変質を促進する効果があるとされています。またプレパラートの散布が植物のホルモンに影響を与えるとも説明されます。
プレパラートの使用方法は主に2つあり、500番と501番は直接圃場に散布します。一方で502番から507番は主にコンポストに使用されます。番号とその原料は以下の通りです。なおそれぞれの原料は死んだ牛の角や腸、シカの膀胱、家畜の頭蓋骨などに入れ、作法を守ったうえで月の運行や季節など各プレパラートごとに決められた保存期間を置くことが細かく定められていますが、そういった詳細は割愛します。
500番:牛糞堆肥
※ 500P:500番に502~507番を混ぜたもの
501番:シリカ
502番:ヤグルマギクの花 (Achillea millefolium)
503番:カモミールの花 (Matricaria recutia)
504番:セイヨウイラクサの芽 (Urtica dioica)
505番:オークの樹皮 (Quercus robur)
506番:セイヨウタンポポの花 (Taraxacum officinale)
507番:セイヨウカイノコソウのエキス (Valeriana officinalis)
これらのプレパラートを使用する際には雨水に溶かしますが、その際にも渦を巻くように攪拌し、一定のタイミングで拡販する方向を変えながら1時間継続すること、といった規定が定められています。
ビオディナミワインは自然派ワイン?
最近のブドウ栽培におけるブームがビオディナミであるなら、ワイン造りにおけるブームはナチュラルワインです。ナチュラルワイン、もしくは自然派ワインと呼ばれるワインは基本的には有機農法で栽培されたブドウを原料に使うことが前提とされています。
しかし、ナチュラルワインだから原料はビオディナミ農法で栽培したブドウでなければならない、ということはありません。ここで注目されるのは有機農法かどうかまでです。最近のナチュラルワインの中にはそうした枠組みさえ持たないケースもありますので、自然派ワインを造るためのブドウがビオディナミ農法によるものでなければならないとする理由はありません。
一方でビオディナミ農法で栽培したブドウを原料にしたからといってその造りが必ずしもナチュラルワインになるわけでもありません。ブドウをビオディナミ農法に則って栽培していながら醸造は何でもありというスタイルをとる造り手はさすがにいないと思いますが、ブドウの栽培はビオディナミによって行い、醸造にはビオワインとして認められている範囲の手法を用いているケースは少なくありません。
ここで明確にしておかなければならないことは、ビオワイン、ビオディナミワイン、ナチュラルワインにはそれぞれ関係している団体による内容の異なった規定が設けられていること、そしてブドウ栽培をどのような方法で行うのかとワインの醸造をどの枠組みで行うのかの判断は基本的に独立しているということです。栽培と醸造それぞれに適用されるルールを一貫することの一番の意味は、ワインのラベルに認証マークを表記できるかどうかです。例えば栽培はビオディナミ農法で、醸造はビオワイン基準で行った場合、その醸造手法の内容によってはワインのラベルにビオディナミの認証マークを表示することが出来なくなるケースがあります。つまりビオディナミワインとは、認証団体が認めた手法の範囲内でブドウもワインも造ることで、ラベルにDemeterならDemeterの認証マークを表記したワインのことといえます。
なお、例えばDemeterが求めるビオディナミワインの認証基準と一般によくいわれている自然派ワインの基準は一部で異なります。このためビオディナミの認証マークを掲示したワインがすべて自然派ワインであるということにはなりません。
この記事の執筆時点においてナチュラルワイン、もしくは自然派ワインと呼ばれるワインには明確な規定が存在していません。ビオワインやビオディナミワインのような認証団体も世界的な規模で活動しているものはなく、ある意味において、どのようなワインであってもナチュラルワインを名乗ることが出来ます。このため、ナチュラルワインという区分の設定の仕方によってはすべてのビオディナミワインがナチュラルワインの範疇に収まる、ということも不可能ではありません。
またビオディナミのケースに限らず、生産者の中には団体の規制に縛られることで逆にワインの品質低下を招くリスクがあるとして、栽培も醸造も規制に準拠した方法で行っていながらも認証を敢えて取得していない場合も多く存在しています。彼らのワインは認証を取得していないためビオディナミワインと呼ぶことはできませんが、内容はビオディナミワインです。こうしたケースもあることを踏まえたうえで、ビオディナミワインとはなんなのかを考える必要もあります。
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今回のまとめ|ビオディナミは本当に有効なのか
ビオディナミ農法は環境負荷の低減、生態系の多様化といった視点が現代のサステナビリティ志向と一致する部分が多く、それが注目を集める1つのきっかけとなっています。一方で極めて思想的な側面をもった農法であるともいえます。
例えば月の運行は自然界においても何かしらの影響を及ぼしていることは知られています。一方でビオディナミ農法を採用している認証農家であっても実際の作業には生産植物の状態を優先し、月の運行は考慮していないケースは少なくないといわれています。Demeterの規定ではプレパラートの使用は義務付けられていますが、ビオディナミカレンダーの遵守は定められていません。そしてそのプレパラートに対しては効果の是非について、科学界で多くの議論が行われています。
プレパラートの効果に関する検証はいくつもの結果がすでに出ています。一方でビオディナミ農法が本当に効果のある農法なのかどうかに関してはまだ明確な結論が出されていません。現状ではビオディナミ農法は効果に対する明確な証拠がないままに評価が独り歩きし、需要が高まってしまっている状態にあるといえます。またこうした需要が生産者に対してビオディナミ農法への移行圧力となって影響し始めている面もあります。
ビオディナミが本当に高品質な結果をもたらすのかどうかがわかっていない一方で、ビオディナミに移行すると生産コストが高くなることは明確にわかっています。しかし、ビオディナミに基づいて作られた価格の高い作物に対して、本当に需要があるのかといえば必ずしもその限りではありません。ナチュラルワインの例と同様に、価格の転嫁は一部の消費者に対してのみ可能です。
生産コストが高くなる一方で販売価格を引き上げることが出来なければそれは生産者にとってサステナビリティであるとはいえません。
ビオディナミで使われるプレパラートが本当に有効なのか、そこにより多くのコストをかけていく意味があるのか。そしてその結果として本当にサステナビリティのある経営をしていくことが出来るのか。ビオディナミはサステナブルであると頭から信じてこの人気のワードに飛びつく前に、そうした検討を慎重に行うことが欠かせません。
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