品質管理

ワインと酸素|ワインの酸化とはなんなのか。酸化を理解するための基礎講座

ワインにとって酸素は不倶戴天の敵である。なぜなら酸素はワインを酸化させ、その品質を劣化させるから。醸造中のワインであろうとボトリングされた後のワインであろうと、酸素は可能な限り排除すべき対象である。そんな風に思ってはいないでしょうか。

実際には酸素はワインに関わるいくつものタイミングで利用されています。例えば発酵前の果汁に酸素を供給することで強制的に酸化させるハイパーオキシデーション (hyperoxidation、hyperoxygenationとも)。酸化によって変化する可能性のある要因を先に酸化させることで取り除き、ワインの安定化を促すために行われることのある醸造手法です。

フェノールやタンニンの含有量が多く、抜栓してすぐにはまだ硬くて飲みにくいと感じた時に利用されるのも酸素です。スワリングやデキャンタージュを通してワインに酸素を供給し、フェノールを酸化させるなどしてワインを飲みやすい、開いた状態にしたりします。

ところでこれまでごく普通に使ってきた酸化という言葉、具体的にはなんなのかを考えたことはあるでしょうか。ワインは酸素と接触することで酸化する、という文脈の中では酸化とは酸素が引き起こす何らかの現象、というような理解をしてしまいやすくなります。しかし厳密にはこれだけでは間違いです。

この記事ではワインにおける酸化とはどういう現象なのか、そこに酸素がどのように関わっているのかを解説します。

酸化の3つの定義

ワインに限らず食品や鉄製品など、多くのものが酸化する過程には酸素が関係しています。このため酸化は対象となる物質が酸素と結合すること、と理解されがちです。一方で厳密に酸化を定義しようとすると、そこには3つの方法が存在します。酸素原子に関する定義、水素原子に関する定義、そして電子に関する定義です。

酸素原子に関する定義は我々にもっとも馴染みの深い定義です。ある対象となる原子が酸素原子と結合することを酸化といい、逆に酸素原子を失うことを還元といいます。これに対して水素原子に関する定義では、ある原子が結合していた水素原子を失うことを酸化といい、逆に水素原子と結合することを還元と表します。かたや酸素原子を「得れ」ば酸化なのに同じことを定義しているはずの別の見方では水素原子を「失え」ば酸化、というのは少し理解しにくいかもしれません。しかしここには実は一貫したルールが存在しています。それを表しているのが、3番目の定義です。

3番目の定義がもっとも厳密な意味で酸化を規定しているといえます。つまり、電子に関する定義です。

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酸化とは電子を失うこと

電子に関する定義では電子を失うことを酸化、得ることを還元と定義します。実は先に見てきた酸素原子による定義も水素原子による定義も同じことをそれぞれ酸素と水素の視点から言っていたに過ぎません。

高校の化学の授業を思い出してみましょう。ある原子Aが酸素原子と化学的に結合するとき、そこには電子が介在します。原子Aと酸素原子がそれぞれ持っていた電子が共有電子対を形成することで両方の原子が結合します。この際、酸素原子は電気陰性度が大きいため、共有電子対は酸素原子側に引きつけられます。原子Aは持っていた電子を酸素原子に差し出すことで、つまり電子を失うことで酸素原子と結合します。原子Aと水素原子とが結合する際にはこれとまったく逆のことが起きています。

水素原子は電気陰性度が小さいため、水素原子がほかの原子と共有電子対を形成する場合にはその共有電子対は常に相手の原子側によります。水素と結合した原子Aから見れば、電子を水素から得ている状態です。一方で結合していた状態から再度、それぞれの原子に分離する際には原子Aは水素原子に電子を返すことになるため、原子Aは電子を失います。つまり、酸化です。電子を元に考えればなぜ水素原子を得れば還元で、失えば酸化なのかがすっきりと理解できます。

ちょっと混乱してきた、という方は無理をしなくて大丈夫です。とりあえず酸化とは電子が関わっている現象で、必ずしも酸素がなくてもいいらしい、と思ってください。

なぜ電子に関連して理解する必要があるのか

酸化を定義している3つの定義はどれも正しいものです。違いは酸化の際に生じている化学的な現象をどこまで深く掘り下げて取り扱っているのか、という視点です。研究者になるわけでもなく、ワインを楽しむ上での基礎知識として、少しの蘊蓄として理解できればそれで十分という場合には酸素原子に関する定義だけで十分であるようにも思えます。もちろんそれでもいいのですが、そうすると今からはじめる、もう少し深いワインの酸化の話を理解しにくくなってしまいます。ここから先は酸素が介在しない酸化がいたるところに関わってきます。酸化に関する定義を長々と説明してきたのには理由があります。

ワインは多種多様な成分が含まれた、とても複雑な液体です。このため、ワインの酸化には必ずしも酸素が関わっていないケースがあります。むしろ、ワインにおける化学的な酸化において酸素はほとんど直接的な関わりをもっていないといえます。

ワインの酸化には2つの種類があります。酵素的酸化と非酵素的酸化です。このうち酸素が直接酸化に関与するのは非酵素的酸化です。一方で、非酵素的酸化は典型的なワインのpH環境下では反応はきわめてゆっくりとしか進みません。そのため影響の範囲も小さく、無視できる程度にとどまることがほとんどだとされています。少々乱暴な言い方にはなりますが、酸素は直接ワインの酸化に関わらない、と書いている理由です。

ワインの酸化は酵素的酸化

ワインの酸化の中心は酵素的酸化だと言われています。ここで重要な役割を果たしているのが酸素、ではなく、酵素です。フェノール酸化酵素と呼ばれる種類の酵素が動くことでワインが酸化しています。

フェノール酸化酵素にはいくつかの種類がありますが、その中でも重要なのがtyrosinaseとlaccaseです。tyrosinaseは健全なブドウ中にも存在していますが、laccaseは特にbotrytisに感染したブドウで多く検出されます。この酸化酵素がワイン中に含まれるフェノールをキノンに酸化するところからワインの酸化がはじまります。なおこの際に強く関係するのはやはり酸素ではなく、ワイン中に含まれている金属イオンです。

あまり知られていないことですが、白ワインの褐変も含めて、ワインの酸化は主にワイン中に存在しているフェノール類に対して始まります。エタノールや酒石酸などの成分は、こうしたフェノール類の酸化の先にある化学反応の結果、酸化されます。アルコールが酸素と接触した結果、いきなり酸化されているわけではないのです。

化学的な酸化のサイクル

ここからは少し込み入ったお話になります。すべてを理解する必要はありません。細かい物質名を覚える必要もありません。重要なのは、白ワインでも赤ワインでも酸化がフェノールを起点にしていること、フェノールが酸化されていく過程で生成される活性酸素が非常に強力でワイン中に含まれるあらゆる成分を酸化していくようになること、そしてそれらはSO2によって酸化や生成が抑制できること、です

フェノール酸化酵素は金属イオンと結合してフェノール類をキノンに酸化させますが、ここに酸素が影響を及ぼします。酸化酵素と結合している金属イオンの電子が酸素原子に移行することで金属イオン自体は還元され、さらにフェノールをキノンに酸化させていくのです。またこの際、ヒドロペルオキシルラジカルが生成されます。

生成されたヒドロペルオキシルラジカルは過酸化水素に還元されます。キノンや還元された過酸化水素は周辺に存在している物質を酸化させていきますが、一部の過酸化水素は別の金属イオンと結合することで活性酸素の一種であるヒドロキシラジカルを生成します。このヒドロキシラジカルは活性酸素のなかでも特に強い反応性を持っています。

ヒドロキシラジカルの特徴はその非常に強い酸化力で、生体内では脂質の連続的な酸化を引き起こすことでも知られています。こうした特徴はワイン中に存在する場合でも変わらず、ヒドロキシラジカルはおよそすべての有機物を酸化させます。そこにはエタノールや酒石酸、糖、グリセロールなども含まれます。

SO2が酸化を防止する理由

亜硫酸とも呼ばれるSO2は酸化防止剤としてワインに添加されています。添加することに対して強い拒否感を示す生産者や消費者も少なくない物質ではありますが、SO2は複数の点でワインの酸化を防止する役割を果たしています。

まずワインの酸化の起点となるフェノール酸化酵素の活性を強く抑制する効果を持っています。特にtyrosinaseの不活性化には強い有効性を示し、最大でその活性を90%まで抑制することができるとされています。一方でlaccaseはSO2耐性が高く、現実的な添加量の範囲内におけるSO2の添加によってその活性を抑制することはほぼ不可能です。

SO2はまた、酸化酵素によって酸化されキノン化したフェノールや一連の酸化反応の過程で発生した過酸化水素をそれぞれ還元することができます。キノンが再度フェノールに還元されることでワイン中における残存フェノール量が回復し、ワインの抗酸化作用が維持できることに加え、過酸化水素が還元されることでそこから生成されるヒドロキシラジカルの増加を抑制できることはワイン全体の酸化を考える上で大きな意味を持ちます。

健全果のみでワインを造れば確かに含有されるlaccaseの量は抑えることができますが、一方でtylosinaseは健全果であっても果汁中に存在します。こうした酵素の存在量を正確に把握することは難しいことから、安易にSO2の添加量を減らすことは想像以上に酸化のリスクを高める可能性があることを知っておく必要があります。ワインの酸化は酸素を入れなければどうにでもなる、というわけでは一概にありません。

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酸化を理解した後でできること

ワインにおける酸化とはどういう現象なのかをみてきました。一連の流れを知ることで、一般に思われているように、酸素が直接ワインに含まれている各種成分を酸化しているわけではないことがわかります。

ではシステムを知った上でできる対策とはなんでしょうか。

基本はすべての反応のきっかけとなるフェノール酸化酵素をいかに果汁やワイン中から除去するか、もしくは失活させ動かないようにさせるのか、です。この視点からの対策は造り手にしかできません。酵素の含有量を減らすための手法はいくつか提案されていますが、そのなかでも比較的取り組みやすい方法がSO2の適正な添加です。ワインが一般大気中の常温常圧下で造られている以上、どれだけ注意してもある程度の酸素量の溶け込みは避けられません。そうなれば、対象となる酵素を的確に抑制させておかなければそこから酸化がはじまり、最終的に溶存酸素を起点に活性酸素の生成を許すことになります。対象とすべきは酸素ではなく、酵素です

一方で、消費者はワイン中に含まれる酵素に対してそれを取り除くようななにかをすることは基本的にできません。となると、できる対策は酸素に着目したものにならざるを得ない、ように思われるかもしれませんが、実はそうでもありません。酵素の存在が重要であることを知っていれば、酵素を動かさないような環境作りを考えることができます

例えば温度に注目します。酸素の溶け込み量は一般に低温の方が多くなります。ある検証結果によれば35℃での酸素の飽和量は5.6mg/Lであるのに対して、5℃ではその量が倍近い10.5mg/Lまで増えます。従来通り酸素が多く取り込まれる方が酸化が進むと考えるのであれば、温度はあまり下げない方がいいようにも思えます。しかし、フェノールの酸化速度は温度の上昇とともに加速します。これは酵素の活性が上がるためです。つまり、ワインを酸化させないためには酸素をより多く取り込むとしても液温を低い環境においた方がいいことになります。逆にワインを開かせるなどの目的がある場合には、スワリングやデキャンタージュをむやみに行うよりも酵素が動きやすい環境を意識する方が効果でしょう。

ワインにとって酸化が必ずしも悪いわけではありません。時と場合によってある程度の酸化が望まれることはよくあります。そうしたとき、より効果的に酸化を操作するには正しい知識が欠かせません。ワインにおける酸化とはなんなのか、どういう機序に基づくものなのか、この記事がそうした理解をするための一助となることを願っています。

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  • この記事を書いた人

Nagi

ドイツでブドウ栽培学と醸造学の学位を取得。本業はドイツ国内のワイナリーに所属する栽培家&醸造家(エノログ)。 フリーランスとしても活動中

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