先日、当サイトの記事を読んでくださっている方から「ブドウ畑やワイン生産者における山や川の重要性」についてご質問をいただきました。せっかくですので今回はこのテーマについて筆者の個人的な見解に基づくものになってしまいますが、解説したいと思います。
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この記事では
ソムリエ試験等で川や山の名前を覚えるが、なんのために必要なのか分からない
実際のところワイン用のブドウ栽培に山や川は必要なのか
といった疑問にインデックスという概念からお答えします。
山や川の役割とはなんなのか、ということをこの記事で理解していただき、ソムリエ試験のための勉強の補助としていただければ幸いです。
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前提条件!山や川は動かせない
まず最初にごく当然なことの確認です。
山や川というものは基本的にははるかな昔からそこにそうとして在るものです。これを人の手で容易に動かすことは出来ませんし、根本的に作り変えることも非常に難しい存在です。
一体何が言いたいのかというと、山や川というものはもともとそこに在るものなので、ヒトはこれを部分的に利用することは出来てもその存在自体を好き勝手にすることは出来ない、ということです。つまり山や川の存在とはブドウ栽培にとってあくまでも補助的なものであり、ブドウ栽培における必要条件では「基本的に」ありません。
ブドウ栽培におけるインデックスの活用
ここで少し話を変えてインデックスというもののお話をしたいと思います。
ブドウ栽培において、ある地域における植栽品種の決定における判断方法の1つとしてインデックスと呼ばれるものがあります。このインデックスとは複数種類のものが考案されていますが、いずれもいくつかのパラメーターを利用した数式であり、その計算結果に基づいてその地域がどのような気候区分に属するのかを決定した上でその条件に適したブドウの品種を選ぶためのツールです。
具体例を1つ挙げてみると、
IB = X x H x 10-6
X = 平均気温の年間合計 – T-base
H = 日照時間の年間合計
というものです。この数式から求められるIBの値が 2.6を下回っているの地域ではワイン用ブドウ栽培は不可能とされています。
このようなインデックスがいくつか存在しており、それぞれの計算結果を見てみると最近の地球環境下においてはブドウ栽培の北限が従来の北緯30~50度というものよりも北に上がってきていることがわかります。
ブドウ栽培の北限の移動については以前にもいくつかの記事で紹介していますのでご興味が在る方はぜひそちらも合わせて読んでみてください。
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各インデックスに利用されるパラメーター
今回重要なのは厳密にはこのインデックス自体ではなく、そこに利用されているパラメーターです。
ブドウの栽培可否や気候区分の判断、植栽品種の判定に利用されるインデックスの計算に利用されるパラメーターとは、そのままブドウ栽培にとっての必要条件である、ということが出来るからです。
実は少ないパラメーター
各インデックスで利用されるパラメーターの組み合わせは少しずつ違いますが、利用されているパラメーター自体は実は以下の3つしかありません。
- 気温
- 日照時間
- 降雨量
つまりこの3種類の条件さえ整っていれば、そこが川の流れる山の中だろうが山も川もない平野の真っ只中だろうがブドウ栽培は可能です。この点において山も川も一切の重要性を持っていません。
山の役割、川の役割
ではなぜワイン用のブドウ栽培において山や川の名前が頻繁に出てくるのでしょうか?
この点を理解するために必要な視点は以下の3つです。
- 気温の調整弁としての役割
- ストレスの負荷など副次的な役割
- 物流などワインの販売面における役割
1つずつ解説をしていきます。
夏や涼しく冬は暖かく
自然環境という側面から見た場合にワイン用ブドウ畑に対して山や川が果たしているもっとも大きな役割がこの気温の調整弁としての役割です。
例えばドイツにあるRheingau (ラインガウ) という産地を例にとって見てみます。
Rheingauと呼ばれる産地がある地域ではライン川が東から西に向かってほぼ真っすぐに流れています。Rheingauはこのライン川の流れに沿った北側のエリアのことをいいます。
またRheingauはドイツの中でもとても温暖で、温度変化の少ない穏やかな地域として知られています。
このRheigauにおいてほぼすべての畑はライン川に沿って作られているのですが、実はこの地域、ライン川のすぐ上、つまり北側にタウヌスという山とそれに連なる丘陵地帯が広がっています。このためライン川に沿って作られるブドウ畑は同時にこのタウヌスの丘陵の南側の斜面に沿って作られることにもなります。
この結果、Rheingauでは北から流れ込む冷たい空気はタウヌスによって遮られるためまずは年間を通して最低気温が極端に下がることがありません。
これに加えて川の水が日中は熱を吸収して気温を多少は低く保ち、冷え込む夜になると今度は日中に吸収していた熱がゆっくりと放出され続けるため昼と夜との気温差が大きくならずに済む役割を果たしています。
またここに水面による光の反射による光線エネルギーの有効利用や、斜面の効果と合わさって影を作らずに太陽が出ている時間いっぱいに畑もしくはブドウの樹単位で見た日照時間を確保することを可能としている、という点も加わります。
このように山や川が機能することで地理的には年間平均気温が低くブドウの生育には向かない地域であるにも関わらず、実際にはブドウの生育が可能となるだけの積算気温と積算日照時間が確保できる歴史的な銘醸地となっているのです。
つまりRheingauにおいては、最近の気候変動に伴う温暖化の影響を除いてですが、山と川があった結果としてこの地域がブドウ栽培の可能な地域となっただけであり、仮にタウヌスもライン川もなければおそらくこの地域で昔からブドウを栽培することは不可能だったはずです。
ここにおいて山や川はブドウ栽培のためのメリットではなく、なければそもそもブドウの栽培自体が成り立たない前提条件となっているのです。
逆に年間平均気温がもっと高い国でブドウを栽培するためには山のうえの標高の高い、気温の低い地域でなければブドウ栽培のための条件を満たすことが出来ないケースも出てきます。
日本などでPinot Noirなど比較的冷涼な気温を好む品種を栽培しようとする場合などがこのケースに当たります。
このようなケースにおいては山や川、もしくはその両者はブドウ栽培のための必要条件ですが、一方でニュージーランドなど南極からの冷たい風が入ってくる一方で、極端に寒くなることがなく結果として年間の平均気温が半ばから低めにかけて抑えられる地域では山も川も絶対的な必要条件とはなりえません (そもそも海が川と同じような気温の緩衝役を果たしている部分はあります)。
気温の調整弁として位置づけで山や川がブドウ栽培においてメリットとして機能するのは、
まずその地域が山も川もなくてもブドウが栽培出来る条件を満たしている前提で、
より幅広いブドウ品種を選択することが可能になる
という点においてです。
川霧が生む貴腐ブドウ
次に山や川が果たす副次的な要因についてです。
この点についてもRheingauの状況を例に見てみます。
Rheigauでは夜間の気温が下がり始める9月半ばくらいから朝晩にとても深い川霧が発生します。これは日中はまだまだ暑く、熱をもったライン川の水温と夜間に冷え込む気温との温度差によって発生するものですが、この川霧が空気中の湿度を高め、収穫されていないブドウの表面にボトリティス (灰カビ、貴腐菌) を発生させる原因となります。
この時期、日中の気温はまだまだ高いためボトリティスがついたブドウは乾燥を続け、非常に品質の高いトロッケンベーレンアウスレーゼ (TBA、貴腐ワイン) の生産を可能とするのです。
この点においてライン川の存在は明確なメリットです。
一部のワイナリーではボトリティスを付けるためにわざわざ散水しているケースもあることを知っていただければこの優位性はお分かりいただけるかと思います。
また、タウヌスの斜面に作られた畑ではブドウの樹は常に水分ストレスを受けます。
水分ストレスをうけるブドウの樹はより多くの水分を確保するために根を深くに伸ばしていきます。この結果、地表近くに根を生やす雑草の類との競合の割合が低下する他、雨の少ない年でも安定した品質のブドウを収穫できるようになります。
相対的に少ない水分供給を背景に、果実の凝縮度が上がるケースもありえます。こういったことも山があることのメリットと言えなくはありません。
一方で、ボトリティスを発生させる川の役割も根を深く伸ばさせる山の役割も代替手段がないのかというとそんなことはありません。
ボトリティスのケースではそれこそ散水する手もありますし、根については植栽密度を上げたり頻繁に地表近くの根を切る作業を行うことなどでも実現が可能です。そもそもどんな斜面であっても雨の多い年には水分ストレスは生じないので短期的にはメリットとならないという見方もあります。
また2018年のドイツのようにあまりにも乾燥しすぎた年には斜面の畑では水分ストレスが大きくなりすぎてかえってデメリットとなりますし、2017年のように雨が多い年にはただでさえ湿度が高いのに川霧が出ることでさらに湿度が上がりブドウが腐ってしまう原因になる場合もあります。
山も川も一面ではメリットをもたらしますが、別の面ではより大きなデメリットをももたらし得るままならない存在なのです。
販路としての河川
現代のように物流が発達した状況であっても川は輸送路として非常に大きな意味を持っています。
現在でさえそうなのですから、もっと以前であればその意味は遥かに大きかったことは想像に難くありません。実際に歴史を見てもボルドーなどは海路を押さえていたがために大きな成功を収めてきていますし、ドイツでもライン川を使った通商は中世のワイン流通において極めて大きな意味を持っていました。
ワインに限らず産業の発展には流通路の確保およびその整備が絶対に必要です。
地産地消では規模的な拡大は出来ませんし、規模の拡大がなければ産業としての発展も頭打ちになってしまいます。この意味で、物流のための通商路としての役割を果たせる河川を近くに持っていることは非常に重要でした。
しかし現在は陸上交通網も整備され、ブドウ畑におけるこの用途としての河川の価値はほぼなくなっているとも言えます。
今回のまとめ | ブドウ畑に山や川は必要か
まだブドウ畑がそれほど作られておらず、今から畑を作っていこうという時代であればいざしらず、すでに主要な土地には畑が拓かれ、面々とその畑を受け継いできている現代においては山や川はすでにそこにあるもの、もしくは無いものであり、仮に新しく欲しくなっても持ってくることが出来ない存在である以上、そのメリット・デメリットについて論議することにはほとんど意味はありません。
ただ結果論として、そこに山や川がある結果、良くも悪くも何らかの作用を受けているということを認識する以上のことは出来ないのです。
一方で、その土地や畑を特徴付ける1つの要素としてその存在は意味を持ち続けていますし、歴史的な背景においてその地域、その土地にブドウ畑が拓かれるようになった最大の理由であったりもします。
山や川の存在はすでにそこにある畑でのブドウ栽培に対してなにかしら目新しいものを提供するものではありませんが、その畑の由緒を語る上で必要となるものである可能性があるわけです。
ソムリエ試験などではただ単に目の前にあるワインの味を云々するだけではなく、それぞれの産地や畑の歴史的な背景を知ることを大事にしているように思えます。
ワインを造ることは畑の歴史を知らなくても出来ることですが、そこで造られたワインに厚みをもたせ、そのワインを物語るためには歴史や背景を知ることが大事になります。ソムリエの試験において各地の山や川の名前を覚えさせることには、このような意味がおそらくはあるのでしょう。