ワインの勉強をしているとほぼ確実に耳にするであろう、”ワイン用ブドウ栽培の北限”と呼ばれる地域が最近、従来北限と言われていた国よりもさらに北にシフトしつつあることを以前の記事で書きました。これは主に世界中に影響を及ぼしている気候変動に伴う温暖化が原因となっており、最近における新たな北限はイギリスであったりスウェーデンであったりしています。
一方でこれら、新たなワイン用ブドウ栽培における北限の国々におけるブドウの栽培は楽なものではありません。ブドウを栽培できることと、ワインとして満足できる品質を確保できることとは全く別のことだからです。そんな中で、非常に上手な戦略をもって市場におけるポジションを早々に固めつつある地域があります。それが、イギリスです。
今回はイギリスの戦略を参考に、これら北限とも呼ばれる、ブドウの栽培が難しい地域におけるワイン造りの方向性を見ていきたいと思います。
イギリスにおけるブドウ栽培
イギリスにおけるワイン用ブドウの栽培は実は最近始まったわけではなく、まだまだドイツがワイン用ブドウ栽培の北限の地だといわれていた時代である1970年代にも細々とではあってもブドウの栽培は行われていました。それが活発化し始めたのが、1990年代に入ってからのことです。
もともとはイギリスでもドイツと同様に甘口スタイルの白ワインがメインで造られていたそうですが、気候変動とその結果の温暖化の影響を受け、徐々に国際品種の栽培が増えていったという背景があります。
イギリスのブドウ産地
イギリス国内でワイン用ブドウの優良な産地として挙げられる地域は、サセックス (Sussex)、ケント (Kent)、サリー (Surrey)など南部に集中しています。
いくら温暖化の影響でブドウが栽培できるようになったとはいえ、やはりまだまだ果実が熟しにくい地域のことです。少しでも気温が高く、日照時間の長い南部の方がブドウ栽培に適しているというのは無理からぬことでしょう。
注目されるブリティッシュ・スパークリング
そんなイギリスで造られるワインの中でも、特に注目されているのがスパークリングワインです。
イギリスでももちろんスティルワインが造られているにもかかわらず、スパークリングワインにばかり注目が集まるのはなぜなのでしょうか。
実はそこに、北限の国がとるべき戦略があるのです。
二次発酵という裏技が北限を助ける
当たり前と聞こえるかもしれませんが、スパークリングワインの醸造工程において二次発酵という工程は絶対に欠かすことが出来ません。
この”二次発酵”という工程こそ、ブドウの栽培が難しい北限に位置する国々におけるワイン造りで決定的な意味を持つ工程になり得るのです。ちなみにこの二次発酵がシャンパーニュと同様に瓶内で行われていようと、タンク内で行われていようとそこはこの際関係はありません。単純に、二次発酵を行っている、ということこそが重要なポイントなります。
なぜ二次発酵が北限の国にとって重要な意味を持つ工程となり得るのでしょうか?
その答えは、二次発酵中に生じるアルコールの量にあります。一般的にスパークリングワインを造るために二次発酵を行うと、度数にして2~3%程度、アルコール量がベースにしたスティルワインから増加します。このため、どこの地域でスパークリングワインを造る場合であってもベースにするワインのアルコール量はある程度低めに抑えます。そうしないと、出来上がったスパークリングワインのアルコール度数が高くなりすぎ、飲みにくくなってしまったり、全体の味の調整がしにくくなってしまうからです。
必要とされない熟度
このベースのワインのアルコール量を抑える、ということは、逆に言えばもとのワインのアルコール度数が高い必要はない、ということです。
発酵の過程において生成されるアルコールの量は果汁糖度に依存します。果汁糖度が高くなれば生成可能なアルコールの量は多くなりますし、果汁糖度が低ければアルコールの量が低くなってしまうので、造ろうとするワインのスタイルによっては発酵前に補糖することで果汁糖度を補います。
しかしもともとアルコール量を上げなくていいのであれば、熟度が低く、果汁糖度が低いブドウであっても補糖する必要さえありません。そのまま発酵させ、上げられるところまでアルコール度数を上げておけばそれで充分なのです。もちろん最低限度のアルコール度数を満たせる程度の果汁糖度は必要ですが、そうであったとしてもブドウの果実が完熟しなければならない、なんてことになることはなく、熟度として考えればそれほど高い必要はないのです。
この、熟度がそれほどまでには必要とされないという事実こそがブドウを熟成させることの難しい北限の国ではとても重要な意味を持ちます。
味はドザージュで整える
スパークリングワインを造る過程における、ある意味で特殊な工程のもう一つが、ドザージュです。
ドザージュとは二次発酵をした際に生じる澱を引いた後に全体の味を調えるために行う、糖分添加のことです。基本的にはほぼすべてのスパークリングワインの製造過程で行われており、スパークリングワインの製造においては極めて一般的な工程です。
というのも、スパークリングワイン用のベースワインでは元のアルコール度数が高くなってしまっては困りますし、かといって残糖を残してアルコール度数を低く抑えるという手法は基本的に使えません。このためスパークリングワインに使用するベースワインでは必然的にブドウの熟度が低くなり、それに伴って酸量が多くなります。
参考
そうして高い酸量を保ったまま二次発酵を終えたスパークリングワインはどうしても味が酸の側に偏ってしまう傾向が強くなります。このためドザージュすることで高い酸とのバランスをとり、全体の味を調える必要が生じるのです。
この状況は、ブドウを”わざと”熟させなかった場合でも、熟すことが”出来なかった”場合でも変わりません。つまり、完熟するポテンシャルを持ったフランスのブドウでも、完熟させることのできないイギリスのブドウでも、すべて同じなのです。むしろ完熟できるところをわざと早く摘むことで熟度を抑えている場合よりも、完熟できないことを逆手に取って、ゆっくりと酸の熟成を待てる地域のブドウのほうがスパークリングワイン用のブドウとしては条件がいいとさえ言えます。
よりテクニックがものをいうスパークリングワイン
もちろん、スパークリングワインを造ることが簡単だ、などという気はまったくありませんし、実際にはベースワインやそのためのブドウに求められる条件はそう単純なものでもありません。しかし、それでもスパークリングワインというワインの醸造に関してはよりテクニック的な面で手を加えていけるだけの余裕があることは間違いありません。
そして、その余裕にこそ、新規参入者であり挑戦者である北限の国が挑戦して従来の伝統的な生産国に勝てるだけのポテンシャルを見出すことが出来るだけの余地があるのです。このような状況はブドウの熟度が比較的低いところに落ち着いている日本のワイン造りにおいても見るべき意味のある部分だと筆者は考えています。
今回のまとめ
イギリスが現在、スパークリングワインの新規生産国として市場におけるポジションを固めつつあることには確たる理由があります。気象条件といった人の手ではどうすることもできない自然を直接相手にするのではなく、テクニカルな意味で人が手を入れることのできる余地を最大限に利用し、自分たちが置かれた状況をより良い方向に活かした結果なのです。
今は自由度が増しているワインの世界とはいえ、実態はまだまだ旧態依然としたものや伝統的なイメージが支配的であることも事実です。そんな中において、以前からあるルールを味方につけて強かに勝ち抜いていこうとする姿勢は見事です。これから市場に参入していこうとするプレイヤーたちは多かれ少なかれ、学び、見習う必要があるのではないでしょうか?