ワイン

テイスティングのキーポイント?ティピシテを考えてみる

10/20/2019

ソムリエ試験をはじめ、ワイン関連資格を取る際にほぼ欠かすことが出来ないのがテイスティングではないでしょうか?

特にそのワインに関わる情報を開示されないまま目の前のグラスを利いてブドウの品種や産地、年代をはじめ味や香りに言及するブラインドテイスティングなどはその典型です。

ブラインドテイスティングを行う場合、みなさんはどうやってそのワインの品種や産地を特定していっているでしょうか?

過去に飲んだことがあり、記憶に鮮明に残っているワインがドンピシャで出題されればその経験に則って回答することもできるかもしれません。しかし、多くの場合はグラスから拾える様々な情報を知識として学んで記憶している内容に照らし合わせることで選択肢の幅を狭めていき、最終的に最も近しい可能性を選び取っているのではないかと思います。

この選考過程の中で比較検討されるマスターともいうべき知識を、typicité (ティピシテ) と言います。

今回はこのtypicitéというものを見ていきたいと思います。

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ワインの品質を決定づけるのはtypicitéか

ジェイミー・グッド著の「ワインの味の科学 (原題『I Taste Red』、伊藤伸子訳)」という本の中の「風味と知覚の個人差」という章内に「超有名な批評家たちの論争」というくだりがあるのですが、ここの欄外のトピックスに面白い記述がありました。

ジャンシス・ロビンソンが考える、ワインの品質の重要な要素はティピシテ(その土地、その品種らしさ)のようだ。そのため魅力的な味のワインでも、サン=テミリオン産のワインの味はこうあるべきという通念に沿った味でなければ、点数を低くつけることがある。(後略)

ジェイミー・グッド著「ワインの味の科学」108頁

「点数を低くつける“こと”がある」という記述があることから、ジャンシス・ロビンソンが何もワインの品質のすべてを「らしさ」だけで決めているわけではないでしょうが、ある意味で一つの足切りラインのようになっている可能性の高さが伺える文章ではあります。

typicitéとして認識される要件はそのワインが個別に持つ魅力を上回る重要性がある、というのですから、その持つ意味は非常に重いです。

最近ではロバート・パーカーしかり、ジャンシス・ロビンソンしかりで、彼ら彼女らのような高名な批評家やワインジャーナリストがつけた点数の高さがそのワインの品質の高さのようにとられることも多くあります。このため彼ら、彼女らの評価の圏外に置かれてしまうことでワインの品質もまた圏外にあると思われてしまいかねません。

Typicitéとはなんなのか

Typicité (ティピシテ)はフランス語の単語ですが、ドイツ語ではTypizität、英語ではtypicality / typicityといいます。

ワイン業界に限って解釈すれば上記の引用文の通り「その土地らしさ、その品種らしさ」という意味になるでしょうが、平たく言えば「典型的であること」、さらに言えば「らしさ」です。

ブドウ品種としての典型的特徴、産地としての典型的特徴、生産年としての典型的特徴。こういったものをまとめてTypicitéと呼びます。

個人の味覚や嗅覚といった感覚に依存しない、より情報としての中立性の高いマスターとなるべきこれらの知識は、実際にワインを飲んで学ぶというよりもまずは主に本や講義といった座学を通して学ばれるものでもあります。

Typicitéは欠かすべからざる共通概念か

このTypicitéという概念ですが、いわゆる「ワインの勉強」の根幹を成しているものの一つであるため極めて広い範囲に意識的にしろ無意識的にしろ浸透しているように感じます。

多くの方が、例えば「冷涼なドイツのワインは酸が立っている。このワインは酸が立っていてミネラル感が強い。おそらくドイツの白ワインだ」というようなある特定の特徴とそこから導き出される知識とを紐付けてワインを推測したことがあるのではないでしょうか。

またはこの逆で、ドイツの白ワインを注いだグラスを渡されて、口にする前から酸味のあるフレッシュな味を想像したことなどはないでしょうか。

実際、ブラインドテイスティングではこのような思考過程を経ないことには話が始まりません。

グラスに注がれたワインから受け取るあらゆる知覚情報を知識に照らし合わせ、その内容にもっとも近い選択肢を選び出していく作業なしにそのワインの品種や産地、年代を推測し、かつ正確なコメントをすることは不可能です。

この点から見れば、Typicitéとしての知識とワインの持つ性質が一致していることは非常に重要です。欠かせない、といっても過言ではありません。

こう考えればtypicitéというものがワインの個別の魅力よりも重要性をもって受け止められるのも理解できなくもありません。

なおもともとTypicitéとして確立されている知識そのものが共通カテゴリーの中に存在する多数の個体、この場合は多くのワインから得られる共通点として見いだされているものなので、これらの知識とワインの性質が大枠において一致することはある意味で当然のことでもあります。

期待値としてのTypicité

ブラインドテイスティングのようなワインの批評の場において以外でもTypicitéの存在感は大きいと言えます。

例えば仕事のあとになにか赤ワインを飲みたい、と思うこともあると思います。この時に色が赤いワインであれば何でもいい、と考えるよりもナパのしっかりした赤が飲みたい、ブルゴーニュの繊細なものが飲みたい、ドイツの軽い赤が飲みたい、と思うことが多いのではないでしょうか。

ここに働いているのは期待値としてのTypicitéです。

極めて具体的にどの生産者の何年のこのワイン、と指定をしない限り、一般的にはTypicitéとしてある程度味の特徴が約束されたワインを大括りで指定することになります。

例えば良質なPinot Noirに代表されるような繊細な赤ワインを飲みたいと思い、ブルゴーニュの赤を注文したとしましょう。

この時にやたらと抽出の強い、重たい自己主張の塊のようなワインが出てきたらどう思うでしょうか?

人によっては面白く貴重な体験だと喜べるかもしれませんが、毎度毎度そのようなワインが出てくるようになったらおそらく喜んでばかりもいられなくなるのではないでしょうか。貴重で面白い経験だが、今自分が飲みたいワインはこれではないんだ、となる可能性は高いと思います。

羅針盤としてのTypicité

Typicitéは広大なワインの海を渡って自身の求める味にたどり着くための重要な羅針盤です。この羅針盤が狂ってしまえば数多の味が存在するワインの中から自分の好みやその瞬間に飲みたい味に近い1本を探し出すのは完全に運任せになります。

この点からもTypicitéとして認識される知識とワインの個性のある程度の一致は重要だと言えますし、ジャンシス・ロビンソンほどの批評家が重要な判断材料の一つとして考えていることにも納得できます。

一方でこのTypicitéというものはいつまでTypicitéで在れるのでしょうか

ワインの味は変わってきている

ワインはある程度の期間寝かせてから飲まれることの多い飲料であるため、熟成過程の違いからボトル間の個体差が生じやすいものです。このため認識されにくい部分もあると思いますが、ここ数年でワインの味は変わってきているはずです。

「はず」としたのはこの比較を正確に行うことが非常に難しいためです。

そもそも年が違えば様々な要因によってブドウの状態が大きく異なるため、味が違うのは当然と受け取られてしまいます。また人間の記憶は嘘を吐きますので、数年前に飲んだ新酒の状態のワインの特徴と今年飲んだ新酒の特徴を細かい点まで正確に比較することはほぼ不可能です。

このため見逃されている部分が大きいだろうと考えられますが、味や香り、より具体的にはそれこそTypicitéと称される根本的にそこにあるはずの本質的な特徴の変化は小さいものであったとしても確実に生じていると筆者は考えています。こうした小さな変化を積み重ねて、近い将来には今現在のTypicitéとして認識されている特徴から逸脱する程度に達してもおかしくはないほどのものです。

この変化は「優良畑はいつまで優良か | ブドウ畑の立地」や「ワインが造れなくなる日」といった記事で書いてきたような気象条件の変化に根ざす部分もあれば、造り手の意識の変化や栽培、醸造技術の発展によるものでもあります。

様々な変化がかつては「らしさ」として確立されていたTypicitéという知識を過去のものとしようとしているのです。


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Typicitéは時代の流れについていけているのか

「らしさ」というものは長い時間の中で確立されてきたものです。

そうした「らしさ」が存在する中で、その特徴にそぐわないものは「例外」として扱われます。一方でその「例外」としての存在が増えていき、従来の「本来」と入れ替われるほどの存在感を持ったとき、「らしさ」という言葉の中に含まれる要素が見直され、新しい「らしさ」としての認識が確立されます。

様々な変化が重なり、小さな例外の存在を積み重ねている現在はまさにこの過渡期にあります。

こうした流れの中で、今のワイン業界で言うところのTypicitéはどうでしょうか。

現代の仕事の多くで10年前の常識や知識がすでに使えなくなってきている中で、ワインはもう何年と変わることなく言われ続けているTypicitéという尺度をいつまで使い続けられるのでしょうか。

多くの人はワインの中に品種や産地の特徴というTypicitéを見出そうとしますが、そこに見えるものの変化をどこまで受け入れられるのでしょうか。

そして生産者の語るTypicitéとそれを飲む側のTypicitéはいつまで一致していられるのでしょうか。

今回のまとめ | ワインも個を語る時代になってきている

気候が変わり、技術が変わり、意識が変わるなか、星の数ほど存在するワインを「らしさ」という従来のままの尺度を用いてカテゴリー化する一方で、そのカテゴリーに要求される典型的な特徴を含有していることを要求することは難しくなってきています。

もちろん「らしさ」にこだわった造り手は多く存在しますし、その「らしさ」を守るために彼らは非常な努力をしています。それでもヒトの手ではどうにもならない、どうしようもない要因による変化が迫られていることも事実です。

「らしさ」を持ったワインがいいワイン、という考え方は残念ながら現実的に不可能になりつつある、とさえ言えるほどです。

「らしさ」、つまりTypicitéの概念に基づかない評価とは個体それぞれに対する独立した評価にほかなりません。土地も品種も関係なく、その個体が持つ特徴を見ることになります。

従来は考えられなかったようなワインに出会ったとしても、それはそうしたものとして受け入れる、ということでもあります。

このような変化が望ましいものであるのかどうかの判断は個人に任されるものです。

Typicitéという、ある意味で造り手にとっても飲み手にとっても重要な足場やガイドラインとなっていた概念の喪失、もしくは変化は今後どのような影響を造り手や飲み手に及ぼしていくのでしょうか。

すべての人にとってより自由になった、という考え方もあるとは思います。

一方で際限ない自由は野放図につながり、正確な評価を歪めることにもつながりかねません。

個別の魅力を無視してTypicitéだけにこだわることが是とは言えませんが、最低限度の枠組みさえもなくしてしまうことは最終的には際立った個を逆に埋没させてしまうことにならないでしょうか。

個を語ろうとして個を語れない、などということにならないことを祈ってやみません。

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  • この記事を書いた人

Nagi

ドイツでブドウ栽培学と醸造学の学位を取得。本業はドイツ国内のワイナリーに所属する栽培家&醸造家(エノログ)。 フリーランスとしても活動中

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