ブドウ畑における収穫量を決める重要なポイントは選定である、とよくいわれます。確かに剪定は重要です。ブドウの果実は枝になります。しかも1本の枝につく実の数は大体、決まっています。つまり、枝の数が予めわかっていれば、1本の樹から収穫できるブドウの量はおおよそ決まります。その年に1本の樹から何本の枝を伸ばすのかを決めるのが剪定という作業ですので、剪定がその年の収穫量の大枠を決める、というお話には納得です。
一方で、いくら剪定を通してその年の収穫量の大枠を決めていたとしても、そのまま素直に予定通りにさせない存在がいます。花です。
ブドウの枝1本につく房の数がおおよそ決まっているということは、枝1本に咲く花の数も決まっている、ということです。数の決まっている枝で数の決まった花が咲き、そこに房ができて実が収穫できる。とても論理的です。しかしこれは理想論。ことはそれほど単純に進みません。花がきちんと咲いてくれなければ、そこにブドウの房がつくことはありません。そうなると剪定時に見込んだ収穫量は大風呂敷の中の夢物語になってしまいます。そういう意味ではブドウの開花が順調に進むことは剪定よりも重要といえるかもしれません。
今回はブドウの花とその開花、そしてそこにある栽培上の意味を見ていきます。
花びらを持たない風媒花
ブドウの花は花序 (Infloreszenz) と呼ばれる形状をしています。花序とは花の配列のこと、といわれますが、簡単にいってしまえばアジサイのように複数の花がまとまって咲いている、その花の集団のことです。ブドウでは花柄とか花梗と呼ばれる茎を主軸にしてこの周りにいくつもの小さな花がつきます。ちなみにこの花梗、醸造関連用語としてよく聞く、除梗で取り除かれるまさにその梗のことです。
ブドウの花の1番の特徴は、花びらがないことです。1本の雌しべを中心に5本の雄しべが周りを囲っています。これらはキャップのようなもので覆われていて、このキャップが外れた状態を開花と呼んでいます。
植物のなかには昆虫に花粉を運んでもらうことで受粉する、虫媒花と呼ばれる種類のものもあります。ブドウはこうした他者の助けを借りることなく受粉することができます。いわゆる自家受粉と呼ばれる方法ですが、実際には風によって花粉を媒介していることから風媒花と呼ばれています。ちなみに風媒花には花粉症の原因となっている植物も多く存在しています。
ワイン用ブドウ品種の場合、ほとんどの品種で花序は1枝に3~4ほど形成されます。伸びている枝から伸びる、副梢と呼ばれる枝にも花序はできるため場合によってはもっと多くの花がつくようにも思えるかもしれませんが、実際にはそれほど多いわけではありません。このため1本のブドウの樹から収穫できる房の最大量は、大まかには「枝の本数 x 4房」ということになります。
開花の時期と収穫の時期
最近は天候が以前とは変わってきているためブドウの生育にも変化が見られはじめていますが、基本的にはブドウという植物はとても規則正しい生長をしていきます。春先に誘引された枝から芽吹くとその7~9週間後には開花が始まります。そして花が満開になると、そこからおよそ100日後には収穫が始まります。ワイン用ブドウの栽培家にとって、 ブドウの開花を目にすることはその年の収穫が3か月後には始まる、という合図でもあるのです。
ブドウの樹全体の姿でいえば、枝に13枚ほどの葉がつく頃には花序の大きさが最終的な房の大きさの半分ほどになり、その後、葉の枚数が15枚ほどになると開花が始まります。良好な天候に恵まれた年ではブドウの開花期間はおよそ1週間程度ですが、天候が不良な年には数週間も続く場合もあります。
ブドウの萌芽や開花の開始日は毎年記録が取られていますが、そうした統計的な処理では開花率がおよそ25%になると開花が始まったとされ、50%で満開、80%で開花期が終了したとみなされます。それらの記録に基づくと1970年以降、ドイツにおける平均的なブドウの開花時期は年々早まってきているとされています。しかし実際には天候に大きく左右されており、Rieslingの観測史上最も早い開花は2007年の5月23日、逆に最も遅い開花は1984年の7月6日とされています。
ドイツ、ガイゼンハイム大学で定点観測されているRieslingでは1991年から2020年までの30年平均における開花の開始日は6月9日ですので、早い場合には2週間程度、遅い場合には1ヶ月近くも平均からずれる可能性があることになります。なおガイゼンハイム大学の記録によると1981年から2010年までの30年平均における開花開始日は6月14日でしたので、この10年間で30年平均における開花日が5日も早まっていることがわかります。
収穫への影響
ブドウの栽培では花序が形成されたからといって必ずしもすべての花が開くとは限りません。また花が開いたからといって必ずしもそこにブドウの実がなるとも限りません。さらには無事に花が開き、結実したからといってそれで収穫が約束されるとも限りません。ブドウが開花する時期は、栽培者にとってとても気を使う期間となります。
低温が招く開花不良
ブドウが萌芽してから花が咲くまでの期間における気温の低下はその年の収穫にとても大きなマイナスの影響を及ぼします。そもそも花が咲かなくなってしまうのです。
日中の気温が15度を下回り、夜間の気温が10度以下の日が続くとブドウの開花が阻害されることがわかっています。こうした環境下では枝の生長も悪くなり、ブドウの樹全体で生長不良が起こります。特に気温が低いだけではなく加えて湿度が高く風の強い状況がもっとも条件が悪く、花ぶるいと呼ばれる結実不良が拡大します。
気温が下がることがネガティブな影響を与えるように、ブドウの花が開くには暖かく乾燥した環境がもっともよいとされています。こうした環境ではキャップがきれいに落ちやすく、さらには花粉が受粉しやすい条件が整うため、開花率だけではなく、その後の結実率も高くなります。
開花期に気温が下がるだけではなく、春先から開花時期まで通して気温の低い日が続くような年では状況はもっと深刻になります。花序についている複数の花が咲き、結実することでブドウは房は出来上がります。つまり収穫にとっては花序があることがなによりも重要な前提となるのですが、この花序、春先の一定期間に低い気温が続いてしまうと花序にならずに蔓になってしまう特徴をもっています。より厳密にいうと、これは花序の特性というよりもブドウの樹の生理反応の一環です。
ブドウの枝をよく観察してみると、枝の下の方、幹に近い部分には花序がありますが、そこから枝の先端に視点を動かしていくと花序があった場所に蔓が出るようになっていることに気づきます。実は花序と蔓は生育期間中に細胞が分化する時期の条件に合わせてどちらになるのかが決まるのです。細胞の分化が始まる時期に気温が低かったり日照が不足した日が続くとその細胞は花序ではなく蔓として分化が促される可能性が高くなります。
蔓への分化が促されてしまうとその枝には花序がなくなります。花序がなければ花がつくこともなく、そこから結実することもなくなります。結果として収穫に対して開花不良以上に深刻な影響が出ることになります。
結実条件と花ぶるい
花ぶるい、という言葉を聞いたことがあるでしょうか。花ぶるいとは花が咲いたにもかかわらずそこに実ができない、結実しない状態のことをいいます。結実不良と呼ばれるものです。
ブドウの結実不良は複数の原因で起こり得ます。花序や花の生育異常、水分や栄養分の不足や過剰な供給、病気への罹患や物理的なダメージ、日照や気温といった外部環境条件の不一致、そしてエネルギーの不足などです。こうした結実のための条件はブドウの花が咲くための開花条件とも多くの部分で重なっています。つまり、開花に適した条件が整う場合には自然とその後の結実条件も整う場合が多く、逆に開花条件が悪い年には結実条件も悪くなり、その結果として結実不良を生じる可能性が高くなる、ということです。
なお結実に対しても影響が大きいのが温度です。結実に最も適した温度帯は20~25度とされており、25~30度が上限といわれています。10度以下、もしくは35度以上では結実のための生理作用が阻害されると報告されています。近年ではブドウの開花時期に気温が高くなる傾向が見られてきており、開花完了時期前後に1日の最高気温が30度を上回ることも増えてきています。今後こうした傾向が進めばブドウの結実不良が増えていく可能性が高くなり得ます。
病気への対応
ブドウが開花する時期はべと病やうどんこ病、Botrytisといった各種カビ系の病気にかかるリスクが跳ね上がる時期でもあります。この時期、ブドウは花を咲かすだけではなく枝も急激に伸ばしていきます。ブドウの樹全体で細胞の分裂と拡張が非常に活発になる時期なのです。こうした時期に形成される新しい組織はまだ柔らかく、病気への耐性がありません。このためどうしても病気の原因菌に対して敏感になります。
栽培面で言えば特に重要になるのが開花が完了したとみなされる開花率80%程度の時期です。この時期が開花後最初の防除の時期となります。一部で結実が始まっている花序を含めた枝全体に適切に防除することで枝および房の病気への罹患リスクを引き下げ、予定されている収穫量を守ることにつなげることができるのです。
なお開花に関連して注意が必要なのが、キャップの不十分な落下です。
ブドウの花は雌しべと雄しべがキャップに覆われており、このキャップが飛ぶことで開花します。一方でこの時、キャップが中途半端に残ってしまっていると、それがBotrytis、灰色かび病への感染原因となります。特にキャップが落ちきっていない状態で湿度が高くなると病気への罹患率が跳ね上がることは広く知られています。一部の国や地域のワイナリーが開花時期にブロワーを使ってキャップを飛ばす作業を行うのはこの病気に感染するリスクを引き下げるためです。なおブドウの開花終了時期に強い風が吹いたり強い雨が降ったりすることは未脱落のキャップを落とす効果があるためBotrytisへの対策としては有利に働きますが、別のカビ系の病気への罹患リスクを高める可能性があることには注意が必要です。
Botrytisは貴腐菌とも呼ばれ、極甘口の貴腐ワインを造る上で欠かせない存在です。このためこの菌への感染は一概に悪いことではないように思われるかもしれません。しかし開花から結実時期における感染は腐敗の原因となるだけで貴腐ブドウとなることはありませんので、収穫量を守るためにも徹底的な対策を欠かすことはできません。
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今回のまとめ|気候変動と開花時期の気温
昨今の世界的な気候変動を受け、冬から春先の気温が以前よりも高くなる傾向が続いています。こうした傾向はブドウの萌芽時期を早めるだけではなく、ブドウの開花時期も早める影響を持っています。一方で開花の時期が早まったといってもそれによる気温の低下の影響はなく、むしろブドウの開花時期は今までもよりも暖かく乾燥した好条件に恵まれるようになってきました。これは花序の形成、開花率の向上、そして結実率の向上へと繋がり、必然的に秋の収穫量が引き上げられると期待されます。
そうした好影響の裏側にあるのが、高くなりすぎる気温による悪影響です。
外気温が高くなる時期が早まるペースはブドウの生育の早期化のペースを上回っています。現時点で既に1日の最高気温がブドウの結実不良を招きかねない温度を超えるケースは出てきています。今後、さらに温暖化が進んでいけばそうした日の日数が増え、結実不良への影響が目に見える形で出てくるようになる可能性は決して低くはありません。しかも度を超えた気温の上昇はブドウの生理作用全体に影響し、結実不良と重なってさらに収穫量を減らしていくことに繋がりかねません。
また開花時期における温度が高くなる一方で、ドイツなどでは同じ期間中に湿度も高くなる傾向が見られはじめています。この時期の湿度上昇は病気への罹患リスクを高くします。そうなると気温の上昇で期待される量以上に収穫量に対してネガティブな要因となる可能性も高くなってきます。
開花時期の早期化は必然的に収穫時期の早期化につながります。収穫時期が早くなるということは品種によってはより高い熟度になるまで収穫を待てるようになるということでもありますが、品種によっては適切な収穫のタイミングがシビアになるということでもあります。ここに病気への罹患率上昇が加われば、収量を守るためにはさらに厳しい判断を迫られるようになりかねません。
今までは花ぶるいなどに悩まされていた国や地域ではそうした心配が軽くなる可能性が高くなる一方で、この先数年、数十年を見れば世界は等しく高温による結実不良の心配をしなければならなくなるかもしれません。
現時点においてはブドウの栽培技術面からは開花の進捗やそこからの結実率の良し悪しを人為的にコントロールすることはできず、順調な進捗を願って運を天に任せるしかありません。今現在ではこの賭けは比較的良い結果につながっています。しかしこの先もそうなるとは限りません。開花時期時にブドウがうける温度変化をある程度の範囲におさめるような技術の開発が今後、求められるようになるかもしれません。
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