フランスのシャンパーニュ、ドイツのゼクト、スペインのカヴァ。世の中にはたくさんの美味しいスパークリングワインがあります。華やかな印象があり気分を盛り上げてくれるスパークリングワインはお祝いやパーティーには欠かせない存在です。
スパークリングワインの一番の特徴はなんといってもその泡。フルートグラスのなかで立ち昇る泡は見た目にも美しいものですが、口に含んだ時の爽快感もスパークリングワインの醍醐味です。
ところでこの泡、抜けてしまった後でもそのスパークリングワインを変わらず、もしくはむしろ美味しく感じたことはないでしょうか?
スパークリングワインといえば泡ですから、その泡がなくなってしまった後では気の抜けたコーラのようにあまり美味しく感じられないようなイメージを持っている方も少なくないと思います。ところが抜栓して数日経った、炭酸ガスが完全に抜けてしまったスパークリングワインを飲んでも意外に美味しく感じることが多くあります。炭酸の抜けたコーラはあまり美味しくないのにスパークリングワインは変わらず美味しいのはなぜなのでしょうか。
今回のこの疑問に科学的な側面から迫ります。
酸味を持つ泡
泡は酸の味がする、と聞いたら驚くでしょうか。それとも炭酸水などを通してそのようなイメージをすでに持っていて納得できるでしょうか。もしかしたら炭酸の字には酸が入っているのだから酸の味がするのは当然だ、と仰る方もいらっしゃるかもしれません。
炭酸は酸の味、つまり酸っぱい味として認識されます。
ヒトはモノの味を舌の表面にある味蕾と呼ばれる器官を通して感じています。味蕾では甘味、酸味、塩味、苦味、旨味の5つの基本味と呼ばれるものがいくつかの異なる受容体を通して感知されています。炭酸はこのうち、酸味に対応した受容体を通して感知されます。
炭酸がもともと酸味を持っているために酸味を感じる受容体で感知されているのか、酸味を感じる受容体で感知されるから酸味があるように感じるのかは分かりません。世間的には気体状の炭酸ガスは無味無臭で、その炭酸ガスが水に溶け込んだ炭酸水も無味無臭であるとよく言われています。しかし実は炭酸水が本当に無味無臭なのかどうかは正確にはわかっていないのです。
いずれにしても結果的に炭酸は酸味を持っているように我々には感じられるのです。
泡を苦いと感じるなぜ
ビールなどでは泡が苦く感じられる場合があります。これは泡の表面にホップ由来の苦み成分が凝集するためです。泡自体の味は酸味なのですが、その表面に苦味をもった成分が付着しているために泡自体を苦く感じることがあるのです。
また場合によっては炭酸水を苦いと感じる人もいます。炭酸は味蕾中の苦みを受容する細胞には反応しないことがすでに実証されていますので、泡が苦くないことは現時点においては確かです。なのになぜ苦く感じることがあるのでしょうか。
ここには2つの理由が考えられています。1つは神経の混同による勘違い。そしてもう1つがダンピング効果と呼ばれる、炭酸以外の味や味覚以外の感覚も含めた総合的な感覚の需要による当てはめです。
炭酸は味覚以外にも三叉神経と呼ばれる、顔の感覚を脳に伝える神経にも影響することがわかっています。つまり我々は炭酸を味覚以外の感覚でも感じています。このため純粋に炭酸を味わっているつもりでも、それが本当に味による感覚なのか三叉神経を通した味以外の感覚なのかが明確に区別できないまま混同して、結果的に「苦味」という味覚であると落ち着けてしまうことがあるのです。
ダンピング効果ではここにさらに別の味の要素が加わることをいいます。複数の味、さらには感触などを総合して、苦いように感じている、ということです。
スパークリングワインにおける炭酸の効果
炭酸が含まれている飲み物では酸味を感じやすくなることは分かりました。実は炭酸にはこれ以外にも味に対する影響力があることがわかっています。炭酸が含まれた飲み物では甘味を感じにくくなるのです。しかもそうした傾向は甘味と酸味を同時に含んだ飲み物で強くなり、さらには苦味も多少強く感じやすくなることが実証されています。一方で甘味と酸味が同時に含まれている飲み物中では酸味の強調はほぼ生じていないことが確認されています。
甘味と酸味を含んだ飲み物。まさにスパークリングワインです。
スパークリングワインでは原料となるベースワインを造る際に酸量をとても重要視します。基本的にスパークリングワインに使われるベースワインに含まれている1リットル当たりの酸の量は一般的なスティルワインに比べて数グラム多くなります。
さらには多くの場合、スパークリングワインは製造工程の最後に味の調整として甘味を添加しています。どれだけ甘くするかは生産者ごとに異なりますが、シャンパーニュをはじめとして少し甘めと感じるくらいに調整するケースが多いように思います。結果、出来上がるスパークリングワインはまさに多くの酸味と軽めの甘味を含んだ飲み物そのものです。
そうしたスパークリングワインに炭酸が加わると、強めの酸味はそのままに甘味はわずかに感じにくくなり、場合によっては少しだけ感じる苦味が増えます。つまり全体としてよりフレッシュに、さっぱりしているように感じられるようになります。
炭酸が抜けたスパークリングワインが美味しい理由
抜栓して時間が経った。もしくは長期間の熟成によって自然と炭酸が抜けた。スパークリングワインから炭酸が抜ける理由はいくつかありますが、炭酸が抜けた結果の影響は同じです。炭酸があるために生じていた味の変化の逆のことが起こります。
炭酸は甘味を軽減し、苦みを少しだけ強調していました。一方でスパークリングワインのような飲み物の中では酸味に変化はありません。つまりスパークリングワインから炭酸が抜けると、そこに残るのは強い酸味はそのままに甘さが少し強くなり、苦みは減った、甘酸っぱい飲み物です。そして一般にこうした味わいの飲み物は好まれ、美味しいと評価される傾向が強いものでもあります。
なお炭酸は元の飲み物に含まれている、本来は感じにくい香りを感じやすくさせる効果も持っています。炭酸が抜けるにしたがってこうした香りはまた感じにくい状態に戻っていきますので、炭酸が抜ける前と後とでは嗅いでいる香りの構成が微妙に異なることになります。こうした香りの構成の変化も全体的な味わいや印象に影響を与えることになります。
当サイトではサイトの応援機能をご用意させていただいています。この記事が役に立った、よかった、と思っていただけたらぜひ文末のボタンからサポートをお願いします。皆様からいただいたお気持ちは、サイトの運営やより良い記事を書くために活用させていただきます。
炭酸の有無で変わるワインの評価軸
一般にワインを飲んでいて感じる「変化」は酸化をはじめとした化学反応などによるワイン自体の変化に基づいて感じています。一方でスパークリングワインの炭酸の抜ける前と後の変化は、従来の変化も一部伴ってはいるものの、炭酸によって影響を受けていた飲み手自身の味覚や感覚の変化に基づいて感じるものです。この変化は酸化による変化のような連続性がなく、いきなりガラッと変化したように感じるはずです。極端な言い方をすれば、まったく別のワインを飲んでいるのに近い状況です。
炭酸が抜ける前と抜けた後とではヒトは文字通り、異なる味覚でワインを味わっています。飲んだワインを評価するための基準となる味覚の状態が変わるわけですから、それぞれの状態で飲まれたスパークリングワインではそもそもの味わいが全く変わるのは当然のことです。そうした意味で、スパークリングワインは1本で2度楽しむことのできるワインだといえるかもしれません。