ワインには時に不快臭や欠陥臭、オフフレーバーと呼ばれる好ましくない、時には明確に嫌な匂いがするものがあります。
数あるワインの不快臭の中でも代表的なものが、還元臭です。
誤解を恐れずにいえば、還元臭を含むワインとの出会いは日常茶飯事です。ワインの世界的なコンテストの1つであるInternational wine challenge (IWC) で2006年から2008年の間に欠陥臭があると判断されたワインのうちの実に26 ~ 29%が還元臭だったそうです。またOIVによる報告では、2015年の全世界における還元臭を原因としたワインの損失は280億ユーロにのぼったとされています。
還元臭とはそれくらい"よくある"欠陥です。
これほどよくある欠陥がなぜ改善されずに市場に流れているのか。そもそも還元臭とはなんなのか。
1から見ていきます。
還元臭はワインに特有のオフフレーバー
「還元臭」という名前はワインの分野で特によく耳にするのは事実ですが、違います。還元臭はワインに限らず、食物一般で確認されています。
還元臭の原因となる物質は揮発性硫化化合物類 (Volatile sulfur compounds: VSCs) と呼ばれる物質群です。つまり還元臭と硫化臭は同じもののことを指しています。
還元臭はワインに限らずビールなどといった他のお酒類をはじめ、食品や飲料全般に関係を持った香りです。食品の分野では動物性食品などが腐敗によって硫化水素を生成するため (硫化水素はいわゆる腐った玉子の匂い)、還元臭という呼び方よりも腐敗臭として認識されている場合もあります。
ちなみに腐敗と発酵は人間にとって益があるかないかで呼び分けられているだけで内容は同じ現象です。
ワインの関連では1873年にドイツの生化学者、J.L.W.Thudicumが「硫化水素(H₂S)が最初に生成され、ワインをひどく臭くする」と"reduced sulphur scud"に書いたのが最初と言われています。
還元のニュアンスがあるワインは欠陥品
還元臭はオフフレーバーだと言っておいて恐縮ですが、これも違います。ワインにVSCsが含まれていたからといって必ずしもそのワインが欠陥品となるわけではありません。重要なのは含まれているVSCsの種類とその含有量です。
VSCは硫化系の化合物ですので、基本的には硫黄のような匂いのする物質群です。硫黄と聞くと日本人なら温泉の匂いを思い出す人も多いと思いますが、グレープフルーツの香りを想像する人はそう多くはないのではないでしょうか。意外かもしれませんが、ワインに感じるグレープフルーツ様の香りの原因物質の1つは硫化系化合物、VSCです。
VSCsと一口にいってもそこに含まれる物質は様々です。そうしたいくつもある物質の中で大事なのが、分子量です。
一般に分子量の大きなVSCは欠陥臭の原因とはされないことが多く、むしろワインにいい匂いを付与する立役者です。例えば3SHとも略される3-sulfanylhexan-1-ol。分子量が1molで100gを超える、polyfunctional thiolsと呼ばれるチオール類の1種です。正真正銘の揮発性硫化化合物ですが、グレープフルーツやパッションフルーツ様の香りの原因となる物質です。
これに対して分子量の小さなVSCはワインにネガティブな臭いをもたらすことの多い問題児です。ワインで還元臭が欠陥臭として問題視される場合の原因物質のほとんどが、この低分子量VSCです。こうした物質の含まれるワインからは腐った玉子や下水、キャベツ、焼けたゴムのような、嗅いで不快になる臭いがします。
ワインの香りの表現ではよくあることですが、不快感を覚えないものを還元香、不快感を覚えるものを還元臭というように、「香」と「臭」の使い分けで表現を区別することもあります。
酸素がないと生じる欠陥臭
還元という単語は酸化の対義語として覚えられていることの多い言葉です。このため還元臭も酸化臭の反対、つまり酸素のない状態にワインが置かれることで生じるものだと思われていることがよくあります。
この認識自体は間違いではありません。IWCの審査であれだけ多くのワインが還元臭を指摘された理由も、近年では設備や製造技術の発展などを背景により還元的なワイン造りが一般的になったことに加え、酸素透過量の少ないスクリューキャップなどでボトルが密閉されるようになったことが背景にあると指摘されています。
一方でワインに還元臭が含まれるようになる原因は複雑で、複数の経路があることがわかっています。そうした経路の中には酸化を前提としているものもあります。
ワインが酸素に触れると一般にワイン中に含まれている硫化化合物の含有量は減少します。このため酸化的な環境に置かれたワインでは硫化物の絶対量が減少し、それらを原料とするVSCsの生成量も減る傾向を示します。しかしこうした流れの一方で、一部の成分に関しては酸化を通して低分子量VSCの前駆体に変化し、還元臭の潜在的な原因になるものがあります。還元臭だからといって、必ずしも酸素の存在の有無だけが原因となっているわけではありません。
この辺りは化学的により厳密な意味での酸化と還元反応として捉えた方がわかりやすいかもしれません。化学では酸化や還元は電子の移動を表したもので、そこに酸素があるかどうかはあまり関係がないからです。
発酵に気をつければ回避は簡単
ワイン造りで最も大事な工程である、発酵工程。実は硫化臭の多くもこの工程中に生成されています。酵母が硫化物の生成に強く関わっているからです。
酵母が発酵中のどのような状況下で硫化化合物を多く生成するのかは大方わかってきています。そのためでしょうか。そうした要点に気をつけていれば硫化臭の発生は比較的容易に回避できると考えられている場合も多くあります。
確かに酵母が必要とする酵母資化性窒素量をしっかりと管理するなどすれば、ある程度はこの欠陥臭の発生を抑制することは可能です。
一方で、ボトリング後の熟成期間中にも問題の原因物質である低分子量のVSCが生成されることがわかっています。
仮に問題となる硫化臭がアルコール発酵の時点でしか発生しないのであれば、ボトリング前に何かしらの対処をすることができます。結果としてIWCでそれほど多くのワインが欠陥を指摘されることなどありません。しかし現実にはそうなっていません。こうした状況からも、ワイナリーが対処できないタイミングでこの問題が発生していることが予想できます。
排除できない原因物質
低分子量のVSCには様々な物質が含まれますが、その中でも代表的なものがhydrogen sulfide (H₂S), methanethiol (MeSH), dimethyl sulfide (DMS)の3種類です。
こうした化合物類は複数の反応を通して生成されていますが、基本的には硫黄系の物質を反応の出発点としています。このためワイン造りの工程中に硫黄を持ち込まないようにできれば、還元臭も発生しないのが道理です。
ところが硫黄は酵母が代謝を行なっていく上で必須の成分の1つです。このため仮に硫黄が全く存在しない状況を作り出せたとしたら、確に硫化臭の発生は防げますが、同時にワインを造ること自体ができなくなってしまいます。酵母を使ってワインを造る以上は、還元臭の発生リスクを根本から完全に排除することはできません。
なおVSCsの生成の原料になる硫黄は、ブドウに含まれるS-methylmethionineやブドウの栽培時に散布される硫黄系薬剤などから供給されています。こうした硫黄分はブドウの果汁中に160 - 400 mg/L、もしくはそれ以上に含まれているとされています。また醸造工程中に添加される酸化防止剤である二酸化硫黄 (SO₂) も硫黄分の供給源となります。
還元臭の出やすいワインとその理由
いずれかの経路からブドウの果汁中に含まれた硫黄分はアルコール発酵の際に酵母に取り込まれて含硫アミノ酸であるMethionineやCysteineに合成されます。この時、含硫アミノ酸は原料となる硫化物から直接生合成されているわけではありません。硫酸還元経路上で一度中間体が生成され、これがアミノ酸の生合成プロセスに原料として取り込まれています。この中間体の生成量は酵母の株や環境によって大きく異なり、10 - 100mg/L程度といわれています。
この中間体が問題となります。
中間体として生成された硫化物はその全てがアミノ酸の生合成に使用されてはいません。生合成プロセスにうまく入り込めなかった硫化物がH2SやMeSHの生成のための原料となります。
さらには含硫アミノ酸を含む、酵母の細胞内に蓄積された硫化系化合物の一部も条件次第でVSCsに代謝されます。こうしたことから、硫化系化合物の生成量が多い酵母を使用したワインではそれだけ還元臭が生じるリスクも高くなるといえます。
還元香の出やすいシャンパーニュ
仮に硫化系化合物の生成量が少ない酵母の株を選択していたとしても、アルコール発酵後に長期にわたって酵母と一緒に熟成させると酵母の細胞が分解され、硫化化合物がワイン中に供給される可能性が高くなります。つまりシュール・リー(Sur Lie)製法を採用しているワインや、そうして造ったワインをベースワインとした上でさらに2次発酵後にも澱と長時間接触させる傾向の強いスパークリングワインでは還元臭が出やすくなります。
発酵に野生酵母を使用し、かつ酵母との接触時間を長くとることの多い自然派系のワインで還元臭が出る傾向が強いのも同じ理由です。またこの手のワインでは発酵時に発酵助剤などを使用することが少なく、酵母の硫化系化合物の生産量が増加しやすい環境にあることもこうしたワインで還元臭に当たる確率が高い理由の1つだと思われます。
最強の対処法ではなかった銅の処方
発酵を終えたワインに還元臭が出てしまった場合の対処法として、銅の添加が極めて有効だといわれていました。
実際にこの方法は有効ですし、手元のボトルに還元臭があった場合には純銅の棒で少し攪拌してあげればそうした臭いを除去することができます。
しかし最近の研究からブドウ果汁中に含有される重金属が長期的にはワイン中の還元臭の発生リスクを引き上げる可能性があることがわかってきています。この重金属には銅も含まれています。つまり還元臭を除去しようとして銅を処方した結果、将来的により程度の悪い還元臭を発生させてしまう可能性が示唆されたのです。
またこのことは防除の関係で銅の使用量が多くなりがちな有機栽培やビオディナミに基づいた栽培がなされているブドウを使用することで還元臭が出やすくなる可能性をも示唆しています。
還元臭を回避する方法
還元臭が出てしまった場合、依然として有効な対応方法は金属イオンの添加です。一方ですでに見てきたように、この方法では将来的には還元臭のリスクを引き上げる可能性があります。
金属イオンに頼らない方法として有効とされているのが、マイクロオキシデーションとも呼ばれる微小酸化法です。
還元臭が出る大きな要因はワインが酸素の欠乏した環境に置かれることにあります。このため醸造工程において人工的に酸素を供給してやることで、還元臭の出やすい状況になることを回避しようというのです。検証の結果からも、酸素の供給量を増やすとそれに伴ってH₂SやMeSHの含有量の減少が確認されています。
一方で大前提として前駆体がワイン中に存在するとワインを長期保管することでボトル中ではゆっくりとH₂SやMeSHの濃度が上昇していきます。つまり、もっとも有効な還元臭の回避手段はこれらの前駆体をワイン中に存在させないように管理することです。
こうした前駆体の多くはアルコール発酵中に形成されています。特に影響が大きいのが酵母へのストレスです。具体的には、酵母が貧栄養環境下に置かれることで硫化化合物の生成量は増加します。このためアルコール発酵中には温度や酵母資化性窒素量をしっかりと管理し、必要に応じて添加するといった対応がアルコール発酵の順調な進行だけではなく、望まないオフフレーバーの発生防止にも有効となります。
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今回のまとめ | 欠陥と許容の線引きを考える
ワインはその存在自体が本質的には還元的なものです。ただのブドウ果汁がワインになるアルコール発酵の間、絶えず炭酸ガスが生成されその一部が液体中に溶け込んでいくからです。
アルコール発酵を終えた直後のワイン、特に白ワインでは火打ち石のような香りを感じることが非常によくあります。この香り、原因は硫化系化合物です。
3SHがそうであったように、この火打ち石の香りも余程でなかればオフフレーバーとはなかなか思いません。一方で温泉や腐った玉子を思わせるような硫化臭は即座に欠陥臭と判断します。この両者の線引きをどこに置くのか、という基準を持つことは重要です。そして同時に、敢えて「還元香」とポジティブに表現してその香りの存在を強調する場合と、例えば火打ち石の香りを感じているにも関わらずそれをそもそも還元系の香りと判断せず言及もしない場合との判断基準をどう持つのかも考えてみる必要があるように思います。
それくらいに欠陥臭とは認識されていない還元香の存在は身近なもので、意識して探せばきっと驚くほど多くのワインで見つかります。
そうした香りを見つけた時、その香りがどこに位置するものなのかを改めて考えてみてください。それは多くの場合、ブドウの品種特徴香ではありません。酵母の香りでもありません。プロセス上でついてしまっただけの、本来の原料から考えればそのワインには含まれることのなかったはずの香りかもしれません。不快ではないかもしれませんが、醸造的な欠陥ではあるかもしれません。
ワインを造れば自然とついてくる香り。
当たり前すぎて慣れてしまった香り。
硫化臭を意識的に拾っていく行為はきっとこうした香りを見つけ出す手がかりになり、その上で、そうした香りをどう位置づけるのかを問いかけるきっかけになるはずです。
還元臭がどのようなメカニズムを通して発生するのか、より詳しくまとめた記事をnote上に公開しています。