最近は健康志向の現われなのか、エコロジックとも呼ばれる有機栽培が人気です。
この潮流はワインの世界にも届いており、有機栽培で育てられたブドウから造ったワインじゃないと取り扱わない、とするワインのインポーターさんは日本にも多数いらっしゃいます。またこのエコロジックに対する考え方がより強くなった、自然派とも呼ばれるナチュラルワインなどは昨今、耳にする機会が増えているのではないでしょうか?
エコロジックもしくは有機栽培という考え方は元々は地球環境に対する負荷の低減を目的として行われているものであり、エコロジック = 健康志向ということは必ずしも成り立たないのですが、この辺りはかなり曖昧に認識されているところもあるようです。
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そんな中、有機栽培にすると作業コストが高くなる、という話をよく聞きます。
消費者の方も健康にいいのであれば多少の価格の上昇は仕方ないこと、当然のこととしてこうした主張を受け入れる向きが強いように思います。一方で、実際にエコロジックの導入がどのくらいのコスト上昇につながるのかを知っているでしょうか?
今回はワイン用ブドウの栽培における重要な仕事の一つである、病気の防除に注目して、専門誌の記事に掲載されたコスト試算をもとにエコロジックのお値段を見ていきたいと思います。
病気の防除とは何か
ワイン用のブドウ栽培において特に気を付けなければならない病気というものが3種類あります。Powdery mildew (日本語名: ウドンコ病)、Downy mildew (日本語名: ベト病)、Botrytis (日本語名: 灰色カビ病) の3種類のカビ系の病気がそれにあたります。なおPowdery mildewとDowny mildewはそれぞれ原因菌の名前をとってOidium (オイディウム)、Peronospora (ペロノスポラ) とも呼ばれます。
これらの病気はBotrytisが貴腐ワインの原料として使われる貴腐葡萄の収穫に必要となるため部分的に例外扱いされることを除けばどれもワイン用のブドウ栽培においては致命的な被害につながる危険性の高い病気であり、積極的に予防していく必要のあるものです。
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この予防のための行為を「防除」といいます。
また防除のための薬剤をスプレーを使って散布することから、単純に「スプレー」と呼ぶこともあります。
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防除は栽培方法によらず必要となる行為で、慣行農法でも有機栽培でもビオディナミ (バイオダイナミック) でも、使用される薬剤の種類や量は違っていても基本的にはすべての農法で行われています。
有機栽培における防除のお値段
先日、der deutsche weinbauというワイン関連の専門誌において"Sparpotenzial"と題した、この防除にかかるコストをテーマにした特集記事が掲載されました。ここからはこの記事において使用されていた試算をもとに有機栽培における防除の価格を見ていきます。
メモ
こちらの記事はnote上からも続きをご覧いただけます。
[sc_Linkcard url="https://note.com/nagiswine/n/n163975362ea0"]
まず農法の違いに関わらず必要となるコストとして固定費が以下のように試算されています。
85 €/ha/h (1ha当たりの作業時間を1hとして試算)
内訳:
トラクターおよびスプレー用装置類 38€/h ならびに 25/h
トラクタードライバーの時給 22€/h
この上で実際に行わる防除の回数および使用される薬剤が変動費として計算されています。その条件は以下の通りです。
- 防除回数 (天候の良好な年/天候不順の年)
慣行農法: 8 / 9
有機栽培: 10 / 11
- 使用薬剤 (天候不順の年における追加分)
慣行農法: 反応系薬剤およびBotrytis対応薬剤の追加
有機栽培: 銅含有系薬剤の使用量の増加
これらを条件に試算した結果が以下のように提示されています。
- 防除コスト (天候の良好な年/天候不順の年)
慣行農法: 1,170 €/ha / 1,600 €/ha
有機栽培: 1,060 €/ha / 1,370 €/ha
さらにこの結果をha当たりの収穫量に基づいて1L当たりのコストとして計算されています。なお収穫量はそれぞれ収量を8,000 L/ha と仮定したプレミアムセグメントと15,000 L/ha と仮定したベーシックセグメントに分けています。
- 防除コスト (天候の良好な年/天候不順の年)
慣行農法:
プレミアムセグメント 0.15 €/L / 0.20 €/L
ベーシックセグメント 0.08 €/L / 0.11 €/L
有機栽培:
プレミアムセグメント 0.13 €/L / 0.17 €/L
ベーシックセグメント 0.07 €/L / 0.09 €/L
ここまで見ていただくとお分かりいただけるように、実は防除にかかるコストは慣行農法と比較してエコロジックの場合の方が安く済みます。これは使用する薬剤がエコロジック対応のものの方が安いためです。エコロジック用の薬剤というとどこか特殊なもので価格が高いイメージを受けるかもしれませんが、実際には慣行農法用の薬剤は化学合成薬剤などを使用するのに対してエコロジックではこのような合成系薬剤は使用できず、物質そのままの状態に近いモノを使うことが多くなりますので薬剤価格が安くなるのです。
なぜエコは高いのか
ではなぜ、エコロジックは高い、という話になるのでしょうか。そもそもエコロジックは本当に高いのでしょうか。
この疑問は2つの視点から解釈する必要があります。
一つは上記のような「防除」に関わらない部分でのコストの計上、そしてもう一つは上記の試算におけるトリックの解消です。
手仕事の増加によるコストの上昇
慣行農法と有機栽培を比べるときに最も注目されるのはこれまでも見てきた防除の部分です。この理由は、ブドウの収穫量の増減に極めて大きなインパクトを及ぼす要因がブドウの健康状態だからです。
ブドウ栽培をしていくなかで関わる様々な作業はどれも多かれ少なかれブドウの健康状態に影響を及ぼしますが、やはり病気への罹患ほどの大きな被害をもたらすものはなく、この予防のために必要となる防除作業に関わる点が大きな注目を集めることはある意味で当然のことといえます。
一方で、これもまた当然のことではあるのですが慣行農法と有機栽培の違いは防除の内容だけに留まりません。
分かりやすい例としては、除草剤の使用の有無が挙げられます。
以前の記事でも書きましたが、筆者の勤めるワイナリーでは除草剤を一部の急斜面の畑で使用する判断をしたためにそれまで長年に渡って持っていたエコロジックの認証を返上しました。この除草剤の有無は生産コストに少なくないインパクトを及ぼします。
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除草剤を使うというとブドウ畑内のあらゆる場所の雑草を除去するために使っているようなイメージを持たれるかもしれませんが、そんなことはありません。除草剤は大型の草刈り機を入れることのできない、ブドウの樹と樹の間、もしくは大型機械を使ってしまうとブドウの樹を傷つけてしまう可能性の高いブドウの樹の周辺に生えた雑草を取り除くためにのみ使用します。
逆に言えば、除草剤を使わない場合にはこれらの場所の雑草は人手で抜いて回るか、手で取り回せるサイズの小型の機械を使って刈り取っていくことになります。当然ですが、どちらも基本的には機械作業ではなく人手で行うマニュアル作業です。
除草剤を使用する場合にはほとんどの場合でトラクターを使って行いますので、作業時間は1haに1時間かかるかどうか程度で済みます。除草剤のコストはかかりますが、それも大したものではありません。一方で手作業になると雑草の生え具合にもよりますが1haを処理するには速くても8時間以上必要になります。その間、作業者が1人丸々かかりっきりになります。
仮に作業者の人件費を上記の試算におけるトラクタードライバーのものを流用するのであれば、除草剤を使用する場合には22€で済むものが除草剤を使わない場合では200€近くになります (除草剤のコストは草刈り機に使う燃料費で相殺の前提)。
エコロジックにおける収量確保の問題
今回引用した試算ではそもそも一つのトリックがあります。
上述の除草剤使用の有無などは顕著な例ですが、慣行農法とエコロジックとでは期待できる収量にかかる労働力がそもそも違います。ベーシックセグメントとして慣行農法では確かに15,000 L/haが見込めますが、エコロジックでこの収量を確保することがそもそも難しいのです。
一般的に有機栽培では面積当たりの収量が下がります。これは別に収量制限をしているということではなく、そもそもそれだけの収穫が出来ないのです。具体的な平均量を出すことは簡単ではありませんが、10,000 L/haという水準を確保することもよほど天候に恵まれないと難しい水準です。
これは仮にエコロジックで15,000 L/haという収量を得ようとすれば、通常の慣行農法よりもはるかに多くのコストを投入しなければならないということです。このため、仮に投入される労働コストなどを合わせたと仮定すると、エコロジックにおけるベーシックセグメントとは慣行農法におけるプレミアムセグメントにおける収量程度になります。
つまり比較するべきは、
ベーシックセグメント (慣行農法 / エコロジック)
天候良好な年: 0.08 €/L / 0.13 €/L
天候不順な年: 0.11 €/L / 0.17 €/L
となります。
この時点で防除のコストが慣行農法とエコロジックとで逆転します。さらに上述のようにエコロジックではこれ以外の作業にかかるコストが大きくなります。またこれに加えてエコロジックの認証を保持するためにもコストがかかります。こうした背景により、「エコロジックは高い」のです。
今回のまとめ | 高いけれど安いエコロジック
防除にかかるコストは安いにも関わらず結果的には収量や投入する必要がある人件費などによってトータルの生産コストが高止まりする傾向にある有機栽培によるワイン造りですが、実はそうした事実を持ちながらも現実世界では有機栽培ブドウを使ったワインは「安く」なっています。
1つの理由は間違ったエコロジック志向やビオディナミ志向です。
繰り返しなってしまいますが、防除にかかるコストだけを見ればエコロジックは多くの場合で慣行農法よりも安く済みます。このため、「自然派」「環境負荷の軽減」という金言のもとに「必要最低限以外何もしない」という選択をすると、追加でかかるコストが抑えられ、最終的にもトータルコストが慣行農法と同程度だったり、かえって安くなるケースがあります。
ただ、当然ですがこのような栽培はブドウの品質を上げません。まさに「間違った」取り組みといっていいコストの削減方法です。
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もう1つの理由はワインのインポーターさんの存在です。
例えば日本の店頭に並ぶワインの価格おいて、有機栽培のブドウを使ったエコワインだから高い、ということがあるかどうかは分かりませんが、少なくともインポーターさんはエコ対応ワインだから高く仕入れる、ということは基本的にありません。
そもそもの取扱いの前提を「エコロジック」であること、としているインポーターさんの存在があることは冒頭に書いたとおりです。彼らはそのワインが「エコロジック」の認証を持っていない場合にはそもそも取り扱いを検討しようとしないため正確な比較はしにくいのですが、実質的に仕入れ価格は慣行農法に基づくワインのものとそれほど大きな差はありません。
もちろんインポーターさんが提示する基本的な仕入れ価格は基本的には「ワイナリー側が提示する販売価格に対して一定の割引をした価格」です。このため原価に基づいて元の販売価格が高くなる傾向にあるエコロジック対応ワインでは仕入れ価格は上がる傾向になりますが、その差額は極わずかな場合がほとんどです。そこに作業コストやそもそもエコ認証を維持するために必要となるコストが必要になることは多くの場合で加味されません。
つまりワイナリー側としてはワインの販売価格だけを見れば、エコロジック対応のワインを造って売ることはとても割に合わないのです。
エコロジックに基づいてブドウを栽培しているワイナリーの一部は、そうした方が高く売れるから、という点に注目していますが、他の大部分は自分たちの思想や信念に基づいて地球環境に優しい手段としてエコロジックを取り入れています。こうしたワイナリーが多くの場合、自分たちの思想を赤字として計上せざるを得ない立場に置かれていることは極めて皮肉な現実だと言えるのではないでしょうか。